まわりで起こっていること

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伊勢神宮SP

2013年05月01日 | Weblog
夕べの晩餐、というほどでもないけれど。

次男坊と母親と三人で。

妻は、仕事で、帰りは10時過ぎだった。

テレビで、ナイナイの伊勢神宮SP。



見知った景色が映っていた。



次男坊と話しながら、和魂(にぎみたま)や荒魂(あらみたま)やら。



かたわらで、母親は、記憶をたどるのがいっぱい一杯な風情で。

そういえば。

帰ってそうそう、悪いけど。

と例の、ネガティブな表情満載で。

隣のおじの病気が云々、と始まったわけだ。

病気というより、隣が6時まで電気もつかず、真っ暗で、と。

僕は、MacBook Pro入りの重たい鞄を手に提げたまま、聴いていたんだけどね。

真っ暗なことが心配で、もう、どうなっちゃったのか、と。

ほら、今は、電気ついてるから見てごらん。

あ、そうだね。

でも、いろんなことがあって、もう、わたしは、云々というね。

そのいろんなことってなに?ひとつ一つ聴いてみようとすると。

言いよどんで、という次第でね。

ものすごく、ざっくり、言っちゃうと。

認知症やらボケやらは、死への恐怖からのがれるため、という仮説があって。

根っこにある感情は、その恐れなのかもしれないな。

なので、カナヅチをもつとすべてのものごとが、釘に見えてくる。

みたいな言い方があるけど。

心配やら怯えやらを、ちがうものごとで味わうことで、死から目をそむける。

というね。

ありがちな話ではあります。

老いも若きも、人は、見たいものだけを、聴きたいものだけをうけとるしね。

今の僕のテーマは、死ってのは、そんなに恐れるとかおびえるとかというようなものじゃないよ。

ということを、わかりやすく、母親に伝えることなんだけど。

それが、なかなか、うまく表現できないのです。

そこでも、実のところ、チャレンジ、ということにつきると思うんだけどね。

それはともかく、伊勢SPです。

とにかく、伊勢神宮はにぎわってますね。

そうはいっても、地方都市のシャッター通りの悲哀は現実でもあり。

昔、たしか、古町だか古市だか、という花街があり。

芝居小屋もでたりして、ずいぶんとにぎわったらしい。

プチ博物館みたいなところで、土地の方にいろいろ、お聴きしたことがある。

江戸時代だね。

一世一代のお伊勢参りだから、それこそ、恥の旅はかき捨てて。

というわけで。

女郎衆と遊びに遊んだ街が、その古市だったそうで。

今では、お伊勢参りも、とても、健康的なものになり。

せいぜい、おかげ横町で、赤福を買って、というくらいで。

それでも、あの街に集まってらっしゃる方々は、UFOが見えたり、オーラが見えたり。

ある種、独特な街でもあるような話を聴きもし。

お伊勢参りと心配性キャラの母親と次男坊の話題でした。



これは、伊雑宮(いぞうぐう)ですが。
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