端布に恋した私

小さな端布を 縫い集めてつくるパッチワークは 
私の楽しい趣味の一つです。

スカート

2008-08-31 | Weblog
先日 新聞を見ていたら 女学生のスカートの丈が長くなりつつあると
載っていました。
あんなに短い丈が流行っているので 少しぐらい長くなって丁度いい具合
と私など 老婆心で思っていますが 少し残念と思っている殿方もいる
のではないかと これ又 気にかかります。

半世紀以上前の セーラ服のスカート丈膝より少し下でした。
紺のひだスカートは これが厄介者で 毎晩「寝押し」をしていました。
「寝押し」この言葉も 今は聞くこともありません。

夜寝る前に 敷き布団をめくり スカートのヒダ一本一本整え 静かに
布団を元に戻し いつものように 寝ます。

行儀良く寝て 朝になれば ルンルンですが 寝相が悪く敷布団まで
ずれた朝は 泣くに泣けません。
朝食もそこそこに アイロンで 直すことになります。

今は 安くて早い クリーニング屋さんが沢山あって そんなことも
ないようです




デジカメを 購入する前は 小型カメラで 手作りの袋物を
撮っていましたが 其のフイルムを パソコンに取り入れることが
出来ましたので 不詳私の作品見てください。
現物は 手元には ない物ばかりです。


これも 袋です。
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招待状

2008-08-30 | Weblog
穴熊さんに お友達から披露宴の招待状が 届きました。

娘さんのお祝いですが お婿さんを迎えられるから 家としての
跡継ぎなので 後々のお付き合いを 配慮してのようです。

世の中の変化に 伴い田舎の冠婚葬祭も 大きく変わりました。
集落の世話好きが 走り回ってまとめた縁談が決まると しかるべき
顔役が 仲人を引き受けます。

大安吉日の日を選んで 結納の品 大きな鯛 三段のお重 角樽を
抱えて 嫁になる娘さんの家へ。
仲人は  口上を 述べ 娘さんを 頂きたいと申し出しますが 一回
では 承諾をもらえず 何回も玄関を出入りして ようやく 親が
承諾するのが普通でした。

返事をもらえばこっちのものです。
床の間の前の赤い毛氈の上に 持参の品々を並べ 結納の儀式が
始まります。
婿殿の側が ずらりと並び 対面に嫁さんの親族が並びます。

高砂の流れる中 仲人さんの挨拶 親族紹介などがあり 嫁さんの
側からの 酒肴の接待が始まります。

勿論持参した 鯛もお刺身となって 出されます。
鹿児島地方では 結納が静かだと ご近所から 「静かだった」と
言われるので にぎやかにするのが 礼儀だといわれたことがあります。

近頃は 田舎でも お仲人さんもなくホテルなどで 当事者と両親のみ
の結納が多いようです。


あんなに暑かった夏も ここのところ涼しい毎日です。
少しづづ 針を握っています。
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我 慢

2008-08-28 | Weblog
北京オリンピックも終わり テレビも次のパラリンピックのことを話題
にしています。

我が家では まだ余韻が残っています。
数ある種目の中でも やっぱり華のあるのは マラソンでした。
男子マラソンの金メダルはケニア生まれで日本でマラソンの指導を受けた
青年ワンジル君でした。

其の記録も びっくりながらぺらぺらの日本語で飛び出した 「我慢」
の言葉。
彼は 日本で「我慢」を学んだことが勝因だと 誇らしげに答えて
いました。

「我慢」することは 日本人のものだったのか とこの時 初めて
思いました。

お店でも乗り物でも 行儀良く並び 安い年金でお上に税金を納め
つつましく我慢の生活をしている私達。

国に助けを願ってもいい 弱者や障害者が「我慢」している日本の国。
国民の「我慢」に支えられている 私達の国。

子供の頃から もしもの時のためにの口癖で 「我慢」や「辛抱」を
教育された私達の世代です。
敗戦で 貧しかった日本だったことも 原因でしょう。

今は 表面豊かになった日本。
「辛抱」も「我慢」も 聞かれなくなって ケニアの青年の口から
この言葉が 聴かれるなんて 私にとっては ショックでした。
「勿体無い」「我慢」「辛抱」などの言葉が 生きているこの国。

オリンピックを 終わって 改めて日本の国を思い返しています。
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疲 れ

2008-08-24 | Weblog
取り入れも済み 沢山居たカブトムシも先日 もらわれて行き爺と婆の
夏も 今夜の花火大会で 無事終わりそうです。

夕べの 穴熊さんとなんだか今年は疲れたと言う話になり 何でだろうと
思い巡らしていましたら 分かりました。

オリンピックです。
二週間あまり 白黒の決着どころか 世界の順位を決める スペシャルな
イベントです。
テレビで毎日熱戦が 流れています。

手に汗を握る 接戦に応援をしたり涙したり 観戦疲れだったのです。
今夜の閉会式で 「北京オリンピック」も おしまい。

結果は メダルが最高なのは分かりますが そうでなかった選手達の
其の頑張りにも 沢山の感動をもらいました。

参加の選手の皆さん ありがとうございました。

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2008-08-22 | Weblog
あんなに暑い日が続いていたのに 昨夜などはしのぎやすい夜でした。
確実に秋の気配です。


今日 8月22日は私にとって忘れられない日です。
そうです 大好きな向田邦子さんの命日です。

故郷もどきと書いておられる 鹿児島の近代文学館には 
向田邦子さんの常設コーナーがありますが 二回訪ねました。

残されたエッセイ 小説はどれも鋭い女の勘や勘繰りが 書かれていて
うなってしまいます。

昭和の一桁生まれの彼女は 戦前の典型的な女性です。
我慢強く 優しく 思いやりがあり 其の才能が短く終わったことに
本当に残念に思います。

写真の本「映画の手帳」は 若く20代の頃 勤めていた映画雑誌社の
月刊誌の最後に 書かれた編集後記が後日 本にまとめられ出版され
たものです。 

彼女の映画(特に洋画)に対する 情熱を見ることが出来ます。
後に明らかにされた 秘められた向田さんの恋が始まった頃でしょうか。

以前 向田さんの恋が明るみに出ていない頃 こんなに聡明な人が
恋する男性はどんな人だろう といつも思っていました。
それが知りたくて 向田さんを話題にした 本や雑誌を色々集めて
居ましたが 後に妹さんがその恋を公表され なお一層 彼女への思いを
深くしています。

若い頃の公表されている ポートレートはプロの写真です。
其の写真の 向田さんの瞳の中には カメラマンの彼が映っている
のです。
切ない 恋の結末も又 向田さんを深みのある 作品を書く力に
なったのでしょうか。

向田さんの 年齢をはるかに超えてしまいましたが 何時までも
私の目標の女性です。
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まめ科

2008-08-21 | Weblog
この歳になると 昔 学校で勉強したことも まだらにしか覚えて
いません。
それでも 其の 脳の隅に残るいくつかの記憶は 自分でも可笑しい
くらい鮮明です。

中学校時代 炎の勉強をした時 炎は外炎 内炎 炎心と区別され 
其の温度の 区分まで小学生に説明できるくらい覚えています。
多分 理科の先生が 面白い先生だったからと思っています。

植物の分類等今では 何の役にも立っていませんが田舎で生活して
いると「なす科」の植物 なす トマト ほうずき 唐辛子 など
同じ害虫が 一杯付いているので変なところで 「なす科」の分類を
今勉強しています。

写真は まめ科の「落花生」です。
小指の腹くらいの大きさですが 可愛い綺麗な花です。
朝咲いて 夕方には閉じてしまいます。

この「落花生」もうすぐ 掘り起こして地中の実を収穫します。
生の 採れたては洗って 圧力鍋で塩ゆでにして 「だれやめ」の
つまみになります。
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敬 称

2008-08-20 | Weblog
私の住む 集落は全戸で50戸にもなりません。

其のうち 我が家と同じ苗字の家が1/3位あります。。
同じ苗字が 全部親戚か? と住み始めた頃は思いましたが我が家と
親戚筋の家もあればそうでない家もあるようですが 何代か逆上れば
親戚筋なのかもしれません。

最初は困るだろうなあー と思っていましたが 全然困りません。
集落では大抵 名前で呼び合っていますので 苗字で呼び合うことは
ありません。

まして 子供の頃から生まれ育った 人同士は「○○チャン」と
チャン呼びです。
我が家の穴熊さんも 頭は薄くなっても訪ねて見える友達は○○チャン
と 呼んでいただいています。

しかし この敬称 一寸と距離のある人や よそから嫁に来た人は
「○○さん」とさん付けで呼ばれることが 多いようです。

暗黙のうちに 一人ひとりの位置が 分かるのです。
それが田舎に住む良さであり 窮屈なところでしょう。

八月も残り少なくなり 穴熊さんたちは 同窓で「栄養会」と称して
飲み会を計画していますが、 打ち合わせの電話で 子供のように
いいおじさん おばさんたちが「チャン」呼びで 話しています。
幾つになっても 幼馴染は変わらないようです。
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おしゃべり

2008-08-19 | Weblog
八月は 暑いし忙しいので 私の趣味は完全に休みにしています。
我が家に見える方も いつも公民館で会う友達も オヤスミです。

高らかに 宣言していますので 静かでしたが 女のおしゃべりは
止められません。
そこで昨日は 我が家でランチ。
新米も収穫できたことだし 我が家でお昼ご飯にしようと 即決。

田舎の混ぜ寿司 いなり寿司 お吸い物 白和え 漬物 果物と
ありあわせのものばかり。
六人頭が揃っても 飲めない人が多くて 飲み物は発泡酒一缶。
笑えます。

二週間ぶりの再会で 政治の話からオリンピックまで おしゃべりは
終わりません。

この日の一品 おくらをサッとゆでて 人参の細切りもサッとゆで
練りゴマ 豆腐 味噌 砂糖で作った和え衣で 合えました。
肉も 魚もない オバサンランチの献立でした。
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道 具

2008-08-16 | Weblog
真似事のような米作りをしていますが 心配や手間は大きな農家と
同じです。

三枚の田んぼのうち 二枚は無事収穫しましたが 残りの一枚の田んぼ
の掛け干しの分が お天気が悪く脱穀できずに 氣をもんでいましたが
ようやく 先日脱穀しました。

この籾 少し乾燥が足りないようで今朝から シートに広げて30分
ほど天日干しです。
そこで 登場したのが この道具。

籾を広げて 混ぜるものです。
そうです あの野球場の「トンボ」と同じ仕組みです。
「稲回転器」と標識が付いています。
片一方は 籾を広げ 反対側は混ぜていきます。

義父が元気な頃は 牛を使っての米作りでしたので私には 物珍しい
道具が納屋には まだまだ健在です。
昔の人の知恵に 感心するばかりです。

稲を刈り取って 2週間過ぎましたが その間お天気が不順で 暑い暑い
太陽が出ていたと思っていると すごい豪雨だったりの日が続き
切り株から 芽が出ているのです。
この時期の雨でどんどん成長し 秋には又短い背丈で実を付けます。

この二番穂のお米 とても美味しくお寿司やさんが 欲しがるものです。
米余りのこの時代 誰も収穫しません。勿体無い話です。
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2008-08-15 | Weblog
田舎では 盆と正月といわれるように 盆の行事は大切なものです。
特に新盆の仏様を迎える家では大変です。

親戚ご近所が新盆の家に招待を受け お坊さんのありがたいお経と
説教を聴き お膳が出ます。
故人の思い出話や 農作物の出来具合の話が弾みます。

少し千鳥足になった頃 集落のはずれのお墓まで 提灯を下げて
行列が続きます。

お墓に参り 頂いた提灯を 納めておしまいですが 其のお盆の料理
の一つに「さらし鯨」が必ず 出ます。

京都の「はも料理」のように 夏の特別の料理というのではなく
盆の料理の膳の一品なのです。

以前は鯨が沢山捕獲されていたので 安くで準備できましたが 
鯨の捕鯨が困難になってから めったに見ることもありませんでしたが
この地方では盆に欠かせないもの スーパーに並んでいました。

冷たい水でさらし 酢味噌で食べますが「これ」といった味のない
「さらし鯨」ですから 酢味噌の出来が かぎです。

鯨の代替に こんにゃくを間違うばかりに加工した 似せたものが出て
いますが こんにゃくはやっぱりこんにゃくです。
どうして 「さらし鯨」が盆の料理の一品なのか この地方だけの
食文化なのか 分かりませんが お盆にはなくてはならない 一品です。
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