事任八幡宮をあとにして、小夜の中山へ。
ここ、旧東海道なんですね。
扇屋さんという、峠の茶屋です。
4軒ならんでいたけど、いまは、うちだけになってしまった。
この隣で、明治天皇が、ご休憩をされた、と言われてます、とも。
7年前、102歳で、おばあさんが、亡くなった、とおっしゃっていた。
帰宅後、峠の話を、わが母親に伝えると、そのおばあさんと、話したことがあるらしい。
独特な作り方をした飴を売っていた、とか。
子育飴、というわけです。
これが、旧東海道です。
これは、久延寺まえの大楠木。
久延寺の縁起は、よく見えませんか。
昔、住職が山賊に殺された妊婦の子を育て、子は成長して親の敵を討つことができた。こ
れはひとえに、本尊の加護によるものである。
という伝説にちなみ、子育観音と言われている、そうです。
それで、子育飴、というわけですね。
近くには、西行法師の歌碑?もあります。
年たけて また越ゆべしと おもひきや
いのちなりけり さよの中山
ここ、旧東海道なんですね。
扇屋さんという、峠の茶屋です。
4軒ならんでいたけど、いまは、うちだけになってしまった。
この隣で、明治天皇が、ご休憩をされた、と言われてます、とも。
7年前、102歳で、おばあさんが、亡くなった、とおっしゃっていた。
帰宅後、峠の話を、わが母親に伝えると、そのおばあさんと、話したことがあるらしい。
独特な作り方をした飴を売っていた、とか。
子育飴、というわけです。
これが、旧東海道です。
これは、久延寺まえの大楠木。
久延寺の縁起は、よく見えませんか。
昔、住職が山賊に殺された妊婦の子を育て、子は成長して親の敵を討つことができた。こ
れはひとえに、本尊の加護によるものである。
という伝説にちなみ、子育観音と言われている、そうです。
それで、子育飴、というわけですね。
近くには、西行法師の歌碑?もあります。
年たけて また越ゆべしと おもひきや
いのちなりけり さよの中山
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