生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

カレーの市民!

2010年05月03日 08時09分39秒 | その他
今朝の日経新聞に「カレーなる街おこし」というカレーの記事が掲載されていた。

なんと、日本人は平均すると週に1度はカレーを食しているらしい。それほど、カレーは日本人に愛着のある食事なのだろう。

かくいう私も3食カレーでも問題ないくらいカレー好き!高校の時には、カレー1皿を50秒程度で食べており、昼休みではなく、3時間目と4時間目の休憩時間に食事を完了させていたこともあった。

日経新聞にはエゾシカの肉を使った「エゾカツカレー」なんかも書かれていた。大阪出身者として大阪府南部の泉州地域特産の水ナスを使った「水茄子カレー」はOKでも、「水戸納豆カレー」はNGである。「さくらんぼカレー」や「かき(広島名産の方)カレー」もちょっと遠慮したい。

こんなカレーの記事を読んだ日には、朝食はカレーとなる。無論、家族は誰一人、朝から大盛りカレーを食べる根性はない。

で、取り出したのが、頂き物の「カレー市民アルバ アルバ熟成カレー(加賀カレー)」である。「思わず走り出す美味しさ。」というのが決め手である。早く食べるなら電子レンジであるが、貴重なカレーなので湯煎にて温める。

食してみるが、さすがに、思わず走り出したりはしなかったものの、やはり、1つ400円クラスのカレーともなるとコクがあって美味しい!秘伝の濃厚ルーとあるが、牛筋のゼラチン質と熟成させたルーの味が絶妙といえるかもしれない。逆に、この手の味が苦手という方もいるだろう。特に、スープカレー系が好きな方には、この濃厚系のカレーは厳しいかもしれない。

ただ、カレーの市民である私には、十分満足できるカレーでした。

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機構への提言。

2010年05月03日 05時40分14秒 | 大学評価・学位授与機構
今のままではダメだといわれた学位授与事業。私なら以下のように変更する。

1)大学校への学位授与を廃止
現状、「防衛大学校」「防衛医科大学校」「水産大学校」「海上保安大学校」「気象大学校」「職業能力開発総合大学校」「国立看護大学校」の7つの、機構の基準を満たした大学校に限定して、学位を授与している。

しかし、仕分け人の指摘のとおり、大学校において学位が授与されないのは、学校教育法上の一条校でないためであり、そもそも、他の省庁の独自の基準で運営されている大学校に学校教育法上の制度である「学位」を交付するのは筋が違う。

各大学校を修了したという事実が毀損されるわけでもなく、大学院に行きたい人は、各大学院での判断により、大学校の修了がそのまま大学院の受験資格になるはずである。今は、大学卒業でなくても、大学院は受験できる。逆に、大学校の修了を受験資格として認めない大学院であれば、機構の学位を取得しても合格はおぼつかない。なんせ、大学校で学んだことを認めないのだから。

市販の履歴書においても、学位を書く欄はない。就職の際に「あなた、学位がないですね!」といわれるほど、日本は学位社会ではない。正当な、大学校修了の事実があれば、それで十分のはずである。

そもそも、平成2年までの大学卒業者は学位を持っていない。全員、学位記ではなく、卒業証書をもらっている。その程度の話であり、あえて、大学校修了者に学位授与する必然性はない。

2)論文試験の廃止
論文はレポート提出のみで、論文試験はなしとする。財務データを確認していないのでなんともいえないが、コストがかかるのは、試験問題の作成と思われる。大体、あの各論文に準拠した試験問題はムダ以外の何者でもない。

先の12月の試験において、申請者2,535人のうち、2,404人が「合格」、131人が「不合格」と判定された。わずか、131名を不合格にするために、論文試験が行われているなら残念である。というより、131名は単位不足で不合格のものも含むし、レポート不適格者も含む。実際、論文試験はいらないのではないか?

機構サイドでは、レポートが力不足でも論文試験で救済することもあると出版物の中で言っているが、そんなレポートが不十分の受験者は不合格にすればいい。そのために、論文試験をしているなら、受験者にとっても負担大である。

大体、懸賞論文や、普通の大学の卒業論文で、果たしてテストなんかするのだろうか・・・というより、もっと根本的なことだが、大学卒業するのに、卒業論文って必須ですか?多くの大学でいらないはずだ。私の大学も、法学部は卒論なしで卒業できたし、私の身近な「放送大学」「産業能率大学(通教)」「日本福祉大学(通教)」も卒論なしで卒業できた。

そもそも、単位積上型の機構なのだから、単位数だけで判断すればいいじゃないか?わざわざ、レポートや論文試験を実施する理由がない。

レポートも廃止してもいいが、最終成果物として機構に残すこととして、最後のテストは廃止する。それでないと、他の学位を授与している大学と平仄があわない。機構としては、あくまでも自力で可能な範囲で学位を授与することを求められており、大幅なコスト削減には「専門の教授に試験問題を作成してもらうコスト」「試験問題を作成するコスト」「学生を集めて試験を実施するコスト」「学生の答案を専門の教授に採点してもらうコスト」以上のコストを削減するための施策を実施すべきだ。

これでも、コスト削減が未達の場合、残念ながら、「レポートの内容確認のコスト」を削減するため、単位だけで合否を判定することとなろう。

ただ、一般の大学と比べて、見劣りするなら仕方ないが、現状の大学による学位授与も、単位が充足されるかどうかのレベルである(厳しい大学を除く)。なら、機構が仕分け人に非難を受けてまで、学位授与の品質を守る必要はない(というより、ほとんど合格できている状態で品質保証もないか・・・)。そもそもの理念が、いくつもの大学で学習している人の救済なら、そのレベル感でいいのではないか?

再度言うが、先の月の試験での不合格者は「単位不足」「レポート不適」「論文不可」をあわせてもわずか5%程度である。たったそれだけの人間を振り分けるために、イベントのような論文試験を実施するのは残念である。
コメント (6)
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