大谷街道沿いにある小鹿公園にある池。
いま、蓮の白い花が咲いている。
どのくらいをもって満開というのかは知らないけれど。
蓮は泥中より生まれ出て、しかもその泥にも染まらず、
清浄で無垢な美しい華を咲かせるところから、正しい
人間の生き方そのものを説く教えとして比喩されてい
るものです。
と、あるブログには書いてある。
正しい人間の生き方って、言葉はかっこいいけど、わりとむずかしい。
それはともかく、その池へいっしょにいったおば。
65年前に、この近くに母親に連れられて、来たことがある、と。
静岡駅からバスに乗って。
たんぼばかりだった、と。
セピア色のイメージが頭の中に広がる。
その二つ池の東側に、伊勢神明社というお宮さんがある。
そこのくすのき。
樹齢千数百年。
生き急ぐこともなく、怠けることもなく、そこにいまも生きつづける樹。
予備知識もなく対面し、言葉をうしなう。
そして、清々しい気持ちになる。
すべてよし。
いま、蓮の白い花が咲いている。
どのくらいをもって満開というのかは知らないけれど。
蓮は泥中より生まれ出て、しかもその泥にも染まらず、
清浄で無垢な美しい華を咲かせるところから、正しい
人間の生き方そのものを説く教えとして比喩されてい
るものです。
と、あるブログには書いてある。
正しい人間の生き方って、言葉はかっこいいけど、わりとむずかしい。
それはともかく、その池へいっしょにいったおば。
65年前に、この近くに母親に連れられて、来たことがある、と。
静岡駅からバスに乗って。
たんぼばかりだった、と。
セピア色のイメージが頭の中に広がる。
その二つ池の東側に、伊勢神明社というお宮さんがある。
そこのくすのき。
樹齢千数百年。
生き急ぐこともなく、怠けることもなく、そこにいまも生きつづける樹。
予備知識もなく対面し、言葉をうしなう。
そして、清々しい気持ちになる。
すべてよし。