まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

実母

2011年04月20日 | Weblog

産みの母と育ての母。

って言うよね。

 

 ぼくの実母が昨年の9月になくなった。

 という手紙がきました。

 

こんな文面のメールが届いたのです。

ここでいう、ぼくとは、これ書いてるぼくではないんだけどね。

いとこです。

今ではどこにでもある話になりつつある。

早い話が、彼の父と母が離婚したわけだ。

ぼくが中学生のころだったか。

だから、ぼちぼち、50年にもなろうという頃のお話です。

 

 自分は実母のこと全く知りません。

 顔も声も性格も。

 なので、知っていること、なんでもいいから、教えてください。

 

なんとも、切ない話だよね。

少し時間のあるときに、ゆっくり、書きます。

とメールを返したのです。

彼の兄は、小学校の低学年のころだから。

その後の性格形成に、かなり影響をうけたと思う。

父親のもとを去る母親を、ね。

わけわからず、悲しみのなかで見送るんだから。

そこへいくと、彼の方は、そういうことは全く知らないだけ、いいかも。

そうはいっても、こんなメールを受け取ると。

こちらは厳粛な気持ちになるのです。

こんな文章を書きながら、彼の実母のことが、いろいろとよみがえってきます。

デジカメでもなく、写メでもなく。

セピア色の思い出を手描きしようと思います。

こんなとき、セピア色の思い出、という表現は、ツボにはまりますね。

 

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なつかしい未来

2011年04月19日 | Weblog

中小企業家同友会という会がある。

全国で4万社弱の、零細から中堅企業のおやじたちの集まる会なんだけどね。

かくいうワタクシメも会員の一人なんです。

例えば、被災地の岩手同友会では、こんな活動しています。

このサイトの一番上にある橋勝商店さんの橋詰さんは。

残されたってことはこういうことなんだって、言ってます。

なつかしい未来、って言葉が、なんとも言えなくて。

思わず、アップしちゃいました。

全国各県に支部があり、事務局があるんだけどね。

北海道の新入事務局員が岩手へ助っ人に行った。

悔しさ、絶望感。誰もが同様に感じたこの間の思い。そこからどうやって希望と展望を描いていくか。自分に言い聞かせるように話す、その経営者の方々の一言一言が、胸に染みました。

って、言うんだね。

学校出たばかりの新卒社会人が、船が乗り上げた場所で、会社が再生していく姿を目の当たりにするわけだ。

かたや、以前、こんな記事、アップしたんだけど。

彼は、福島で仮設住宅を建てている。

この間の、余震とも呼べないほどの強震は、一晩中つづいたそうで。

眠れなかったらしい。

そんな彼から、メールがきました。

ぼくの送ったメールも一緒にご紹介しますね。

というわけで、さまざま世論が揺れるなか、少しづつ、復興が始まっています。

たしかに、事件は会議室じゃなく、現場で起きてます。

 

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善人なをもて

2011年04月18日 | Weblog

311以来、どうもね。

親鸞のこんな言葉が耳についているんです。

 善人なをもて往生をとぐ

  いわんや悪人をや

って、いうやつなんだけど。

善人だって往生をするんだから、悪人であればなおさら、往生するはずだ。

くらいの意味なんだろうと思う。

往生というのは、向こう側の生、というのか、向こう側へ往ける。

つまり、あの世、来世、ヒアアフターということだね。

善きことをして、善き思いを積み重ね。

つまり、積善だね。

そうすれば、いい暮らし、いい人生が送れる。

そういう人には天国が待っている。

と、まあ、宗教家たちは言うんだろうけどね。

朝から、わけわからないテーマで恐縮です。

一日5時間勉強した私ですら受験に合格したんだから、ましてや、なにも勉強しないK氏が合格しないわけがない。

みたいな話にすりかえちゃうと、さらにわけわかんなくなっちゃうね。

禅問答みたいだ。

そういえば、先日ご紹介した、樹齢150年の山桜の大野地区。

お墓がすべて西向きに建てられていたな。

西方浄土(さいほうじょうど)というわけだ。

遠い昔むかし、ご先祖様方は西のかなたにあるという浄土からこの地へやってきた。

だから、せめてお墓はそちらへ向けて。

ということかな。

冒頭の話から変えてしまって申し訳なし。

とにかく、なぜ三陸の方々にあのような災難が。

と思うのです。

それはなぜ「わたし」ではなかったのか。

どんな違いがあるというのか。

みたいなね。

これから、49日も終わり、自粛という、身もふたもない言葉も終わっていくのかもしれない。

もんどりうって、普段の暮らしへ、日常へ、とね。

それにしても、よくわからないのです。

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天空の村

2011年04月17日 | Weblog

たしか、宮崎アニメで、天空のなんとか。

というのがありましたね。

この写真からは、ちょっと、天空をイメージしにくいかもしれないけれど。

現在の住所表記で言うと。

浜松市天竜区水窪町大野地区。

妻がね、今年は桜を観ていない。

と言っていたのが、頭に残っていて。

静岡新聞の朝刊に、樹齢150年の山桜、と紹介されていたので。

これです。

左に見えるのが大野地区の公民館。

去年は、焼き鳥屋さんが出たよ、と地元のおばさんがおっしゃっていた。

妻が、おじゃまします、なんていうと。

そんなこと言ってくれる人、いないよ。

なんて言ってた。

ここのチューリップがきれいなお宅のおばさんだった。

道中、ガソリンスタンドへ寄って。

そこで、大野地区って、どちらですか。

とおねえさん?に道をたずねたんです。

すると、この車で行くの?

ってなもんで、途中、落石もするようなところで、狭い道ですよ。

どうせなら、3時間も走って、高遠の夜桜にしたら。

みたいな話になって、多少、不安もよぎったんだけどね。

さらに進んで、道端のおねえさんに尋ねる。

この道を行けばいいですけど、道は細いですよ。

山桜、って、どんなですか?

新聞に載ったから、大勢きますけど、私は行ったことがないんです。

という返事で、でも、とても親切だったな。

というようなこともありで、当初、大丈夫かな?と不安半分だったんだけどね。

秋葉神社から山住神社までの、スーパー林道も走ったことがあるので。

ま、なんとかなるでしょ、と内心思いながら、大野地区へ着いた、というわけです。

右の旧大野分校桜、というのが、くだんの山桜です。

で、左の道路標識の大沢という地区が、さらに奥で。

ガソリンスタンドのおねえさんのお母様の在所だと言っていた。

ものすごい田舎に大きな家があって、そこでひとりで身内の方が住んでいるらしい。

帰りにスタンドへ寄り、こんな桜でしたよ。

と報告すると、こんなに大きかったんだ、って。

観たことなかったみたいで。

ジモッティはあんまり行かないんだね。

こんな地図も貼り付けておきます。

わかりにくいかもしれませんが。

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ご無事でいてくださいました

2011年04月16日 | Weblog

3月の16日。

もう、あれから、一ヶ月が過ぎたのですが。

 昨日、ふと、お昼食べながら、いてもたってもいられなくなり。

 こんなメールを息子たちに送った。』

こんな書き出しで、あの日のブログを書いたのでした。

息子たちに、平常心と説きながら、自分自身がずいぶんと慌てていたのがわかる。

そして、その日の夕方。

テレビの画面から、天皇陛下が都内の避難所を慰問された、というニュースが流れた。

思わず、ぼくは、こんなツイートをした。

 

 天皇陛下のお言葉。涙、出た。

 

あの時点。

まさに、ターニングポイントだったように思う。

ツイッター上などでは、「狂人」とも揶揄される副島隆彦さんが。

あの頃は、西へ逃げろ!と学問道場で書いていた。

その彼も、今では、福島原発の近くへ住む。

そして、福島の食べ物を食べる。

もう安全です、と言っている。

 

昨日、4月14日。

天皇陛下が、千葉県の旭市で被災した方々を慰問された。

津波にのまれ、レスキュー隊に救助された方に語りかけた、というお言葉。

 

  よく ご無事で いてくださいました

 

この言葉は、誰にも、真似すらできません。

 

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様変わり

2011年04月15日 | Weblog

小出教授や武田教授。

NHKの解説員、水野さんや山崎さん。

それに、保安員などなど。

これらの言葉が、妻の口から出てくるんだね。

様変わりです。

311以降、ずいぶん変わってしまったわけです。

しかも、実は、福島原発は危機的な状況にある。

なんていう話が拍車をかけてもいるんだけどね。

というのも、彼女の友達、魔女のきみくんがね。

チャイナシンドロームみたいな、おどろおどろしい筋書きに仕立て上げて。

このチャイナなにがしってのは、映画になったのかな。

核燃料がメルトダウンして。

圧力容器から落ちて、さらに格納容器からも溶け落ちて。

下のコンクリートを突き抜けて、さらに、地中深く抜けて、地球の反対側にまで達し。

というお話らしいんだけどね。

いろんな話が、言い出すときりがなくなっちゃうくらいに、膨大な情報があって。

それらの交通整理は、結局は、その人その人の人生観、死生観にまでとどりつく。

という意味では、今回の大震災の、奥の奥の、そのまた奥にある意味、意義、というものがね。

なんとなく、仄見えてもきそうなんだけど。

ともかく、様変わりです。

 

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日本復興

2011年04月14日 | Weblog

表題は、大言壮語ふうですが。

復興の夢をかたろう。

というテーマです。

村上龍が、震災直後、ニューヨーク・タイムズに寄稿して。

日本は、多くのものを失ったけど、夢をえた。

というようなことを書いていたけどね。

というのも、糠漬け師匠のご主人とお話していて。

民間の智慧を結集して、復興計画コンペをしたらどうだろうか。

自分もこんなことを考えている、ということになり。

まだ、途中だということなので、雰囲気だけでも伝わるように、スキャンして貼り付けさせていただきます。

ところで、下記のyoutubeは。

藤井聡さんという京大の教授が、参議院で演説したときのもののようで。

一見、戦争中の参謀長官のような風情ですが。

この方、日本全体を家族と考えたら。

被災地は、けがをした家族だ、というんだね。

まず、その家族の話を聞いてから、ケガを直していこうよ、と。

民主党の政策全否定 藤井聡(京都大学教授)

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星一徹

2011年04月13日 | Weblog

といえば、「巨人の星」ですね。

少年野球漫画。

主人公は、星飛雄馬。

頑固一徹の父親に、野球一筋、壮絶なトレーニングを課せられて育つわけだ。

いまでも語り継がれている、日本の父親像を純化した姿で描かれているんだけどね。

頑固で、わがままで、融通がきかず。

ま、例のちゃぶ台がえしのおやじ、というわけで。

家族一同、腫れ物を扱うように。

なので、家族は、一致団結して、天災のようなおやじに立ち向かう、ということになる。

地震・津波は、星一徹である。

というのが、このかた、片田先生

群馬大学の教授です。

釜石だったか、中学と小学校で、防災教育をしてきた方です。

テレビでも番組でとりあげられて、感動的な場面もあったらしい、by 妻。

ときおり、鼻をハンカチで押さえながら話すので。

感極まって泣きながら話しているのか、と思っていたんだけど。

どうも、花粉症なのかもしれない。

それはともかく。

この方の津波対応の話では、なんども、例の「命てんでんこ」、「津波てんでんこ」がでてきます。

これ、微妙な書き方になっちゃうんだけど。

家族の絆があだになって、全滅してしまう、と言うケースもあり。

そんな現実のなか、彼は、さまざま試行錯誤していくわけだ。

まず、率先避難者たれ!

君の命を守ることがみんなを守る。

中学生の君たちは、救う立場なんだ。

特jに強く言い続けたことが。

1、想定にとらわれるな!

2,その場の状況に応じてベストをつくせ!それでも死ぬことがある。

とかね。

知識としての防災でなく、姿勢としての防災教育をしてきたそうだ。

こちらのビデオニュース・ドットコムの「第520回」で詳しく話しているんですが。

 

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父さんのように

2011年04月12日 | Weblog

南三陸町、陸前高田だったか。

津波に流された父親を、おかあさんと一緒にさがしている中学生。

おとうさんは、消防団員だった。

みんなから好かれていた。

とおじいさんが話していた。

みんなを避難させていて、津波にのまれた。

中学生の息子には、野球、やるからには、プロになれ!と言い続けたという。

画面では、ピッチング練習する映像が流れていたけど。

なかなか、しっかりした珠を投げていたし。

態度、表情もしっかりしていた。

で、そのかれが言うんだね。

誰かのために全力をつくす人になりたい。

父さんのように。

とね。

こちらも、おとうさんのはしくれなんでね。

この息子さんの話には、こころ動かされたわけだ。

こんな風にして、DNAはうけつがれていくのかもしれない。

DNAというと、血つながりの印象をうけるけど。

血だけでなく、しゃれじゃないけど、地であったり、空気であったり。

会社でいえば、社風や経営理念や。

家でいえば、家風、家訓みたいに。

 

そんな具合に、命はつながれていく。

 

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おかげさまで

2011年04月11日 | Weblog

今月のおじおば会。

身延山の枝垂れ桜をめがけて。

これ、久遠寺の境内です。

三姉妹を写し、長男坊と娘のところへ、写メを送った。

日曜日のせいか、速攻、長男坊から返信。

いいね!

でも、発電機が残念だね。

こちらは、サクラにしか目がいかず。

そうか、ここにも地震の名残りが、というわけです。

ことに、長男坊は計画停電の真っ只中で、現場をやっていたから。

たぶん、サクラより先に発電機に目がいったんだろうな。

なるほど、苦労している。

苦労といえば、ここに辿りつくまで、こんな具合に、おんな坂を登ってきたのでした。

朝の出がけに。

わたしは、膝が痛いからやめる。

あんた、かわりに行って。

と妻に言ったらしい。

体調が思わしくなく、小田原で買った、「ういろう」も飲んだ。

そうで。

そんな前振りがあっての「おんな坂」、そして、境内での写真だったのです。

ま、そんなこんなで、結局、身延山にお参りもでき。

おばも、宗派が日蓮宗、ということで。

25年ぶりに念願かなった、のです。

帰りは、こんな坂道をくだり。

今朝、母親の顔は明るくて。

やっぱり、気の持ちようだね。

おかげさまで。

と言うんだね。

坂道を登り、参詣できたことの充足感が感じられた。

山笑う。

というのが、俳句では、春の季語なんだね。

まさに、山が笑い、人々が笑い、わが母親も笑ったのでした。

 

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