とおっしゃるのは、伊那の赤そばの里の帰り、立ち寄った諏訪大社前宮。
その拝殿前で、パッタリ出会った、地元のボランティアガイドの方で。
60年、いや、70年前になるか、なんてね。
海のない街からだからね、三保園ホテルへ泊まって、久能海岸で地引網。
久能の東照宮の階段を駆け上り、というわけだ。
その後、神長官守矢史料館の、78代目の早苗さんで、家系は絶えるか、なんて言われていたけど。
どうやら、79代目の方が治るようで、そりゃ、それで、めでたい。
その御仁との立ち話に、花が咲き始め、こちとら、参拝もままならず、同行のおばたちも。
すでに、車に乗り込み、というシチュエーションの中、まだまだ、話し足りない風情漂い。
これこれこういうものです、失礼ですが、お名前は、の問いかけに、名刺持たないからね。
と苗字だけ教えてくださり。
土日はほぼ毎週いるから、って、なかなか、ここまで、これないかも、だけどね。
琵琶湖は、湖北の伊藤さんというボランティアガイドさんに続き、この諏訪の地でも出会いがあり。
少なくとも、二つの地への再度の旅、が未来となって見参したわけだ。
裾野の須走、コスモス畑祭りの地でも、蓼科の地でも、これから台風が来ますからお気をつけになって。
という予言、予測、予報とともに、かの地を散策したのだけれど、おかげさまで。
わが方は、雨と雨の合間を駆け抜ける、というような旅で。
まだ一分咲きではあったけれど、伊那は、箕輪町の赤そば祭りもそれなりに楽しみ。
というのも、そこへ至るまでの畑は、そばの白い花が咲き誇り、前日の。
稲穂の黄金色、さらに、白樺湖、池の平ホテル周辺の黄色の木々、を堪能した後だったので。
まだ見ぬピンクの赤そばの色は、それぞれの脳裏に浮かびやすい、そんな流れだったんだよね。
目の前の色、まだ見ぬ色、色々、を楽しんだ二日間とも言えるか。
そう、諏訪湖から清水へ南下する道中、幻想的な山並みの、そこへ沸き起こっている白いもや、も素敵だった。
山が遠近とともに、微妙な色合いの違いを見せていて、ね。
そこへ白だからね。
台風一過の今朝の空は、とてもいい青だ。
風はまだ、その余波を受けてゴーゴーと鳴っているけど。
旅は道連れ、というけれど、まさに、それに続く、世は情けが、まんま、その旅の中に表れ。
旅情、世情、家族の事情という具合に、情つながりでもあるな。
突然、あたしは泊まらない、家へ帰る、一言もそんなこと、聞いてない。
なんでそんな無駄なお金を使うの、と言い出す母親。
それになんとか、説得を繰り返すおばたちに、もう、親でも子でもない、と杖を振り回し。
なんとか、眠りにつく。
親でも子でもない、となじられた、元保母さんの妹が、結果、手を繋ぎながら眠ったそうで。
すると、落ち着いて朝まで熟睡、カッコ、途中二度トイレ起き、カッコ閉じ、だったらしく。
朝になると、昨夜の哮りとは打って変わり、こんなところまで連れて来てくれてありがとう。
今日も一日よろしくお願いします、って。
その時々、瞬間瞬間の、自分の思いを生きている、という姿ね。
慮りも策謀もなく、その時に起こり来った感情に、言葉を乗せて、という。
そんなこともあった道中だったけれど、次はいつ?という言葉とともに、お開きになった次第。