南無煩悩大菩薩

今日是好日也

不惑の人

2016-08-25 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。
(写真/幸徳秋水

無常迅速生死事大と仏家は頻りに嚇して居る。

生は時としては大なる幸福ともなり、又時としては大なる苦痛ともなるので、如何にも事大に違いない。

然し死が何の事大であろう。

人間血肉の新陳代謝全く休んで、形体・組織の分解し去るのみではないか。

死の事大ということは、太古より智恵あるひとが建てた一種の案山子である。

地獄・極楽の蓑笠つけて、愛着・妄執の弓矢放さぬ姿は甚だ物々しげである。

漫然遠く之を望めば誠とに意味ありげであるが、近づいて仔細に之をみれば、何でもないのである。

私は必ずしも強いて死を急ぐものではない。

生きられるだけは生きて、内には生を楽しみ、生を味わい、外には世益を図るのが当然だと思う、

左りとて又賎しくも生を貪らんとする心もない、

病死と横死と刑死とを問わず、死すべきの時ひとたび来らば、十分の安心と満足とを以て之に就きたいと思う。

今や即ち其時である。是れ私の運命である。

-幸徳秋水、死刑の前にて、その人生四十に届かず-

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2 コメント

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煩悩先生へ (sugiura)
2016-08-26 07:18:54
大きな感銘を受けます。幸徳秋水の名前、大逆事件程度にしか知りませんでした。

心、考えはその姿勢に伝わってきます。無為にしか過ごせない身では苦しい。

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sugiura様 (煩悩)
2016-08-26 16:40:55
為にならねば「為すこと無かれ」

無為は上善、また然り。
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