今、92歳になられる、東北在住のおばあちゃまですね。
佐藤初女さん。
握ったおむすびを食べることで、人々がいやされていく。
ということは、ずっと、以前、大久保寛治さんという方の講演でお聴きしていて。
今回、石見銀山での、登美さんの講演でも、話が出てきて。
昨日、ちょっと、サーフィンしてみたわけだ。
16、か17歳の頃、大病に罹り。
完治したのは、35歳だそうで、その間、宇宙とのつながり、とでもいうような。
大きな転換があった、のだろうけど。
いのちの移し替え、って言い方、されているんだね。
いのちを食物としていただく瞬間、そのものたちは透明になる。
というわけだ。
僕も、一時期、おむすびに凝っていて。
手のひらからでる気をこめて、ね。
もちろん、家族はおいしいおいしい、と言ったし、なにより、自分がおいしかった。
ので、そのころ、かごにお茶をいれて、なにかといえば。
おむすびミーティングを、人に呼びかけて、という時期があったな。
皆さん、仕事モードだったので、いやいや、時間には色がついてなくて。
どんな色にも、自由気ままに染められまっせ、というね。
そんな気分だったんだな。
さて、今晩は、出雲の旅ご一行さまと、反省会だ。
出発前に、「古事記」のレクチャーをしていただいた、富士の「天ふじ」さんで。
彼は、残念ながら、同行できなかったので、土産話を満載にした。
それぞれのからだとこころ持ち、うかがうわけだ。
これまた、楽しそうで、ひとつの旅が、各人各様の、それぞれの角度から。
もう一度、つまり、一粒で二度おいしい、という仕儀とあいなり。
出雲が立体的に、それこそ、3D映像のごとく、ですね。
ところで、今朝は、寝坊をしちゃって、瞑想する時間がとれなくてね。
今晩も、飲み会だから、なんとか、昼間ね、どこかで。
瞑想のタイミングをみはからわないと、です。
しかし、youtubeってのは、すごいね。
夕べ、日本人はどこからきたか、っていうの、見ちゃって。
どこぞの先生なんだろうか、日本の歴史を、板書しながら、いろいろ、話している。
んだよね。
最近、反転教育、とかいって、予習とおさらい、で言えば。
家で、まず、教授の講義を聴いてきて、学校では、それにもとづいた議論を。
ああじゃないこうじゃない、とする授業がはやりつつある、というんだけど。
まさに、この通信環境の変化は、さまざまな可能性をもたらしね。
知識の切り売り、なんて揶揄されたりする仕事が、様変わり、というわけだ。
ま、しかし、本屋さんにならんでいる膨大な本を前にして。
あらあら、また、だまくらかされちゃうんだろうね、なんていう感想を持ってしまうんだけど。
その、だまされ感から、いろんなことを身につけていく、というのもありで。
そもそも、読書というのは、誤読がデフォで、ってことですね。
だれが、この知識にお墨付きをくれるんだ、みたいな。
お墨付き、金印幻想、とでもいいましょうか、あの卑弥呼が金印を中国の皇帝からいただき。
この紋所が見えないか、という具合に、自分の権威に利用した、という考え方からすると。
ま、そんなもので。
佐藤初女さんから、また、話は変な方向へ行っちゃったな。
とにかく、食べる、ということは、素晴らしい教育、というのか。
当たり前だけど、生きることそのもの、宇宙そのもの、のようで。
いいことはすぐまねする、といういい性格をしている僕なので。
ご飯の炊き方から始め、てみようかな、なんて、思ってもいるのですが。
さてさて、どうなりますやら。
佐藤初女さん。
握ったおむすびを食べることで、人々がいやされていく。
ということは、ずっと、以前、大久保寛治さんという方の講演でお聴きしていて。
今回、石見銀山での、登美さんの講演でも、話が出てきて。
昨日、ちょっと、サーフィンしてみたわけだ。
16、か17歳の頃、大病に罹り。
完治したのは、35歳だそうで、その間、宇宙とのつながり、とでもいうような。
大きな転換があった、のだろうけど。
いのちの移し替え、って言い方、されているんだね。
いのちを食物としていただく瞬間、そのものたちは透明になる。
というわけだ。
僕も、一時期、おむすびに凝っていて。
手のひらからでる気をこめて、ね。
もちろん、家族はおいしいおいしい、と言ったし、なにより、自分がおいしかった。
ので、そのころ、かごにお茶をいれて、なにかといえば。
おむすびミーティングを、人に呼びかけて、という時期があったな。
皆さん、仕事モードだったので、いやいや、時間には色がついてなくて。
どんな色にも、自由気ままに染められまっせ、というね。
そんな気分だったんだな。
さて、今晩は、出雲の旅ご一行さまと、反省会だ。
出発前に、「古事記」のレクチャーをしていただいた、富士の「天ふじ」さんで。
彼は、残念ながら、同行できなかったので、土産話を満載にした。
それぞれのからだとこころ持ち、うかがうわけだ。
これまた、楽しそうで、ひとつの旅が、各人各様の、それぞれの角度から。
もう一度、つまり、一粒で二度おいしい、という仕儀とあいなり。
出雲が立体的に、それこそ、3D映像のごとく、ですね。
ところで、今朝は、寝坊をしちゃって、瞑想する時間がとれなくてね。
今晩も、飲み会だから、なんとか、昼間ね、どこかで。
瞑想のタイミングをみはからわないと、です。
しかし、youtubeってのは、すごいね。
夕べ、日本人はどこからきたか、っていうの、見ちゃって。
どこぞの先生なんだろうか、日本の歴史を、板書しながら、いろいろ、話している。
んだよね。
最近、反転教育、とかいって、予習とおさらい、で言えば。
家で、まず、教授の講義を聴いてきて、学校では、それにもとづいた議論を。
ああじゃないこうじゃない、とする授業がはやりつつある、というんだけど。
まさに、この通信環境の変化は、さまざまな可能性をもたらしね。
知識の切り売り、なんて揶揄されたりする仕事が、様変わり、というわけだ。
ま、しかし、本屋さんにならんでいる膨大な本を前にして。
あらあら、また、だまくらかされちゃうんだろうね、なんていう感想を持ってしまうんだけど。
その、だまされ感から、いろんなことを身につけていく、というのもありで。
そもそも、読書というのは、誤読がデフォで、ってことですね。
だれが、この知識にお墨付きをくれるんだ、みたいな。
お墨付き、金印幻想、とでもいいましょうか、あの卑弥呼が金印を中国の皇帝からいただき。
この紋所が見えないか、という具合に、自分の権威に利用した、という考え方からすると。
ま、そんなもので。
佐藤初女さんから、また、話は変な方向へ行っちゃったな。
とにかく、食べる、ということは、素晴らしい教育、というのか。
当たり前だけど、生きることそのもの、宇宙そのもの、のようで。
いいことはすぐまねする、といういい性格をしている僕なので。
ご飯の炊き方から始め、てみようかな、なんて、思ってもいるのですが。
さてさて、どうなりますやら。
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