知り合いの社長が、痛風で寝込んだ。
お話を伺うと。
痛風というのは、字のごとく。
風が吹いても痛い。
何をしても痛い。
女房が、「大丈夫?」と声をかけてくれる。
しかし、それが痛い。
だから、筆談だったんだよ、と。
ことだま、って言うくらいだから、言葉ってのいうのは、からだに響いてくる。
とおっしゃる。
ことだま、とは、言霊、と書くけれど。
むしろ、言の弾、言弾と書いてもいいくらいだね。
くだんの御仁のお話をお聞きして。
やっぱり、言葉は人を撃つんだな。
と子どもの頃からのなぞが、腑に落ちたような気がした。
人の前に出たりしたとき、どきどきしたりね。
あるいは、けんかしそうな相手と対面したときに、どきどきしたりね。
ほんと、おれは、気が小さいな、なんても、思ったりもしたんだけど。
そういうのは、俗な解釈でね。
たぶん。
実際には、いろんな弾が飛んできていたわけだ。
なんていう解釈を。
ま、彼の話からしたりしているのです。
痛風の脚が痛くてたまらないくらいに、言葉ってのは、人に影響を与える。
だから、いい言葉、優しい言葉をつかいましょうね。
なんていうことを、たとえば、仏教では、和顔愛語だったかな。
つまり、にこやかな顔と愛ある言葉、みたいに言いますね。
しかし、実際には、心もからだもたましいも、全部、本心からそうなっていなければ。
たぶん、相手には、それこそ、ことの弾のように、伝わってしまう。
ので、いずれ、どうも居心地が悪くて。
みたいな空気がその場にただようんだろうね。
というようなことを、痛風談義から、納得したのです。