南無煩悩大菩薩

今日是好日也

よき歴史家であるために。

2014-03-14 | 世界の写窓から
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私たちは歴史をなるべく正確に学んでおく必要があります。憶測や短絡的かつ安易な帰結は禁物です。

なぜなら、歴史の文脈が途切れることでそれまでの知恵の宝庫が更地になってしまう恐れがあるからです。

例えば新しく住む家に邪魔な棚があったとします。しかしそこに至った経緯を正しく把握していないと、どうして棚を設けたのか知らないまま、それを取り壊すおそれがあります。歴史の知見で防備しておけば、その棚は本当に不要で取り除くべきだと認識できるかもしれないし、あるいは、そのままにしておく理由が見つかるかもしれません。

つまりは、所属する集団の歴史を知れば、様々な出来事や我々自身が今なお続く物語の一部であり、自分自身よりも大きなものの一部であることを理解するようになるということなのです。

我々がよき歴史家であるためには、知的な誠実さを持って事実に向き合う必要があるのです。驚くことがあっても広い心で事実を見つめることが大事だと思います。

ではなぜ、インドネシアのニューギニアのイリアンジャヤというところの男性は他とは異なるガードをペニスに施しているのか?邪魔ではないのか?そしてその大きさ長さの個人差は何を意味するのか。
「自分自身よりも大きなものの一部」であることの理解に向けて、広い心で事実を見つめることから始めてみたいと思います。