と言ったのは。
というか、安岡正篤が、よく言っていた。
安岡さんというのは、簡単に言っちゃうと、例の、細木数子の旦那さん。
これも、某出版社の、もと編集長によれば、なかなか、どろどろしたものもあるらしいけど。
いや、昭和の老師、と言ったほうがいいね。
終戦の詔勅に朱をいれた、ということでも有名な人ですが。
習慣の産物だ、というんだね。
人間てのが、なので、彼曰くは、良き習慣を身につけなさい。
ということになる、という理解だったんだけど、その頃は。
今朝、車中で、ふと、そうなんだろうか、というね、思考がやってきて。
ひょっとしたら、だから、それを見直してみたら、バラ色の日々があらわれるかも。
という解釈も成り立ち。
別に、謹厳実直であったり、聖人君子であったり、いい人であったり。
そういった具合ではなく、もっと、自由であるのかもしれず。
というか、自由なわけだ。
なんてことを、つらつら、と浮かべながら、事務所に到着とあいなり。
こうしてブログを書いていて。
というのも、夕べ、長男坊が、正月はタラタラしちゃって、というから。
ま、オンオフ、ってのは、逆に、いいんじゃないかな。
なんて会話をしたことから、上記のような思考が、どこからともなくやってきた。
というわけです。
かくいうわたしめも、榊の水換え、ブログ書き、新聞読み、evernoteへスキャンという一連の。
ルーティンワークを、この半年ばかり、続けているんで。
よくわからないものもあるんですが、この習慣、というやつね。
習慣が、日々のいのちの発露を、しばりもし、オートマチック化もし、退屈から開放もし。
ということなんだけどね。
そうだ、五木寛之の新聞広告を拾い読みしたら、たいくつこそが、時間をゆっくり歩ませる。
たいくつする時間があればこそ、人生の充実をえられる、くらいなことだったか。
そんな広告があってね。
まわりでは、時間がたつのが早いはやい、の合唱なので。
それへのアンチテーゼとして、ね、その広告が、頭の中に残っていて。
ところで、水野和夫さんの対談本は、めでたく、読了。
「賢者を幸せにするには、ほんの少しのもので足りる」というロシュフコーの言葉を引用していたのが。
印象に残っていて。
知足、だったか、よく観光地のお土産で、五円玉みたいなものに、書いてあるやつ。
足るを知る、ってのね。
そんな感じでもあるけれど。
この、賢者、って言葉も、なかなか、やっかいで。
そう言ったとたんに、自らを賢者の側に身を置き、高見に登った気になり。
というね、人間の心理の綾にはいりこみ、みたいなことは、よくある話しで。
だれそれよりも自分は勝っている、が、あいつよりも劣っている、という。
例の、無明の闇へ突き落とされる、ってわけだ。
なので、もっとシンプルに、さんまの言う、生きてるだけでまるもうけ、ってところへ。
というわけです。
さて、今日は、このあと、おもしろい展開が待っているのです。
掛川の道の駅へ、おもちゃを買いに、妻と長男坊とで。
あそこへ、おもちゃを買いに、という発想が、たぶん、行ったことがある方であれば。
なにそれ、ってなもんで。
というわけで、本日のブログ、終了です。
というか、安岡正篤が、よく言っていた。
安岡さんというのは、簡単に言っちゃうと、例の、細木数子の旦那さん。
これも、某出版社の、もと編集長によれば、なかなか、どろどろしたものもあるらしいけど。
いや、昭和の老師、と言ったほうがいいね。
終戦の詔勅に朱をいれた、ということでも有名な人ですが。
習慣の産物だ、というんだね。
人間てのが、なので、彼曰くは、良き習慣を身につけなさい。
ということになる、という理解だったんだけど、その頃は。
今朝、車中で、ふと、そうなんだろうか、というね、思考がやってきて。
ひょっとしたら、だから、それを見直してみたら、バラ色の日々があらわれるかも。
という解釈も成り立ち。
別に、謹厳実直であったり、聖人君子であったり、いい人であったり。
そういった具合ではなく、もっと、自由であるのかもしれず。
というか、自由なわけだ。
なんてことを、つらつら、と浮かべながら、事務所に到着とあいなり。
こうしてブログを書いていて。
というのも、夕べ、長男坊が、正月はタラタラしちゃって、というから。
ま、オンオフ、ってのは、逆に、いいんじゃないかな。
なんて会話をしたことから、上記のような思考が、どこからともなくやってきた。
というわけです。
かくいうわたしめも、榊の水換え、ブログ書き、新聞読み、evernoteへスキャンという一連の。
ルーティンワークを、この半年ばかり、続けているんで。
よくわからないものもあるんですが、この習慣、というやつね。
習慣が、日々のいのちの発露を、しばりもし、オートマチック化もし、退屈から開放もし。
ということなんだけどね。
そうだ、五木寛之の新聞広告を拾い読みしたら、たいくつこそが、時間をゆっくり歩ませる。
たいくつする時間があればこそ、人生の充実をえられる、くらいなことだったか。
そんな広告があってね。
まわりでは、時間がたつのが早いはやい、の合唱なので。
それへのアンチテーゼとして、ね、その広告が、頭の中に残っていて。
ところで、水野和夫さんの対談本は、めでたく、読了。
「賢者を幸せにするには、ほんの少しのもので足りる」というロシュフコーの言葉を引用していたのが。
印象に残っていて。
知足、だったか、よく観光地のお土産で、五円玉みたいなものに、書いてあるやつ。
足るを知る、ってのね。
そんな感じでもあるけれど。
この、賢者、って言葉も、なかなか、やっかいで。
そう言ったとたんに、自らを賢者の側に身を置き、高見に登った気になり。
というね、人間の心理の綾にはいりこみ、みたいなことは、よくある話しで。
だれそれよりも自分は勝っている、が、あいつよりも劣っている、という。
例の、無明の闇へ突き落とされる、ってわけだ。
なので、もっとシンプルに、さんまの言う、生きてるだけでまるもうけ、ってところへ。
というわけです。
さて、今日は、このあと、おもしろい展開が待っているのです。
掛川の道の駅へ、おもちゃを買いに、妻と長男坊とで。
あそこへ、おもちゃを買いに、という発想が、たぶん、行ったことがある方であれば。
なにそれ、ってなもんで。
というわけで、本日のブログ、終了です。
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