なんて言葉に出会って。
その後、「習慣」というものに、展開していくんだけど。
なにせ、付け焼き刃なので、うまく語れない。
それとか、魂というのは、今あなたの目の前に広がる空間・環境・時間のことです、とね。
カラダのどこかに存在するんでなく、目の前の物の中に魂はあるんだ、という話で。
このところ、そんな思考を、というのか、考え方をたのしんでいる。
夕べは、某大手さんの子会社での夏祭り。
暮れなずむ前からのヱビスで、その後は、近くの焼き鳥屋さんにて二次会。
焼き鳥屋さんなのに、魚がうまい。
アジとかが、さすが沼津、ってわけで、堪能した。
もちろん、カシラなどの焼き鳥も、なかなか、ご当地清水では食べられないものだったな。
かたや、わが同友会では、静岡と清水の合併10周年ということで、盛大な記念パーティとバズセッションが。
行われていた、その時間に、ということだった。
知らぬ間に、同友会歴も、古い方から数えたほうが早いくらいになっていて。
パーティに参加できなかったのは、残念だった、けれど、一方の。
夏祭りでの、さまざまな情報収集はかない、ということなので、二兎を追うものは、って感じだね。
集中、集中、ってとこだ。
今朝は、セミの鳴き声が、うるさくはないけど、印象的で。
巴川縁を散歩する御仁方の声が、聞こえないな。
なんて間に、冷気がやって来た。
この瞬間が、何度もいうようだけど、素敵な瞬間で。
これを、例えば、悪い習慣だから変えなさい、と言われても、変えられないな。
習慣といえば、何か、ことを起こそうとするとき、というのか、目標に向かってなんらかの計画を立てる。
その計画を、いかに習慣にくっつけるか、習慣という隊伍の後列でもいいから、引っ付けて。
あらあら不思議、知らぬ間に、ことがなっていた。
なんてのが、習慣という、頭を使わない自動化された日常の使い方なんだ、というのが。
上気したような、このところはまり込んでいる、岡崎直子という女史の。
星占い、でもなく、占星術、でもなく、なんていうのか、「キロンとトランスサタニアン」なんてやつで。
これ、もう少し理解できたら、御披露申し上げます。
今朝は、インドネシア、マンデリン・ビンタンリマ。
これ、気に入っているんだ。
この間、コメンテーターのtoshさんと行った、川内珈琲店さんで、再度の買い求め、そこに。
ボディ感、というコメントがあって、そうか、この味わい、確かに、ボディ感の表現。
ぴったりくるな、と瞬間に思った次第で。
なんてことのあった、インドネシアを今朝は、堪能。
小笠原とか沖縄だったか、そこでも珈琲は採れるらしく、お店での会話にも出て来たけれど。
高い、らしい。
うまいから高いのか、生産から消費へまでの道のりが、ほら、植民地主義者の。
ある意味、利口な、ある意味、えぐい、そんなシステム作りの歴史に与してこなかった。
辺境の地、もちろん、白人から見てだけど、そんなところの話題かな、とね。
この話、書き始めたら終わらないので、ここらでよかろか。
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