「関東大震災」という吉村昭のかいた本があるんですけどね。
昭和の48年に上梓しているから。
大震災が大正12年の9月1日。
50年後に書かれているわけだ。
二十万余の霊に哀悼の意をささげる。
とあとがきは結ばれている。
本所の陸軍被服廠跡の広場では、4万人が焼死したらしい。
驚いたんだけど、そこでは、人を空に飛ばせるほどのつむじ風がふいたという。
人々は家財道具を積み込み、ある人は背負い、というので。
それらのものに燃え移り。
橋も木造が多かったので、川の対岸まで火の手は燃え広がった。
その惨事から復興して、それからの20余年は戦争の道へひた走るわけだ。
そして、その戦争では、300万の人々が死んでいる。
各地は焼け野原になり。
しかし、そこから、驚異の戦後復興をするんだね。
だから、すさまじい生命力だよね。
さらに昭和の8年には、明治の29年に続いて。
三陸で大津波の被害にあっているんで。
明治からの150年。
津波、地震、戦争とこの国は、すさまじい天災・人災に遭遇してきたことになる。
今回の大津波からも、さまざま、学び、たくましく復興をとげるだろう。
って、ちょっと、他人事みたいな書き方になっちゃったけど。
歴史に学ぶ、という言い方がある。
今回は、過去の例と比較すると、情報の伝わり方が雲泥の差だ。
ネットや交通のインフラの整備。
被災地のメジャーでない、毛細血管のさきまではなかなか届きません。
という事実はあるのだけど。
それすら、ネットの力で、知れ渡ることになるわけで。
さらに、福島原発の大事故の顛末が、多くの人の目にさらされることで。
電力行政の闇までも、白日の下にさらされようとしている。
そのことを通じて。
富の分配と安寧の確保。
くらいが、実は、「統治」というものの役割なんだ。
ということも、語られるようになるのかもしれない。
明治からの150年どころか。
この地に先住しはじめた1万年を超える年月。
そんなことに思いをはせると。
何日か前にも書いたけど。
ご先祖様方へ最敬礼なのです。