らしい、というのは、第14候が、鴻雁北る。
と書いて、こうがんかえる、と読ませるようで。
夏の間は、シベリアで過ごすという。
暑いの、嫌なんだね、きっと。
食の問題もあるのかも、だけど。
それにしても、夏冬に大移動をするんだから、渡り鳥。
昔、小林旭だったか、「ギターを抱いた渡り鳥」なんて映画の題名、なかったかな。
ほんまもんの雁、渡り鳥に比べたら、せいぜい、この日本列島だけだろうから、知れてるな。
なんて言ったら、身もふたもないか。
今朝は澄んだ青空だ。
気温も少し低めか。
このところ、福一という魚屋さんにちょっと凝り出して。
昨日も行っちゃってね。
二日連続だ。
小川港で上がった青あじが、詰め放題、なんてことで、思わず買っちゃったよ、少し遠慮がちに、だけど。
にしても、30匹や40匹はあったかな。
それを3枚におろし、長男坊にも連絡して、どうぞ、ってなもんだった。
二日酔いの頭がフラフラした感じだったな。
以前の糠漬けを思い出したよ。
おじおば会で、産地直売、みたいなところ、彼女たち好きだから、よく寄った。
そこには地元の野菜がしこたまあり、あれもこれも漬けたいと買い求め、大量のぬけ漬けとあいなり。
そもそも、それ、誰が食べるんだい、ってな感じだったな。
供給と需要のバランスは大事だよ、ってわけだ。
漬けたいという欲、あるいは、売りたいという欲、それで経済を回したいという欲。
似ていると言えば似ているな。
で、売りたいものが売れ残り、だ。
アパレルの年間2億着の廃棄処分、なんて話題を笑えない話だ。
アパレルも自分で裁断して縫製して、であれば、そんなに余るほどのものはできない。
というのが、ヒントと言えばヒントかもな。
自給自足の話まで至らずとも、だ。
西欧文明とそれ由来のグローバリズムの終わりの始まりに立ち会っての。
さて、では、どんな暮らしだろうか、という尽きない妄想だ。
言葉を変えれば、思考転換、習慣からの脱出、あと何かな、常識とおさらば、とか。
ま、そんな具合で、いろんなことが起こっているのであります。