ぶんちゃん日記

最北の、何もない静かな山奥「ぶんちゃんの里」のオーナーの交流日記です!

ソロソロ製造準備

2024-03-20 19:48:54 | Weblog
 3月も後半。
昼と夜の時間が同じ日にんりました。昼真の時間がドンドン長くなっていく気配がしてきました。春が着実に
近づいてきます。

 そんな時期になりますと「ぶんちゃんの里」もユックリと動き出します。゛できる事だけの消費者交流活動ですが
少しだけ活動したいと思っています。その手始めとして「ミルクジャムの製造準備」にかかりました。
昨日は牛がいなくとも生乳を搬入する方法を保健所に相談して了解を得る所から動き出しました。
製造を全面的に担当する妻は、まだスッキリと冬眠から冷め切らないでいますが、来月初旬から製造開始
予定です。又皆さんにお世話になりますがどうぞ宜しくお願い致します。
  (ミルクジャム製造の写真は昨年のもの)

           

    

          

 今日は春分の日。
先祖のお参りに曹洞宗永生寺に行ってきました。受付お手伝いと合わせて般若心経、修証儀を読経に合わせて
唱えてきました。

          
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「私達の痴呆対策なんです~」と。

2024-03-19 11:31:54 | Weblog
 昨日は10㌢ほどの積雪と強風で2回の除雪車の出動してくれた。我が家周辺も久しぶりのトラクターでの除雪。
今朝は、沖には流氷も見えた。昨日の北東の風でやってきたのだろう~。「やっぱり彼岸あれだろうか~」なんて
会話も。

 数日前、日本農業新聞の通信委員として30分くらい車で走って取材に行ってきた。酪農をやりながら趣味の
油絵を描いていたという。油絵にはインク代などで大変お金がかかる事も知った。酪農を引退してから色鉛筆画に
変え、描く数も増えたという。住宅の側には廃車になったマイクロバスを改造しアトリエにしていた。
素晴らしいアトリエで無数のドイツ製の色鉛筆が置かれていた。
素晴らしい~の一言につきる。

 奥さんと私は高校の同級生だ。近くに住んでいても何十年ぶりの再会だった。色々とお話しをうかがつた。
初めて聞く話に感動したり乗り越えてきた大変な苦労も知った。

 お話しの中で、原稿にはかかなかったが奥さんの話が印象に残った。
奥さんは「旦那が絵を描いているとき私はいつも居間で1人ぽっちなんです。私も何かしなくては・・と
お菓子や野菜などを使った団子作りを始めたんですよ~。旦那の趣味のおかげ
で私も趣味を持つ事が
出来た」とわらった。
そして・・「忙しすぎた酪農経営も他人に譲りようやく2人でノンビリと老後の生活を送っています」と。
「これが私達の痴呆症対策なんです」と2人で顔を見て笑っていた。

           

           

           
 
 帰宅後、私は妻に聞いた。「貴方の趣味はなんですか」と。「私は料理も裁縫も大苦手なんです・・・」と。
「オレも何もないからおなじかなあぁ~」と聞かれもしないのに言った。
私達の痴呆対策はなんだろうか~~と、私は少し考えた。

 日本農業新聞をよみましょう~~。
この取材した記事は北海道版です。



 
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アッ!!あぶない~!!

2024-03-17 18:36:05 | Weblog
 季節は春に向かって進んでいることは確かだ。
少しずつですが雪山が小さくなっていることが分かる。それでも朝夕の冷え込みは厳しく、溶けた雪が
舗装道路に水となって流れそれが凍結して「サラッと降った雪」に隠される。全面ではないが部分的には
ブラックアウト状態だ。

 数日前のウォーキング。まさしくそうした場所に遭遇。
妻は見事に転倒・・それを見ていた私は「アッ!!あぶない~!!」と叫んだとたん、今度は私が転倒。2者連続だ。
私は少しだけ後頭部を打撲。帰り際、転倒した場所で転倒を真似てみる妻。私の転倒の箇所を見る妻。

           

           

 舗装道の色の変わっている部分が凍っている箇所だ。
その後は学習して気をつけて歩いた。帰る頃には後頭部の痛みは治まっていた。後頭部の打撲は記憶喪失に
なることを話題にして歩いた。

           

           
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沢山あった思いで~。

2024-03-16 17:05:10 | Weblog
 午前中、突然お嬢様が寄ってくれました。
朝「午前中いえにおりますか~」というメールに「是非ぜひ寄っていって下さい」と返信。懐かしい人でした。
大学、院生時代に何度か超短期間の酪農体験実習に来てくれていました。私達も町やJAの人達と大学を
訪問し講演や交流をした事が何度かありました。その時も常にお嬢様が中心にいました。印象に残っていました。

 大学院卒業後、道庁職員に(農業改良普及センター)なったと伺っていました。なんと7~8年ぶり位の再会
でした。対面するなり、お互いに「ワあぁ~~かわっていないね~」と再会を喜び合いました。
これから7時間かけて帰るとのこと、短時間での滞在でしたが沢山あった思いでを語りあいました。
私も整理中の写真があり、当時の写真を懐かしく見ることが出来ました。

 今日の再会の写真と7~8年前の写真です。
大学を訪問した際の写真もありました。何となく人なつっこしさが印象に残っていました。
我が家での居間の長いすも変わっていました。歴史を感じます。
これからの進むべき目標や希望の話も聞くことも出来ました。泊まって杯を交わせなかったことが残念でした。
元気に戻られました。

           

           

           

           

           

                

 酪農体験実習時代の沢山の思いでも語りました。
毛ガニが大好きなお嬢様でした。毛ガニ食べ放題もやりました。本当に訪問、ありがとうございました。
過去の出会いが今に活かされていることに感謝です。益々お元気でご活躍を
祈らずにはいられませんでした。
   (思いでの写真。大学訪問時もあわせて・・)
毛ガニの食に夢中の姿が愛らしいです。毛ガニの食べ方の指導も受けました。

     

     

             

    
 

 
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お出かけ2日目の夜

2024-03-15 17:34:03 | Weblog
 札幌から帰りの途中、妻の生まれ育った村に立ち寄りました。
ここでも「お出かけ2日目の夜」を楽しく過ごしました。妻は同級生との再会や10年ほど前に我が家で酪農実習
したお嬢様が地域お越し協力隊として働いているため一緒に杯の機会に恵まれました。お元気でした。
こうしてお出かけの途中で、懐かしい人達にお会い出来ることは過去の新しい出会いがあったからこそです。
そんな出会いを懐かしく思い感謝でした。前期高齢者の二人でした。
そして・・お嬢様と後期高齢者です。20日間我が家にいました。

            

             

             

 数ヶ月前に村で営業が始まったというスナックに立ち寄りました。妻も「村にスナックができた」
と喜んでいました。「少しくらい高くても皆で利用してもりあげなくてはね~」なんて同級生に
ハッパをかけた酔った私の姿もありました。
東京帰りのママさん、「欲しいものがすぐに手に入らないことに戸惑いも感じている様子」でしたが
地域の皆さんに楽しんでもらいたい思いが強いようでした。地域の活性化、コミュニティの場になれば・・・と
思いました。呑んで歌ってきました。

         

    

         

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食べ飲みました

2024-03-14 17:11:16 | Weblog
 早い時間から孫達と楽しく飲み食べました。
私はお昼のビール3杯がまだ冷め切らぬ5時からのスタート。3月に卒業と20日前の2年生になる
孫達は元気いっぱいでした。3600円の食べ飲み放題は安く上がったと安堵したおばあちゃんおじいちゃんで
した。それぞれ社会人として、進級として大きく前に進んでほしいと願わずにはいられませんでした。

      

            

               

 昨夜の泊まったいつものホテル。
お部屋担当の紹介チラシに2人の似顔絵がありました。紹介文に「浜頓別町生まれの浜頓別町育ち」という
書き込みがありました。「がんばってくれているんだ」と「安心してゆっくり寝ることが出来ました」と
メッセージを書いてきました。

    

            
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すがすがしい気持ち

2024-03-13 15:38:11 | Weblog
 うっすらとと窓から明るさを差し始める。
午前5時30分過ぎだ。なんだか良い天気に恵まれそうな感じがする。太陽がまだ出ない朝。
そんな朝の今日は、孫との乾杯を目指して札幌に向かった。どこまで行っても天気は良い。待ち合わせは夕方だ。

 荷物預けの為にプラプラ歩き予約ホテルへ。何カ所かの通路のドアを空けて進む。私達の5歩前に
ネクタイ姿の少しお歳しをめしたそうな方が歩いていた。ドアを開けて前に進むが、ドアを開けたまま手で押さ
えてくれていて、私達が通り過ぎるのを待っていてくれる。ありがたく感じ「すいませんです」と急いで通る。
次のドアにさしかかった。再び、少しお歳めしたそうな人がドアを支えてくれて私達の通りすぎるのを
待ってくれた。そして「最近のドアは重くて力がいます」と声をかけてくれた。私も「歳をとったら力が
でなくて・・」と楽しく返事した。すると少しお歳をめしたそうな人は「私にも相当高齢の母親がいるもの
で・・」とにっこりして去った。私は妻と歩きながら「俺たちって歳よりだと言うことはわかるんだね~~」と。
すると妻は「若いと思っているのは自分だけだよ」とたしなめられた。
なんだか「すがすがしい気持ち」になった。

             

 ちょうど昼食の時間、普段なら超軽食で済ませるが大都会での昼食を贅沢に・・と思いビールも・・。
お腹いっぱいのぜ い た く ・・に満足。ビールのつまみとして3品頼む。
すがすがしい気持ちが続いていたように思った。だけど注文は全てタブレット。老体には難しいです。
お年寄りのタブレット注文を、お世話になった少しお歳を召したそうな人ならなんと言うだろう・・・と思った。
「定員呼び出し」のスイッチもありますが・・・。

      

             

 でも注文はしっかりと済ませた。
ほとんどが妻が操作した。良いを冷ますために少しプラプラした。8000歩以上歩いた。
夕方からまた食とお酒だ。贅沢もほどほどに~~。

             

          
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鏡台

2024-03-12 16:55:04 | Weblog
 (今日の日記は妻の了解と協力を得ての書き込みです)
 酪農経営を行っていた時代の朝は早かった。
出勤距離は100㍍程度であっても、早いがために出勤ギリギリまで寝ていて、目ざまし程度の休憩後
にはすぐに牛舎へでかけ、作業服に着替える。それは私も妻も同じスタイルであった。そんなことが何十年も
続いたのである。それが昔ながらの私達の酪農の家族経営の姿だつた。

 酪農経営を終えて1年半が過ぎた。
妻の朝の様子が一変した事に気ずいた。朝起きて牛舎へのお出かけでもなく、作業服に着替えるでもなく
向かう先は鏡台であつた。酪農家妻にとって、ようやくこんな「しあわせ」な時間を作って上げられた・・・と
勝手に思った。ごく当たり前のことだが・・・。
しかし・・すでに時は前期高齢者に向かおうとしている。
「しわだらけ」の手を写さないで・・と随分言われたが、「これも楽しい思いでの歴史」と言う事で
納得と理解していただいた。

       

    


 今は全くちがうだろう~~。
酪農家の生活スタイルも経営スタイルも、超近代的になっていることは事実である。

 私達老夫婦の今を山奥で生きる楽しい生活スタイルだ。
鏡台は何時の歳になっても必要なものであることは間違いない。
  
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送る

2024-03-11 19:32:54 | Weblog
 先日、ある研修会のプログラムの中に「宗谷の人を呼び込む高付加価値の取り組み」というテーマの
パネルディスカッションが組み込まれ、私もパネリストとして参加する機会をいただいた。呼び込むための
様々な方策をあみだし「是非ともわが町へ~」「是非ともわが農村へ~」と呼びかけられる。私も実際に
都市に出かけ、フォーラムなどで声を大にして若者や感心のありそうな人達に声をかけてきた。
ありがたい事に、私達の呼びかけに応えてくれて何人もの方々が体験的に訪れていただいたりした。
そんな人達には皆で「おもてなし」をして歓迎したものだ。

 過去に私達の集落では地域の取り組みとして30年近く前に山村留学の事業を行い都市から人を呼び込む
取り組みをした。14年間ほど続けた。そして、学校を守り地域も活性化た。
しかし・・良いことばかりでは無く沢山の苦い経験もある。
せっかく来ていただいても「数年で帰ってしまったり・・・」「体験にきただけでもう来なかったり・・・」。
他の町や同じ取り組みをしている組織との見比べされたり・・・。
その度にどんなことを反省をし、体制をどう立て直すかが大きな課題となって残っていた。受入れ体制が
不充分なままでの「来て下さい」は決して成功しないことは承知していた。
そんな過去の取り組みの経験は大いに活かされてきた事もあったが、人任せ、責任逃れも沢山り何度も失敗した。

 数日前、一人の若者が「お世話になりました」と挨拶に来られた。
都市での呼びかけの際に出会った方だった。「おもてなし」をし、大歓迎し来てくれたことに誇りに思っていた。
その方に私は「申し訳ありませんでした」と私は心からわびた。同時に期待と喜びを持って来てくれ
その期待に応えてあげられず、若者の人生を大きく狂わせてしまった責任の重大さを感じ落ち込んだ。
合わせて、相談に乗ってあげられなかったことも悔やんだ。
しかし・・・ささやかに、ひっそりと3時間かけて、昼間の焼き肉で「送る」事ができた。(涙)

            
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後期高齢者の過ごし方

2024-03-10 12:51:07 | Weblog
 昨日、元気な声で所用もかねて訪ねてくれた方がいた。
近くに住んでいても何十年ぶりかの再会であつた。ある組織の従業員として働き責任感も強く良く働いて
くれた記憶が残っている。顔を見るなり「おがわさん!牛をやめても朝は早くから目がさめているんで
しょう~、何をやって毎日すごしているの~」私が話しに入るこむすきも無く、次から次へと話が
進む。「語り口含めて昔のままだ・・」と思った。

 歳を聞くと前期高齢者にさしかかろうとする若者だ(私からすると)。
「両足が痛くていたくて・・・」と聞きもしないのに体調を説明してくれた。
それでも頑張って働いているという。すかさず私は「お金は使わないと価値がわからないですよ~」とたし
なめた。「元気な内に遊びに行かないと・・」と続けた。介護のお世話にならないように体を大切にしな
いとね~~と。  更に話は続いた。

 「私は最近、高齢者の過ごし方の本を立て続けに何冊かよんだよ」~と。そのシメとして、いま森久美子
さんの「オーマイダットと言う本を読んだよ」と。「貴方はお母さんは二人で暮らしているの」「イヤイヤ
お袋は施設で生活している」と言う。奥さんもいないから一人暮らしだ。

 オーマイダット・・大変なご苦労されて親の介護をされている実話だ。森さんは本を書き講演にでかけたり
公職的な仕事に任命されたり・・何不自由ない生活を楽しんでいるんだ・・と思っていたら、壮絶な介護との
二刀流で生活を楽しんでいる様子に敬服した。私なんか5日も持たないだろう~と自分の姿と重ね合わせた。
どこからそんな力がわいてくるのだろう~~とも思った。

             

                  

 この本から沢山の気づきが私にはあつた。
「ポックリ逝くのが1番だ、何時死んでもいいんだよなあぁ~」などなど人生の終末のこと、後期高齢者の
過ごしかた、どんな死に方をしたいかなど・・真剣に考えたことなど無かったことだ。自宅で過ごそうが、
施設で過ごそうが、病院で過ごそうが・・・ほどほどの迷惑介護で終わるような後期高齢者時代を過ごす
ことの大切さを・・。
オーマイダットは、自分で仕事を持ちながら優秀な介護をする娘さん。
介護する人にとっても
される人にとってもとても参考になる実話なのかも知れない。

 私の森久美子さとの出会いは30年近くも前になろだろうか~。
何度も出札の際は杯を共にしていただいたことがあつた。感謝に堪えない。
昨年の9月にも森さんの担当するラジオ番組にも妻と共に生出演させていただいた。良い思い出だ。

           

    

 いま介護してご苦労している方とってもとても勇気のもらえる一冊かも。
そして・・もし、これから介護のお世話になるかも知れない方にとってもどんな後期高齢者の過ごし
方が良いのかの参考になるかも・・・。手に取ってみてはいかがでしょうか。

            



 

  

            

 

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