昨日 役場の福祉課から 封書が届きました。 中に穴熊さんと私のそれぞれあてに 25項目の 基本チェック とこれからの高齢者対策の参考にする 21項目の チェックのアンケートが書き込まれた 用紙に 自分で回答して返送するものでした。
身の回りのことや体調 生きがい 身体の機能などについてのチェックです。 対象が65歳以上とのことですから 福祉では65歳以上が 高齢者と見ているのでしょう。
貯金の出し入れを 自分でしていますか? なんて 残金の少ない私の貯金 他人に引き出しなんて頼めません。
はい と いいえで回答するのですが 結局は 自分で自分が高齢者であることを 自覚してもらうのも 一つの 目的のようです。
さてさて 今日はゆっくり 心沈めて 自分をチェック してみることにします。
毎朝 7時半から 時計代わりに観ている「梅ちゃん先生」 制服の スカートが 懐かしいひだスカートです。
現代は プリーツも消えることなく スマートに着こなしている 女学生たちですが 昔は大変でした。
寝る前に 敷布団を下から めくり スカートを静かに置き 後ろの部分からひだを丁寧に整え前ひだを整え 息を止めんばかりに 静かに 布団をおろしていきます。
静かに 正しい姿勢で 寝ればいいのですが 寝相の悪かった朝などは 悲惨なものでした。
こんな つまらないことを 時折鮮明に 思い出します。 脳のあちこちに ばらばらに 残っている 記憶昨日のように 思い出されます。
昨日の雨も 上がり 今日は良いお天気のようです。 雨に濡れている クレマチスも 綺麗です。
バックには 少し 薄い着物の布で巾着を 作りました。
穴熊さんの 姪は お茶を栽培し加工 販売までする 大きなお茶農家の嫁です。毎年 新茶が出来上がると 届けてくれます。
それを 見届けると 穴熊さんは 新茶を購入し お友達や お世話になる知人に 届けています。 何年か前までは 大抵の農家は お茶は自家製でした。 我が家も 五月の連休は お茶摘みと加工で どこへも出かけられず わが身を うらんだものです。
土間の かまどの端にある 大きな釜に 薪を燃やし 身を乗り出して むせるようなお茶の香りの中 汗をかいていました。 結婚して お茶は買うものではなく 作るものだと初めて知った私でした。
畑の 境のお茶も 段々無くなり 隣との境に 在来種のお茶が 残っていますが この時期 勿体無いような 新芽を出しています。
摘まねば 勿体無いような 新芽を摘みました。
お茶が出来上がる 工程が理解できれば簡単です。 この生の葉 工場では蒸しますが どうするか しばし考えて私は レンジにお願いします。 大きめの平皿に入れ 二分チンします。 何回かに分けて しんなりさせ ザルの上で 揉みます。 コレが肝心です。
そして 無水鍋に入れ 小さな火で 菜ばしを使い 混ぜつつ水分を 飛ばします。
それからが 時間がかかります。 気長に 炒り上げますが お茶に白い粉が吹いたようになれば 出来上がりです。
せっかちな私は 手で混ぜようとするので 腕に何本もの筋状のやけどの跡が 出来てしまいます。
そして 出来あがった 私の手製のお茶です。 釜炒り茶 ではなく 鍋炒り茶です。
自分で 作って飲むお茶 コレが又 美味しい と自画自賛です。アチコチ 少しづつ 新芽が伸びる 我が家の お茶ですから これから何回か 挑戦です。
どこかで お茶の木を見つけたら ぜひ摘んで 作ってみた下さい。
寒 葵
北側の 一日中日蔭の 藪椿の根元に 置いたままの 寒葵 この時期だけは 私も覗き見します。
今年も 葵の ご紋に似た緑の葉っぱをつけ 其の根元に 沢山の花を付けています。コレがなんとも 色気の無い花ですが それなりに花に寄ってくる蟲もいるのでしょう。
子供の頃 母達が「日蔭の花ね。」 と ひそひそ話すのを聞いて 「それなに?」と ませた質問をして 「子供の癖に そんなこと聞くもんじゃない」 と分けも分からず 叱られていたのを 思い出します。
この寒葵の花を見るたびに なぜか 思い出すのです。
この時期 寒葵の愛好者が 集まって自慢の 展示会が あちこちで 開催されますが その道はその道で 色々な趣味の 粋な方が いらっしゃるようです。
この花 根元にでんでんむしの卵のような種子を 沢山落とし 鉢に沢山の芽を出しています。 成長に時間がかかる植物のようで コレくらいの大きさだと 年代ものだと 自負しています。
アベマキ
我が家の 畑の隅のアベマキ 今沢山の花を付けています。 還暦を過ぎて 針を握って遊ぶようになって このアベマキを知りました。 一つのことに興味を持ち 続けていると沢山広がりが 始まることを この歳になって感じています。
このアベマキはとても大きなどんぐりの実をつけます。 そしてその帽子の部分はとても堅く其の帽子の部分で 小さなアクセサリーを作って遊んでいます。
始めた当時 アチコチ 近隣の公園や 山に探しに行きましたが 何気なく植えた種子は 畑の隅で ぐんぐん育ち 昨年から花を付けるようになりましたが まだ実はつけません。
親指と人差し指をあわせたくらいの 幹廻りですが まだまだ幼木なのでしょう。
なんとも 色気の無い アベマキの花ですが 毎日見上げています。
気持ちに 余裕が無い日でも 布を見ると 落ち着きます。 細切れの時間は 小さな布を引っ張り出して 布を切っています。
このところ 忙しく 思わず時間がかかってしまいました。
いつものトートバックです。 幅40cm 深さ32cm 底は幅13cmです。
大きめですから 沢山入ります。
先日の ミニ落語会でのこと。 早春の宵の落語会に 期待して 私の座った椅子は前から 二番目 手を伸ばせば 即席の赤い 高座に手の届きそうな 位置でした。
そして高座の 上手には 主催者の若い男性と 女性が パイプ椅子に座っていました。 主催者側の 司会の女性と 付き添いでしょうか。
やがて時間通り 師匠の紹介が 其の女性から述べられました。 座席の後ろから 鶯色の着物の 師匠が現れ 高座へと 一段二段と上がられ 座布団へ そして深々と頭を下げられました。
ところが 履物が 乱れて脱がれています。 私はそれに目を奪われてしまいました。
話は始まりましたが 其の履物のすぐ前にいる 女性も若い男性も そろえる気配はありません。
其の出来事に 私のすぐ前の年輩女性も気が付き 横のお友達に なにやら合図しますが 反応がありません。
こうなると 私も頭は 不ぞろいの師匠の草履のことで 気もそぞろです。 子供の頃から 玄関の履物は きちんと揃えるように 父に厳しく言われていました。 今でも客人の 履物は気になります。
高座に上がる段のすぐ前に 座っているのです。 見えないはずはありません。 もしかしたら この時代 師匠はわざと乱れた脱ぎ方を されたのだろうか と 私の頭の中は グルグルです。
とうとう休憩の時間になりました。 私の前の女性がすばやく 女性に指示しました。 すると若い方の男性が 草履を揃えむきを変えました。
私も 思わず 其の奥さんの肩をつつき 「奥さんありがとう 私も気になっていたのです」と言ってしまいました。 すると其の奥さん 「アレで三人子供がいるのよ。」と一言。
なにもかもが 自由とかのびのびとか 言われていますが 幼い頃からの しつけの大事さを思い知らされた 春の宵でした。
落 語
街中の 空き店舗を利用したギャラリーは色々頑張っています。 私と栞さんの「布遊び展」でもお世話になっています。
そんなギャラリーで 昨夕 落語会が開催されると 聞いて行ってきました。 わが町出身の落語家さん 柳家さん枝師匠が 里帰りされての高座です。
演目は 季節柄 「長屋の花見」 「時そば」の 二話でした。
柳家小さん門下で 昭和57年に 真打昇進のベテランです。 ふるさとの地名や思い出を交えつつの 飽きの来ない話しぶりは さすがに落語家です。70人ほどの お客を笑いに取り込む 話術は 自分もそばをすすっているょうな気になるから 不思議です。
私のアイポットにも 落語を入れていますが 又違った 感動です。
師匠は 趣味も多彩で 水彩画も楽しまれているとの事 今度このギャラリーでも 個展を開催の予定との事 楽しみです。
こんなに身近に 本物の落語を聴く機会のない 私にとって とても大切な時間でした。
中間の 休憩には 町のお茶農家の若い衆が お饅頭とお茶で 接待です。 始まった新茶の摘み取りの忙しい中 地元のお茶の消費拡大に 奮戦中です。
若い人たちも 町のあちこちで 頑張っているのだなと 思った ひとときでした。