ぶんちゃん日記

最北の、何もない静かな山奥「ぶんちゃんの里」のオーナーの交流日記です!

興浜北線

2024-09-04 17:42:10 | Weblog
 今から39年前の1985年まで、浜頓別町と枝幸町の30㎞をむすぶ国鉄のレールバスが走っていた。
枝幸町オホーツクミュージアムで「興浜北線の記憶の展示会」が開催されていることを知り、見学に
行ってきた。
ちょうど酪農実習生のお嬢様への、宗谷南部地方の歴史的な勉強にもなると思い同行させた。

 興浜北線はとても懐かしい鉄道だ。
私が中学校、高校時代は通学用として毎日乗車していた。私たちの集落の中にも駅舎があり「豊牛駅」と
言った。浜頓別駅と豊牛駅間はわずか7㎞。車もない時代、通学、買い物には重要な足だつた。

 我が家から「豊牛駅」までは5㎞。歩いて1時間以上はかかった。そこから乗車して10分程度で浜頓別駅
についていた。当時のレールバスは小型の気動車で車掌室もなく車掌さんは真ん中の入り口にお客さん
と一緒に立っていた。もちろん運転手室も棒で囲まれている程度だったと記憶している。

           

 強風や吹雪の時は時々、運休したりしていた。
展示の中に当時の新聞記事があった。
「9日間も吹雪で除雪が出来なく運休し、牛に食べらすエサがなくて酪農家が困ったこと」が書かれた
ものもあった。おそらく貨物車が飼料などをはこんでいたのでしょう。
私たちもレールバスが運休になると学校も休みになって喜んだ事も思い出した。
展示物を見て懐かしくも思い、勉強にもなった。

           

           

 当時の沢山の懐かしい興浜北線の写真や関する新聞記事が展示されていた。
沢山の貨物車や電車の写真、線路の様子などなど・・・浜頓別町の考古学者でもあった
今は亡き「佐藤豊氏」が撮影した沢山の写真も展示されていた。写真に残されていたことに感動と記録を
残す事の大切さを感じた。

 興浜北線は、「1936年に開業し1981年の国鉄の第1次廃止対策路線になって1985年に廃線になった」と
の記録を読んできた。

          

          

 展示がおわるまでの間に再度見学に行き、記録物をジックリ見たいと思った。私たち自身の歴史を
感じた瞬間でもあった。
お嬢様には興味があったかどうかは分からないが、鳥獣の剥製、考古学などに目をやっていた。

         

 途中、お嬢様にはオホーツク海を身近で見ていただいた。
オホーツクの磯の臭いをかみ、流氷の押し寄せる話もしてあげた

         

           

 昼食も元気に食べて終わった。

          

         
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