1・17阪神・淡路大震災で私の人生は変わりました。
あの時、私はボランティア仲間と一緒に『救援物資』を積んで神戸に向かいました。
西宮くらいから、倒壊した家が所々に見られ、芦屋市役所に着いた時には、倒壊した家々・・・
芦屋市役所の中には、ダンボールを敷いて避難されている人が溢れていました。
市役所で受付をして、救援物資を芦屋川河口の倉庫へ運ぶボランティアに加わりました。
途中の道はアスファルトがめくれ上がり、4輪駆動のジープでもバウンドして、しっかりつかまっていなければ振り落とされそうでした。
甲南大学時代の懐かしい思い出の芦屋が壊れていました。
倒壊した一軒の家の前に、「花」が備えられていました。「ここに○○眠る」と残った板に書かれていました。
その時、私の中で何かが変わりました。大きく音をたてて崩れていきました。
それまで私は、法律専門学校で講師をしながら、10年間にわたり家族を犠牲にして司法試験に挑戦していました。
弁護士になって、市民活動をして、政治家になるのが夢でした。
それは高校を卒業後、海上自衛隊に入隊し潜水艦乗組員として日本の平和を守る仕事をしていたからです。
江田島の資料館で涙を流しながら戦場に赴く若者の手記を読みました。
「もう二度と戦争をしてはいけない!」と心に強く思いました。
2年間の曹候補学生の訓練を終え部隊に配属される際に、同期のみんなに「みんなは国を守る仕事をして欲しい。私は守るべき国を創りたい。」と言って退隊し、大学に進みました。
参観日も行ったことがなく、家族で出かけるのは一年に一度、択一試験の前日に動物園に行くだけでした。
「合格したら家族のためにこんな事をしよう。いつかいつか・・・しよう。」と考えていました。
でも、一瞬で命を失った人々を見て、私の中で「今、やれることをしよう!」と変わったのでした。
司法試験への挑戦をやめ、経営コンサルタント事務所に転職しました。
小学校のPTA活動にも参加し、地域の活動にも出るようになりました。
子どもたちとの時間も持つようになりました。
自分が変わってからは、不思議な「縁」で今の私がいます。
それから、皆さんに支えていただき大阪府守口市議会議員を2期、東京都東村山市議会議員を3期目を務めさせていただき議員生活18年となりました。
あの時、あの場所で、私は「生まれ変わった」ように感じます。
阪神・淡路大震災で被災された多くの皆様に、改めて哀悼の意を表しますとともに、貴重な教訓を今後も生かしていきたいと思います。
そして、ヒラリークリントンさんのこの言葉に元気もらいました!
「私は、自分が信じるもののために、生涯をかけて戦ってきました。勝ったことも、負けたこともあります。辛い思いもしました」
「あなたは、価値がある存在で、しかも力強い。あなたの夢を実現する機会を追い求めるに値するんです。そのことを、決して疑わないで」
また、テレビで観た真田丸のこの言葉に元気もらいました!
「望みを捨てぬ者だけに道は拓けるとそなたは、言った。
わたしは、まだ捨ててはいない。」
<以下、万人幸福の栞から抜粋>
希望は心の太陽である!
うまく行かぬから、望みを失うのではない。
望みをなくするから、崩れて行くのである。
太陽の光と熱とが無限であるように、希望はいくら燈しても尽きる日はない。
あの時、私はボランティア仲間と一緒に『救援物資』を積んで神戸に向かいました。
西宮くらいから、倒壊した家が所々に見られ、芦屋市役所に着いた時には、倒壊した家々・・・
芦屋市役所の中には、ダンボールを敷いて避難されている人が溢れていました。
市役所で受付をして、救援物資を芦屋川河口の倉庫へ運ぶボランティアに加わりました。
途中の道はアスファルトがめくれ上がり、4輪駆動のジープでもバウンドして、しっかりつかまっていなければ振り落とされそうでした。
甲南大学時代の懐かしい思い出の芦屋が壊れていました。
倒壊した一軒の家の前に、「花」が備えられていました。「ここに○○眠る」と残った板に書かれていました。
その時、私の中で何かが変わりました。大きく音をたてて崩れていきました。
それまで私は、法律専門学校で講師をしながら、10年間にわたり家族を犠牲にして司法試験に挑戦していました。
弁護士になって、市民活動をして、政治家になるのが夢でした。
それは高校を卒業後、海上自衛隊に入隊し潜水艦乗組員として日本の平和を守る仕事をしていたからです。
江田島の資料館で涙を流しながら戦場に赴く若者の手記を読みました。
「もう二度と戦争をしてはいけない!」と心に強く思いました。
2年間の曹候補学生の訓練を終え部隊に配属される際に、同期のみんなに「みんなは国を守る仕事をして欲しい。私は守るべき国を創りたい。」と言って退隊し、大学に進みました。
参観日も行ったことがなく、家族で出かけるのは一年に一度、択一試験の前日に動物園に行くだけでした。
「合格したら家族のためにこんな事をしよう。いつかいつか・・・しよう。」と考えていました。
でも、一瞬で命を失った人々を見て、私の中で「今、やれることをしよう!」と変わったのでした。
司法試験への挑戦をやめ、経営コンサルタント事務所に転職しました。
小学校のPTA活動にも参加し、地域の活動にも出るようになりました。
子どもたちとの時間も持つようになりました。
自分が変わってからは、不思議な「縁」で今の私がいます。
それから、皆さんに支えていただき大阪府守口市議会議員を2期、東京都東村山市議会議員を3期目を務めさせていただき議員生活18年となりました。
あの時、あの場所で、私は「生まれ変わった」ように感じます。
阪神・淡路大震災で被災された多くの皆様に、改めて哀悼の意を表しますとともに、貴重な教訓を今後も生かしていきたいと思います。
そして、ヒラリークリントンさんのこの言葉に元気もらいました!
「私は、自分が信じるもののために、生涯をかけて戦ってきました。勝ったことも、負けたこともあります。辛い思いもしました」
「あなたは、価値がある存在で、しかも力強い。あなたの夢を実現する機会を追い求めるに値するんです。そのことを、決して疑わないで」
また、テレビで観た真田丸のこの言葉に元気もらいました!
「望みを捨てぬ者だけに道は拓けるとそなたは、言った。
わたしは、まだ捨ててはいない。」
<以下、万人幸福の栞から抜粋>
希望は心の太陽である!
うまく行かぬから、望みを失うのではない。
望みをなくするから、崩れて行くのである。
太陽の光と熱とが無限であるように、希望はいくら燈しても尽きる日はない。