(写真/幸徳秋水)
無常迅速生死事大と仏家は頻りに嚇して居る。
生は時としては大なる幸福ともなり、又時としては大なる苦痛ともなるので、如何にも事大に違いない。
然し死が何の事大であろう。
人間血肉の新陳代謝全く休んで、形体・組織の分解し去るのみではないか。
死の事大ということは、太古より智恵あるひとが建てた一種の案山子である。
地獄・極楽の蓑笠つけて、愛着・妄執の弓矢放さぬ姿は甚だ物々しげである。
漫然遠く之を望めば誠とに意味ありげであるが、近づいて仔細に之をみれば、何でもないのである。
私は必ずしも強いて死を急ぐものではない。
生きられるだけは生きて、内には生を楽しみ、生を味わい、外には世益を図るのが当然だと思う、
左りとて又賎しくも生を貪らんとする心もない、
病死と横死と刑死とを問わず、死すべきの時ひとたび来らば、十分の安心と満足とを以て之に就きたいと思う。
今や即ち其時である。是れ私の運命である。
-幸徳秋水、死刑の前にて、その人生四十に届かず-
無常迅速生死事大と仏家は頻りに嚇して居る。
生は時としては大なる幸福ともなり、又時としては大なる苦痛ともなるので、如何にも事大に違いない。
然し死が何の事大であろう。
人間血肉の新陳代謝全く休んで、形体・組織の分解し去るのみではないか。
死の事大ということは、太古より智恵あるひとが建てた一種の案山子である。
地獄・極楽の蓑笠つけて、愛着・妄執の弓矢放さぬ姿は甚だ物々しげである。
漫然遠く之を望めば誠とに意味ありげであるが、近づいて仔細に之をみれば、何でもないのである。
私は必ずしも強いて死を急ぐものではない。
生きられるだけは生きて、内には生を楽しみ、生を味わい、外には世益を図るのが当然だと思う、
左りとて又賎しくも生を貪らんとする心もない、
病死と横死と刑死とを問わず、死すべきの時ひとたび来らば、十分の安心と満足とを以て之に就きたいと思う。
今や即ち其時である。是れ私の運命である。
-幸徳秋水、死刑の前にて、その人生四十に届かず-
無為は上善、また然り。
心、考えはその姿勢に伝わってきます。無為にしか過ごせない身では苦しい。