希望は心の太陽である!「今、やれることをしよう!」

2017年09月29日 | プロフィール
1・17阪神・淡路大震災で私の人生は変わりました。

あの時、私はボランティア仲間と一緒に『救援物資』を積んで神戸に向かいました。

西宮くらいから、倒壊した家が所々に見られ、芦屋市役所に着いた時には、倒壊した家々・・・

芦屋市役所の中には、ダンボールを敷いて避難されている人が溢れていました。

市役所で受付をして、救援物資を芦屋川河口の倉庫へ運ぶボランティアに加わりました。

途中の道はアスファルトがめくれ上がり、4輪駆動のジープでもバウンドして、しっかりつかまっていなければ振り落とされそうでした。

甲南大学時代の懐かしい思い出の芦屋が壊れていました。

倒壊した一軒の家の前に、「花」が備えられていました。「ここに○○眠る」と残った板に書かれていました。

その時、私の中で何かが変わりました。大きく音をたてて崩れていきました。

それまで私は、法律専門学校で講師をしながら、10年間にわたり家族を犠牲にして司法試験に挑戦していました。

弁護士になって、市民活動をして、政治家になるのが夢でした。

それは高校を卒業後、海上自衛隊に入隊し潜水艦乗組員として日本の平和を守る仕事をしていたからです。

江田島の資料館で涙を流しながら戦場に赴く若者の手記を読みました。

「もう二度と戦争をしてはいけない!」と心に強く思いました。

2年間の曹候補学生の訓練を終え部隊に配属される際に、同期のみんなに「みんなは国を守る仕事をして欲しい。私は守るべき国を創りたい。」と言って退隊し、大学に進みました。

参観日も行ったことがなく、家族で出かけるのは一年に一度、択一試験の前日に動物園に行くだけでした。

「合格したら家族のためにこんな事をしよう。いつかいつか・・・しよう。」と考えていました。

でも、一瞬で命を失った人々を見て、私の中で「今、やれることをしよう!」と変わったのでした。

司法試験への挑戦をやめ、経営コンサルタント事務所に転職しました。

小学校のPTA活動にも参加し、地域の活動にも出るようになりました。

子どもたちとの時間も持つようになりました。

自分が変わってからは、不思議な「縁」で今の私がいます。

それから、皆さんに支えていただき大阪府守口市議会議員を2期、東京都東村山市議会議員を3期目を務めさせていただき議員生活18年となりました。

あの時、あの場所で、私は「生まれ変わった」ように感じます。

阪神・淡路大震災で被災された多くの皆様に、改めて哀悼の意を表しますとともに、貴重な教訓を今後も生かしていきたいと思います。

そして、ヒラリークリントンさんのこの言葉に元気もらいました!

「私は、自分が信じるもののために、生涯をかけて戦ってきました。勝ったことも、負けたこともあります。辛い思いもしました」

「あなたは、価値がある存在で、しかも力強い。あなたの夢を実現する機会を追い求めるに値するんです。そのことを、決して疑わないで」

また、テレビで観た真田丸のこの言葉に元気もらいました!

「望みを捨てぬ者だけに道は拓けるとそなたは、言った。

わたしは、まだ捨ててはいない。」

<以下、万人幸福の栞から抜粋>

希望は心の太陽である!

うまく行かぬから、望みを失うのではない。

望みをなくするから、崩れて行くのである。

太陽の光と熱とが無限であるように、希望はいくら燈しても尽きる日はない。


「私は、自分が信じるもののために、生涯をかけて戦ってきました。・・・」元気もらいました!

2017年03月12日 | プロフィール
「私は、自分が信じるもののために、生涯をかけて戦ってきました。勝ったことも、負けたこともあります。辛い思いもしました」

「あなたは、価値がある存在で、しかも力強い。あなたの夢を実現する機会を追い求めるに値するんです。そのことを、決して疑わないで」

元気もらいました!

これも座右の銘にしたい!

2005年1月15日 1・17阪神・淡路大震災から10年

2017年03月12日 | プロフィール
いつもありがとうございます。

2005年1月15日のブログから

1・17阪神・淡路大震災から10年ですね。
あの時、私はボランティア仲間と一緒に『救援物資』を積んで神戸に向かいました。

西宮くらいから、倒壊した家が所々に見られ、芦屋市役所に着いた時には、倒壊した家々・・・
芦屋市役所の中には、ダンボールを敷いて避難されている人が溢れていました。

市役所で受付をして、救援物資を芦屋川河口の倉庫へ運ぶボランティアに加わりました。
途中の道はアスファルトがめくれ上がり、4輪駆動のジープでもバウンドして、しっかりつかまっていなければ振り落とされそうでした。
甲南大学時代の懐かしい思い出の芦屋が壊れていました。

倒壊した一軒の家の前に、「花」が備えられていました。「ここに○○眠る」と残った板に書かれていました。
その時、私の中で何かが変わりました。大きく音をたてて崩れていきました。

それまで私は、専門学校で講師をしながら、10年間にわたり家族を犠牲にしながら、
司法試験に挑戦していました。
弁護士になって、市民活動をして、政治家になるのが夢でした。

参観日も行ったことがなく、家族で出かけるのは一年に一度、択一試験の前日に動物園に行くだけでした。
「合格したら家族のためにこんな事をしよう。いつかいつか・・・しよう。」と考えていました。

でも、一瞬で命を失った人々を見て、私の中で「今、やれることをしよう」と変わったのでした。
司法試験への挑戦をやめ、経営コンサルタント事務所に転職しました。
小学校のPTA活動にも参加し、地域の活動にも出るようになりました。
子どもたちとの時間も持つようになりました。

自分が変わってからは、不思議な「縁」で今の私がいます。
本当に10年間は、あっという間でした。
あの時、あの場所で、私は「生まれ変わった」ように感じます。

阪神・淡路大震災で被災された多くの皆様に、改めて哀悼の意を表しますとともに、貴重な教訓を今後も生かしていきたいと思います。

安全を守るプロ!リスク管理のプロ!法律のプロ!

2015年04月17日 | プロフィール
「ありがとう!」 笑顔あふれるはずむまち 地域活性化の政策提言を心掛けている東村山市議会議員“おくたに 浩一”です。

☆1期目・2期目の実績

〇駅前路上喫煙等の防止に関する条例制定を提案、東村山駅・久米川駅周辺が「路上喫煙防止推進地区」に指定

〇公立小中学校の普通教室にエアコン設置を提案、2年間約9億円の予算をかけて設置

〇「ビン缶及び不燃物処理の方法」に関する住民投票条例案、野火止分室の児童クラブ費を減額する条例案を議員として提出し、その提案説明と質疑に対しての答弁

〇リサイクルセンターの「びん・缶」選別ラインをまとめて1本にすることを提案、「びん・缶」が同一袋で個別収集に

〇「赤ちゃんの駅」ステッカーを提案、市内の各施設にステッカー

☆3期目にかける思い

〇 認知症徘徊所在不明者のSOSネットワークとデジタル化された防災行政無線・一斉メールを使っての捜索訓練を実現させます!
 
〇 健康寿命増進のためコミバスにシルバーパスを提示してチケットをもらい更新時に80円キャッシュバックする高齢者割引制度を実現させます!


<おくたに浩一はこんな人>

元海上自衛隊潜水艦乗組員 ⇒ 安全を守るプロ!

元東京海上火災保険損保代理店 ⇒ リスク管理のプロ!

行政書士 ⇒ 法律のプロ!

市議会では、1期目、2期目とも都市整備(前環境建設)委員長を務める。


◎競艇・競輪組合議会議員報酬を2014年4月から受け取り拒否しています。

四市競艇事業組合議会議員報酬の2015年3月末までの供託額26万3,498円(予定)

十一市競輪事業組合議会議員報酬の2015年3月末までの供託額52万6,996円(予定)

★ NO! 選挙カー★

 私は、2007年4月の東村山市議会議員選挙から2期とも「地球温暖化防止」「公費の負担軽減」のため選挙用自動車を使わずに自転車で選挙活動をしています。

 <公費負担の対象と限度額>

*選挙運動用自動車の使用

1.ハイヤー契約・・・合計上限額:451,500円

2.その他の契約

 ① レンタル契約・・・合計上限額:107,100円
 ② 燃料供給の契約・・・合計上限額:51,450円
 ③ 運転手雇用の契約・・・合計上限額:87,500円



五省が座右の銘です

2011年02月06日 | プロフィール
海上自衛隊の教育隊で一日の終わりに唱和しました。

五省が私の座右の銘です。

五 省

一、至誠に悖るなかりしか(真心に反していなかったか)

一、言行に恥ずるなかりしか(言行に不一致な点はなかったか)

一、気力に缺くるなかりしか(精神力は十分であったか)

一、努力に憾みなかりしか(十分に努力をしたか)

一、不精に亘るなかりしか(最後まで手を抜かなかったか)

東村山市議会議員になりました

2007年06月05日 | プロフィール
ツイてるツイてるおくたに 浩一です。

 2006年12月15日の守口市議会12月議会最終日に守口市議会議員を辞職をして翌日から東京都東村山市に引っ越しました。

 2007年4月22日の東村山市議会選挙におきまして、2,097票の得票をいただき、定数26人の11位で当選させていただきました。

 これからも私に託された一票一票の重みをしっかりと胸に市民の皆様と一緒に活動を進めてまいります。

 今回の選挙におきましては、「地球温暖化防止」「公費の削減」の観点から選挙用自動車を使わずに街頭演説をさせていただきました。

 私は、議員自らが行動で示すべきであると考えています。

【おくたに浩一の略歴】

◎1960年3月生まれ。

◎血液型 O型

◎家族 妻とふたりの息子と娘 

◎高校卒業後、海上自衛隊に入隊。

艦隊勤務の後、潜水艦に乗務。

2年間の課程を終え、3等海曹就任後、

大学進学を目指すため退隊。

◎1年間の予備校生活の後、甲南大学 法学部に入学、

青少年育成のボランティア、

大学時代に「宅建」「行政書士」の資格試験に合格。卒業。

◎弁護士事務所、法律専門学校にて「宅建」の講師、

経営コンサルタント事務所。

◎阪神淡路大震災を体験し「今に生きる」ことに目覚める。

政治家を目指し、数々の国政選挙・市長選挙・地方選挙の事務を担う。

東京海上火災保険損保代理店として独立。

◎1999年5月から、2期 大阪府守口市議会議員を務める。

◎2007年4月の東村山市議会議員選挙では、

「議員とは、自らが率先して

行動を起こすべきである。」


と考え「地球温暖化防止」、「公費・税金の削減」ために

選挙用自動車を使わずに自転車で選挙活動をする。

◎2007年5月から東村山市議会議員1期目を務める。

前環境建設委員長。現在、民主党東村山市代表。

2009年5月より政策総務委員会に所属。

◎奥谷浩一行政書士事務所

◎東村山市倫理法人会 事務長

【連絡先】
東村山市 栄町1-24-1シャリエ久米川304

電 話 ・FAX 042(397)7750

純情・明朗・愛和・喜働が生活信条

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