南無煩悩大菩薩

今日是好日也

朝帰りと巣作りの関係。

2009-03-11 | 酔唄抄。

烏の巣作りを見つけた。

巣とは、性質的には、子育て場所というか揺り篭とかいうべきかも知れない。家族みんなでゆっくり眠るスペースとしてはやけに小さい。

蜘蛛の巣や蜂の巣蟻の巣などと、鳥の巣はちょいと趣は異なるだろう。

そう考えれば、家というものと巣というものも、確かに趣が違う。


宵越しの酔っ払いはよく、家に帰るとはいわず、「巣に帰る」という言い回しをするが、なるほど理である。

巣は、ある目的の為の便宜上の、簡易的で、一時的にしか主には居場所のないものかもしれない。

住むためではなく、育む為にいそしむ役目のものに、だらだらする居場所は必要ないということは、至極当然合理的な、巣作りになるのである。


巣のような家しかない。となげくご同輩よ。

嘆くことなかれ、我々は徘徊狩猟の雄雄しい血を色濃く残している。

家で安らぐよりも、巣の中身の為のミッションを優先しているのだ。

巣にはえさを、巣からはゴミを、供給と排除という大事な役目。

いない方が快適だといわれる前に、自覚するこの素晴らしさよ。

雌のカラスが、時にやさしく時にけたたましく雄を呼ぶのは、逢いたいからではなく、巣作りをせかす為であり、それに答えるべく今日も呑んであけがらす。




などと、勝手な言い訳を想いついた。からすの巣。

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