南無煩悩大菩薩

今日是好日也

凛。

2006-11-13 | つれづれの風景。

寒気が身を引き締める。

早朝の清涼な冷凛をつま先まで大きく吸い込む。

一片の雲が颯爽と横切る。


願わくば、凛然たる私でありたいとおもうのであります。

たとえ取るに足りない、川原の雑草であろうとも。

願わくば、その心持においてだけでも。


すっく。と立ってみる。

寒さに、すすきに、抗しきれない自分を励ましてみる。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五色の祈。

2006-11-11 | つれづれの風景。

鈴が笑っている。

幾人の祈りに答えてきたのか。


あるがままの真っ白で恥ずかしくないかい。

緑萌えるが如く心豊かで過ごせてるかい。

真っ青になるようなことをしでかしてないかい。

赤い情熱を失ってはいないかい。

注意の黄信号を見逃してはいないかい。


・・・。


祈りは問いかけに変わる。

つかんで振れば、警告の鈴。


のようにもみえる。

私は果たしてよい鈴の音を響かせられるだろうか。


・・・。



やがては。人は自分の為に祈ることをやめるだろう。

ただただ手を合わせて無心になるだろう。

自分ではどうしようもない人や物事のために。

それが、祈りと言うものかもしれない。


鈴は。笑っている。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猫じゃらし。

2006-11-10 | つれづれの風景。

猫じゃらし。じゃれつくのは猫じゃなし。

愚禿がじゃれつく人じゃらし。

ひとじゃなしひとでなしの禿がじゃれつく猫じゃらし。ああ。禿じゃらし。


手で包んでむぎゅむぎょっとやると。動くのであります。

お。面白いわい。

じゃれ付くものが欲しくなるのは猫だけにはかぎりませぬなぁ。

手慰み。はては南京玉簾。

ちょいとひねればちょいとひねれば福の神。ああ福の神。

いかんいかん。

挙動不審のわたしごと。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見立て。

2006-11-09 | つれづれの風景。

風の轍か。

獣の寝床か。


痕跡から想いをめぐらせることはよくあることだ。

人の振る舞いや。
容姿や。
言葉使いや。
態度も。

それぞれの今は、それぞれの痕跡。

結局。なにもかもさらけ出して生きている。

見立てで気をつけなければいけないことは。

想いを巡らせることと、妄想との区別だろう。

綺麗な見立ては、心を豊かにする。



もしかしたらこの草の痕跡は。
だれかさんとだれかさんが麦畑・・・。

・・・だめな妄想の私。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飛び石。

2006-11-08 | つれづれの風景。

市松模様に並ぶ石。

人気の無い山中の庵。

檜肌でふいた小山門、その向うのくぐり戸。

まばらの杉苔と、ちらばる落ち葉。

かすかに。走り百舌遠くに一声。

踏み込まない。踏み込めない。

目をつぶり。覚醒する静けさ。遠ざける喧騒。

・・・。


枯れている。・・・私ではありませんよ。

枯淡。所作なくたたずみながらも、生き返るなにか。

人を導く道ながら、亡者を拒絶するなにか。

飛び石。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穏座の初もの。

2006-11-07 | つれづれの風景。

食べ物にも旬がある。

最初が初物を走りという。そして旬、終わりのほうを穏座の初物と言う。

らしい。

よい言葉ではありませんか。


華にも、旬がある。

走り秋桜、乱舞総華の旬を過ぎ、ぽつねんと咲く穏座の秋桜。


鰹であれば、穏座の初物といえば戻り鰹にあたる。

初鰹は、すっきりと身が締まって美味い。戻り鰹は、脂がのってふくよかに美味い。旬の時期はもちろん一級の美味だ。

初物を頂く。旬のものを頂く。終わりものを頂く。

えべっさんのお祭りも、最終日は残り福という。


華でも食べ物でも人にも旬というものはあろう。

大勢は、旬をおいかけ、旬こそが食べごろ見ごろ使い頃という。

しかししかし。旬を逃したからと言って何も悲観することはない。

穏座の初ものなのだ。

この華には、何か玄人好みのする、色気が湧き上がるではないか。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薄箒。

2006-11-06 | つれづれの風景。

天高く薄伸びる秋。

すすきすすき何見て伸びる。十五夜お月はんみて伸びる。

ええ月にええ風にええ空にのびよる。

重たかったらあきません。軽く薄く延びるのがよろしい。

掃いておくんなはれや。

しょうもないものみんな。


軽くさっと流す憂い。

達人でおますわな。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土に大根。

2006-11-04 | つれづれの風景。

土はすごい。大根もすごい。

自らがすごい。

粛々と土であり、大根である。

土を手にとって見る。

大根を育む意志が、どこかに感じられるだろうか。


青い葉っぱが真っ白な大根をむくむくと肥え太らせていく。

あのみずみずしくももち肌の艶と豊潤は、泥臭く荒々しい土に抱かれる。

土に大根。


日々柔らかくなる陽光を精一杯集め、秋の風に揺れる大根の芽だし葉。

来るべき大成の冬に、秘めたる、土中の格闘を軽く美しくしている。

すごいものどおしが、すごいことをしている。

人は耕し、植え付ける。すごいものがそれに答える。

人と土と大根。


人も自然の一部。

美しい風景とは、本来すごいことをすごいと素直に思える風景。

人工的な営みも、自然には無い共生の痕跡を風景に高める。


美しくない風景は、やはりどこかが間違っているのだろう。

その行為が美しいかどうかは、風景として見出される。


人は、考えるゆえに、度々間違いをおかす。

それも自然と言えば自然なんだろう。


広く大きな心か・・・。
やっぱり。土と大根はすごい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水の傘。

2006-11-02 | つれづれの風景。

澄みゆく水を被る。

光の揺れる透明な中に入る。

うずくまりくぐもる心が晴れる。

受け取らざるを得ない世のたまの愚かしき怒りが消えていく。

ではそちらはそちらの道を。私は私の道を。


わたしはわたしじしんの水の傘。

透明な意志。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

路傍の華。

2006-11-01 | つれづれの風景。

ちさきものなれど。

きりりとつけよ。

足下の実。

つっとたちどまりしゃがみこむ。

ぷるるんとゆれた。


みあげたものだよ路傍の華。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする