中世期頃に始る大航海時代は、殖民の時代である。
自縛せざるを得ない可能性からの、開放の時代である。
大量輸送が可能になると、人間格差社会に悩む幾多の人々が新天地を求めた。
「自由」という言葉を生み出した時代である。
フロンティアスピリッツの萌芽と実践。意識の大ジャンプの時代であろう。
しかし。どこにいっても先住民がいた。
双方とも競い合う列強同士の思惑に翻弄された。
共存か。駆逐か。
争うか。受容れるか。
一歩間違えば、大後悔時代でもある。
ちなみに、どうでもいいことだが、ニューヨークという地名は、もとは、オランダの入植が先で、ニューアムステルダムという地名であった。イギリスに割譲された時の統括者が、ヨーク伯であったことから、ニューヨークなのである。
バージニアなどという地名もエリザベス1世が処女のまま、皇位を継承したところから来ている。
ほんとかどうかは、よくわからないが。
もひとつどうでもいいが、イースター島なぞも、見つけた日が復活祭(イースター)の日であったためである。
どれもこれも、どうでもよくないような本当の名前を知りたくてしょうがない。
日本には、名は体を表すような土着的地名を自らの発音で世界に伝えられてよかったのである。
先人に感謝。
ただ、ニュートーキョーは、酒場でよかったとも思う。
それより以前の。古代からの移住者は、大陸移動との連動や、小さく頼りない船にて、移動を敢行した地道な開拓者達であった。
リスクの大小で言えば、島伝いとはいえ、北東アジアよりオーストラリアまでの大移動を完遂したと言われるアボリジニ族の祖先なぞは、大した者である。
またまた、どうでもいいが、アボリジニ族は、日本人と同じようにお尻に蒙古斑ができるとも聞く。割合近い兄弟かもしれない。いわゆる、しりあい。なのである。
どちらにしても、先住民にとって大航海時代は、社会形態や民族系統が激変する大災害時代であったともいえる。
持ち込まれたものは、免疫のない疫病や必要のない列強社会の論理であり、今日、それまでの純化系統を維持している民族はいない。
純化系統は、環境変化に弱いとはいうものの、急激な変化が生み出された時代の功罪を思う。
人の歴史において、世界規模および高速での人類再編に向かうネオ時代の起爆点が、大航海時代といえそうだ。
現在は、同様に大情報時代である。
世界規模・高速という点で、比にならない爆発の時代である。
侵略者も移住者も先住者もない。全てが互いに流れ合うのである。
押し寄せるウィルス、流れ込む新たな論理に、私達は、この時代の航海に適した術を導き出す必要がある。
現在の旧弊列強がもたらす「智」の植民地では、移民たちによって、自己認識のうちに、連帯と融合による、新たなユナイテッドステイツが創られるだろう。
情報の波が、時代のフロンティアたちを新天地に導くだろう。
現在、私達は19世紀の最も情報量豊富な、平均的英国紳士の、一生分の情報を、誰でもが、一日で手に入れることの出来るレベルにまでなっているのだ。
歴史は常に、離反と融合を繰り返してきた。
郷に入れば、郷に従え。 郷を出れば、郷を忘れよ。
人間は人間である以上世界の誰とでも交配はできる。
「英知」という名の交配は、時代を待たない。
柔軟な対応を取った者達の遺伝された末裔達が又未来への航海の権利を得る。
結局。なにを書きたいかといえば、船に乗った仏様のことである。
仏様は、大航海の末、災いではなく福を運んできた人たちに対するアイコンなのだ。
だから、ほとけさまは、末代までありがたいのである。