南無煩悩大菩薩

今日是好日也

恙なし

2020-05-06 | 世界の写窓から
(photo/source)

「私は敗残者だ 負け犬だよ その運命を受け入れる 修正は不能だ だがいずれ変わる 絵を描くときだけは 生の実感がある」

かのゴッホ画伯は、こんな書簡を弟のテオに送っている。

「生の実感」とは「生の意味」など考える必要もないほど強烈なものだろうと思える。

私は未だかってそれほどのことを知る者ではない。

翻って、生物には紡錘細胞と言われるものがある。紡錘細胞は、人間では、感情や共感、社会的交流をつかさどるものと言われており、「人間を人間らしくする細胞」だそうだ。ちなみに鯨には人間の三倍も多くあるそうだが。

もとい。

たとえば、人に「ズル」をされた経験は誰にでもあるだろう。ズルをすることに関して言えば、ズルをする人なら、ズルい人と付き合うのも構わないだろう。けれども誠実な人は、ズルをする人には近づきたくないと思っている。

ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)と言うのは元来そう云う事かなとも思うが、今様では近づきたくない人に限らず身体的距離をとりなさいと言うことを指しているのだろうと理解している。

それにつけても、生の実感、恙なし。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 真と実と。ーLIVING | トップ | ゴールは逃げる »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

世界の写窓から」カテゴリの最新記事