まわりで起こっていること

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エンディングノートってのが流行っているの?

2015年07月16日 | Weblog

最近、ほんと、テレビを見る時間が少なくて。

なんだけど、たまたま、朝、時計代わりにつけてあった画面で。

表題のね、つまり、終活というのか、人生の終わり方なのか。

ブログだって、死んじゃったらどうするの、とかね。

もちろん、銀行の口座やらなにやら、ってわけで。

これこれこうしないと、困りますよね、と。

なるほど。

世の中、困ることが、多いよね、多分、困るって字ね。

白川静さんなら、なんらかの回答をくださるんだろうけど。

国の中に木がある、くらいじゃないな。

ま、それはどうでもよくて。

どうだろう、エンディングに向かって生きている、というかね。

そんな思考グセってのを、さらに加速させ、なんて具合にうけとっちゃったんだけどね。

そりゃ、人間は、やがて死んで、残された誰かにお葬式もしてもらい、ということかも。

だけど。

僕は、坂本龍馬が言っていた、という、死ぬときはドブの中でも前向きで、ってのが。

割と好きでね。

とはいえ、龍馬さんも、司馬遼太郎の龍馬像と、また、違った龍馬像が、語られだしもし。

グラバーだの、なんとか商会だの、というね、明治維新期に暗躍したヨーロッパ資本ってやつね。

それはそれとして。

ネバーエンディングのストーリー、というのも、ちょっと、違うか。

働かないと食っていけないぞ、という脅し文句の成り立った時代から、エリートは。

太らない、太るのは、貧乏人だけだ、みたいな時代ね。

衣食足りて、って時代、あとは、礼節を知る、ってことだけど。

まあさ、食うだけなら、そんなに苦労しなくても生きていける時代なんで。

あとは、こころのケアですか。

一家が生きていくために、お前は売られていく、という絵柄ね。

東北の娘さんが、身を売る、そんなことがあっていいのか、なんてことを、昭和のはじめの頃の、革新将校たちが。

叫んでね、一揆をしたよね。

少なくとも、そんな時代じゃないんだから、あとは、礼節を、というわけだ。

けれど。

ちょっと、脇道にそれちゃったな、ドブの中で前向きに、ってやつだ。

よくよく考えると、実は、それしかなくて。

正確には、前向きでも後ろ向きでも、向きは関係ないけど。

そりゃ、やってる本人は、わかりませんからね。

その場にいる、だけで、そこにいて、それをやっている、だけで。

実際には、その瞬間だけなんだろうな、リアルに存在するのは。

石見銀山のね、群言堂さん、登美さんが、おっしゃっていたけど、五感がよみがえる。

とね。

五感の総動員、さらに、その、そこに可視化されない、なにものか、も動員して。

ってのが、デフォなんだろう、と。

そこからは、エンディングというストーリーには、行き着かないんで。

なんか、今朝は、表題の振り方が間違えたのか。

なかなか、筆が、キーボードが、動かないけど、今。

外では、雨音が激しくなり、カスケーズだっけ、悲しき雨音、なんて歌、あったよね。

別に悲しくないけど、って言ったら、身も蓋もないけど。

夕べの、10周年パーティーについても、お昼の発芽会についても、書きたいこと。

たぶん、いっぱいあるんだけど、そんなことしてたら、それで、一日が終わっちゃいそうなんで。

たまたま、隣に座った女史が、40歳の時、人生の折り返し地点だし。

あたしはこのまま終わっていいのか、くらいの思いにとらわれ。

会社やめて、起業した、なんて話でね。

たしか、人生のテーマ、なんて言葉、お使いになっていたな。

そうそう、僕も、腑に落ちたんですよ、仕事と人生ってのが、ぴたっと一致した。

というのか。

一筋の道に重なり、なので、どこまでが仕事で、どこまでが自分の人生の時間なのか、ってのが。

不分明になり、なんて、かえしもし。

男性の中の、女性性ってのを、ごく普通に、表出する、とかね。

女性のなかの、擬似男性性、とでもいうのか、男優位社会の価値観に合わせる。

テキパキ、やり手女史、なんてことじゃなく、なんて話もしたか。

いつもの喫煙ルームでは、シンガポールへも出張って商売されている、女史。

毎年、商圏が2割、3割減っていく中、売上に迫るほどの、親の、というか、会社の借金を返し終わり。

なんて方がね、シンガポールでは、タバコを吸う人は、ルーザー、って呼ばれていて。

なんておっしゃっていたな。

その彼女、しっかり、タバコ、吸っていたのがよかったけどね。

ルーザーって、落伍者、くらいなのか、なまけもの、なのか。

お酒もそうらしく、アジアの民が、すっかり、白人化しちゃったんだね、なんて返すと。

そう、たしか、揶揄した言い方だけど、バナナ、といったか。

外は黄色だけど、中身は白いです、白人です、なんてね。

まるで、韓国での儒教みたいだね、と。

本家中国への忠誠を誓うために、さらにさらに、中国化するために、本家の儒教を。

極致まで磨き上げ、というね。

悲しい雨音ならぬ、悲しい、文明、武力の通り道たる半島のね、悲しい歴史だな。

ま、それは、シンガポールや韓国の、って話だけではなく、人間のもっている。

なんていうのか、あたしを認めて症候群でもあるけどね。

ぼろは着ててもこころは錦、なんて歌、水前寺清子だっけ、若い方は知らないか。

彼女、歌っていたよね。

そんなことしなくても、いいじゃん、いまのまんまで、とこころの奥から腑に落ちれば。

瞬時に、解消しちゃうんだけど、そこはそれ、人類の叡智って、一見、美しいような。

飾り物の、とりこになっちゃうんだよね。

と、書いてきて、きりがないので、このへんで、終了します。

 

 

 

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