長く走り続けるには走らないこと。
なんてことを中野ジェームズさんが書いていた。
表題の本だけど。
そんなわけで、でもないけれど、この土日は走らずに、骨ストレッチもお休みし、だな。
なのでけれど、走らない、骨ストレッチをやらない、という選択は雄々しいものとも言えるな。
やり続ける、という呪縛から解放される、なんて表現してもいいかもね。
もっとも、ほんの少しのことを毎日やり続ける効果効能ってのはあるのだけれど。
そのことへの強要、強制、なんてことになると、あのプラトンだって、いらんお節介にもなるわけだ。
絶対な、金科玉条みたいなものに様変わり、っての。
今朝は、どこかで花火がなっている、この早い時間から。
まさか、石破総理誕生を祝っての、鳥取から聞こえてくるわけでもないだろうけど。
上記の中野さんといえば、青学のコーチもやっているんだったか。
そうだ、今朝も出がけに糠床へ手を入れ、ありがとうね、と言ってきた。
復活して何年くらいになるか。
糠床となると、一倉定さんの「生食と人体」という本を思い出すな。
あれは、ちょっと衝撃だった。
戦後のわが国の塩事情。(追伸 日露戦争の戦費調達のため、というのがXに上がってきていた)
専売公社という名のもとに、NACLだけにした塩を公社でのみ売り出した、なんての。
実は、人間には塩分が必要というけれど、ミネラルを摂りたいというカラダからの要求だそうで。
それを科学的にNACLだけにした、「食塩」というものがまかり通っていた、と経営コンサルの一倉さんが本を書いたわけだ。
たしか、あれは致知出版だったか。
それらの深慮遠謀にまで至る政策、施策、なんて話になるとキリがないけれど、今に至る「科学信仰」だな。
ま、そんなわけで、秋分の日曜日に出かけるとします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます