産みの母と育ての母。
って言うよね。
ぼくの実母が昨年の9月になくなった。
という手紙がきました。
こんな文面のメールが届いたのです。
ここでいう、ぼくとは、これ書いてるぼくではないんだけどね。
いとこです。
今ではどこにでもある話になりつつある。
早い話が、彼の父と母が離婚したわけだ。
ぼくが中学生のころだったか。
だから、ぼちぼち、50年にもなろうという頃のお話です。
自分は実母のこと全く知りません。
顔も声も性格も。
なので、知っていること、なんでもいいから、教えてください。
なんとも、切ない話だよね。
少し時間のあるときに、ゆっくり、書きます。
とメールを返したのです。
彼の兄は、小学校の低学年のころだから。
その後の性格形成に、かなり影響をうけたと思う。
父親のもとを去る母親を、ね。
わけわからず、悲しみのなかで見送るんだから。
そこへいくと、彼の方は、そういうことは全く知らないだけ、いいかも。
そうはいっても、こんなメールを受け取ると。
こちらは厳粛な気持ちになるのです。
こんな文章を書きながら、彼の実母のことが、いろいろとよみがえってきます。
デジカメでもなく、写メでもなく。
セピア色の思い出を手描きしようと思います。
こんなとき、セピア色の思い出、という表現は、ツボにはまりますね。