端布に恋した私

小さな端布を 縫い集めてつくるパッチワークは 
私の楽しい趣味の一つです。

2009-01-31 | Weblog
今日は とても暖かい 一日でした。
それなのに やっぱりいつものように 着膨れています。
暖かい日は 薄着になって 動きを軽くしたいのに 体はまだまだ鈍い
状態です。
いつもプールに通う 通りすがりのお宅の寒桜 満開でした、


この暖かさに 我が家の「藪椿」も咲き始めました。
めじろが来て 花を落としていくでしょう。



裏の日陰の「柊なんてん」も 蕾を黄色くしています。
もうすぐ黄色の可愛い花を咲かせるでしょう。
中心から次々に花開く グラデーションが綺麗で 私の好きな花です。
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伝 承

2009-01-30 | Weblog
外国人の お相撲さんが 苦戦の末勝って 土俵の上で ガッのポーズを
して 誇らしげにしているのを私も テレビで見ました。

「アレ それはいけませんよ」とつぶやいていましたら 案の定 注意されました。
お相撲は 昔から神にささげるもの。
つまり祭事の一つなのは 日本人誰でも承知のこと。と思っていたら 
そんな伝承も段々薄くなっている ようです。
テレビのインタビューでも 「相撲は格闘技 ガッポーズがなぜ悪い」の
言葉も 聴かれました。

私の小さな集落でも 心のよりどころの神社があります。
年に四回 地区民が集まり 無事を祈り作物の豊作を祈ります。

心のよりどころになっています。
そんな祭りも 秋祭りは一番の賑わいで 子供の相撲が奉納されていましたが
今は 高齢者が多く子供の数も少なくなり 消えています。
時代と共に 消える伝承も沢山あると改めて想いました。

昔 訃報が届き お通夜に駆けつけるとき とりあえず駆けつけた意味も
含めて 地味な着物に黒の紋付を掛けて出かけていました。
「お目覚まし」も 薄墨で書いていました。
手伝いの女衆も さっぱりした普段着に白の割烹着で駆けつけていました。

それが今 葬儀屋が仕切るようになって お通夜から盛装の喪服姿です。
昔ながらの 無地の着物に黒の羽織などで 出かけたら 白い目で見られ
そうです。
古布で 色々縫い物をするようになり 着物の古着屋さんに出かける
ことが多くなりましたが 勿体無いような 着物が沢山安くで出ています。

着物を着る文化や それに伴う伝承だけは 続けたいものだと 思います。

七草の中の食べられる(ほとけのざ)ではありませんが これも 
ほとけのざです。 
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ド ジ

2009-01-29 | Weblog
老いを迎えるとは こんなことかと思い知らされることが続いています。

其の一 回転椅子の調子が悪く 裏返してみたらねじが抜けて います。
原因は これだ とありあわせのねじ釘をはめてみたが長すぎる。
それなら金槌で叩き込んで ねじまわしを使えばと 浅い女の考え。
想いっきり 叩いたら 自分の中指の第一関節あたりを強打。

夕方には 青くはれ 痛い。 翌日ははれも減りましたが まだうっ血
して居ますが痛みなし。

其の二 指を強打しつつ お昼ごはんを一人で食べていたら 何を
間違ったのか 自分の舌を噛み これまた痛い目合う。
28本の元気な 歯がこの時は恨めしい。

其の三 同じ日 夕食の準備しつつ 果物ナイフをペーパーで拭いていたら
指の腹の皮までスーと 切りリバテープのお世話になりました。

其の四 ドアーの取っ手を握り 手前に引いたら 足を引くのが遅く
右足の小指を痛いほど 強打。

自分で自分に ドジ 間抜けと叫んでしまいましたが 高齢者になる
惨めさも 感じた日でした。
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畦焼き

2009-01-26 | Weblog
昨日の日曜日 集落では各戸から一人づつ 参加して環境の整備が
行われました。

田んぼは 今年の作業を前にして 農道やあぜ道の枯れ草に火が入れられます。
害虫の駆除や 環境を整備する意味もあります。
消防団にも出動してもらうので 町全体一斉の行事です。
あちこちで煙が上がっていました。

今日は 旧の正月 二月になれば節分 立春が待っています。
まだまだ 名のみの春ですが 用水路の掃除が済み 池の栓が抜かれ
乾いた 田んぼにすこしづつ水が 入り始めれば もう春です。

春は待ち遠しく思い 夏は一気に来るし 秋は忍び寄り 冬はせかされる
想いがします。

年を取ると 後何回 春を見ることが出来るのだろうと ふと思って
しまいます。
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ミシン

2009-01-25 | Weblog
縫い物大好きの私にとってミシンは 大事なものです。

娘の頃から使っていたのは 古い足踏みのミシンでしたが 小型のモーター
を付けて 卓上でも使える との宣伝に乗って 改造したら使い勝手が悪く
結局 新しい電動のミシンに買い替え 今のミシンを使い始めて30年
くらいになるでしょうか。

袋の仕立ては勿論 穴熊さんの作業着の繕いや 勿論雑巾も縫います。
大事な私の 友達です。

このミシンの掃除が大好きな私 時間の余裕を見つけたら マイドライバーを
出し 押さえがねをはずし 水平釜をはずし 小さな刷毛で埃をはらいます。

結構 溜まっている埃に にんまりしつつ 拭きあげ元のようにねじを
しっかり 〆て 油を差します。
これで音が軽やかになり 掃除が終わります。

割と単純な 機能のミシンですから 故障もないのでしょう。

先日 見かけた若いお母さん 今流行のジーンズの破れたのを履いて
いました。
それも破れやすいところが 破れているのなら 納得ですが 足の太もも
のあたりが破れているのです。

横の縫い目を解き 裏から布をあて ミシンで継ぎ当てさせてと 
言いたくなってしまいました。

変な流行もあるものです。

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椎 茸

2009-01-24 | Weblog
先日 野菜やさんで 量り売りの椎茸をみつけました。
立派な つぶの揃った「どんこ」で 早速 味噌汁 卵とじ すき焼き
バター焼きと 堪能しました。

椎茸といえば この可愛いどんぐり。


ウオーキングの途中の 里山で見つけ 秋に どんぐりの帽子を楽しみに
していたのに 木が切り倒されていました。
そうです。 椎茸の原木で 切り倒して 乾燥させ 椎茸のこまを打ち
美味しい椎茸が育つのです。

残念でした。

この木 大きなどんぐりをつけるので 公園等にも 植栽してあるらしいので
又探すことにしましょう。

秋に 落ちているどんぐりの帽子の部分を 木工やすりできれいにして
紐を通し 布で丸めて綿を入れ閉じた玉を ボンドでつけます。


それがどうした? といわれれば 返事に困りますが 
可愛いアクセサリーです。


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墨 壷

2009-01-23 | Weblog
先週 年明けて初めて 友達といつもの古布のお店に 行きました。
お店は 木綿 絹等の古布が沢山揃っていますが 骨董品とよばれる物も
あります。
いろいろと 布を見ながら話が弾みましたが ふと目にした
棚の古い墨壷が 気になって仕方ありませんでした。


子供の頃 家の建築現場で 大工さんが この墨壷から糸を出し 
人差し指と 親指でパチンとはじくと まっすぐに細い線が 走って
いました。

そういえば近頃 そんな作業もこの墨壷も見かけません。

お店の棚の墨壷 手にとって見ると 池の周りには 鶴と亀が彫刻して
あります。
それは見事な彫刻です。
材質の木材の木目も 見事です。 ケヤキかな?と素人目で思いますが色が
黒く分かりません。  




こんな 手の込んだ墨壷を道具として 使っていた棟梁 きっと立派な
仕事のできる 職人だったのだろうと 想いがよぎります。
大事に使われたことは 一目で分かります。

女の癖に 欲しくなりましたが もう一人の私が戒めます。
それから一週間 頭の中をあの墨壷が 離れません。

今日 私のものにしました。
何にするか 決まっています。



ちなみに 近くで建築中の現場の 若い大工さんに 今時の墨壷見せて
いただきました。


スマートな形で ポケットから出して見せてくれました。
これでも 名前は「墨つぼ」だそうです。

時代と共に 道具はより便利で機能的になりますが 昔の人の知恵と技術で
念入りに作られた道具が 忘れられるのは寂しい限りです。
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小さなバック

2009-01-22 | Weblog
出来上がりました。
小さなバックですが 皆さんに喜んでもらっている 定番のバックです。






このバック 高さ16cm幅16cm 底幅7cmです。
紐45cmです。
木曜日に 我が家に見える ゆう子さん お友達へのプレゼントの
刺し子のバックが出来上がりました
 
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煮 豆

2009-01-21 | Weblog
暮に 北海道物産展で買っていた 豆がまだ残っていました。
煮豆が食べたくなれば 惣菜やで買ってくれば いいようなものですが
私には変なこだわりがあります。

甘さは あまり甘くなく 豆の味が残っていること。
皮は 破れずしっかり 豆の形を残し それでも皮は口に残らず
ふっくらしていること。
等と 理屈を言っていますが 砂糖の量 塩加減などいい加減な目分量
ですし 砂糖も買い置きや 頂き物ですから ザラメだったり太白だったり
色々です。

今は 便利な 保温鍋がありますので いい加減な私でもしっかり
美味しい煮豆が出来るのです。

煮豆が食べたいと 思うとき身体が疲れて 糖分を要求しているのかも
知れないと 勝手に解釈して 食べています。


一昔前まで 私の集落でも 冠婚葬祭のお膳は 近所の奥さんに手伝いを
頼み 準備していました。
吸い物 煮しめ 膾 煮豆 白和え 刺身 寿司と料理は決まっていますが
食材は できるだけ自家用を使って 作っていました。

先輩の オバサンの指揮の下 若い嫁達は 野菜の切り方から 味付け
挨拶の仕方から 土地の習慣 親戚関係のつながりなど そんなときに
教えてもらい 受け継いできました。

座敷の 座る順番も若い者は下座と決まっていました。
そんな共同のまかないは お祝いの婚礼 披露宴 節句祝い に始まり
葬式 法事までまかなっていました。

お祝いの膳は 金時豆 不祝儀の膳は大豆の煮豆でした。
助け合いの 心 つまり「結いの心」で続けられていた そんな行事も
今は 消えてしまいました。

すべてが終わり 手伝いの女衆が膳に座るとき 自画自賛して 豆が美味しいよ
とか 白和えの和えごろもが美味しいとか 寿司の酢の具合がいいとか
話しながら 家主の酌を受けていました。

そんな昔の 出来事を思い出しつつ 豆をつまんでいます。
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言 葉

2009-01-20 | Weblog
女が集まると まずおしゃべりが始まります。

腕力で ねじ伏せようとする 男に対して 女にはおしゃべりの武器を
神は与えられたようで 毎日の生活の話から 子供の話 孫の話 
さては政治の話と 多岐にわたります。

子供の頃から おしゃべりだった私に母は いつも口すっぱく 口は災い
の元だからと たしなめていました。

不思議なことに 「あの人から言われる筋ではないわ」と反発する時でも
別の言葉上手の人に言われると「それもそうか」と反省の気持ちになります。

沢山の日本語の中で 「ものはいいよう 四角い豆腐も切りよじゃ丸よ」
まさに其のとおりと 思うことがしばしばあります。

大ちゃく者の私など 平気で毎日言葉を使っていますが 回りの人を
知らぬ間に 傷つけているのではないかと心配になります。

言葉で言い合って 相手を負かしても 後々ずーと気にかかることになり
負けておけば気も楽だったのに と思うこともあります。

それくらい 口に出して言わなくても 分かるだろうと思うことも多々
ありますが 「あれー ごめんね言葉足らずで……」と思うこともあります。

口先だけでなく行動が伴わなくては 言葉は意味がないように思います。
年齢を重ねるごとに 「口だけ元気」を やめなければと反省しています。

海の向こうの 大統領就任の演説が話題になっています。
どんな言葉が 飛び出すのでしょうか。
色々な人種や 人々の住むアメリカ 世界をリードする立場の大統領です。

分かりやすく 順序良く 優しく 力強く 希望の持てる そんな言葉を
オバサンは 期待しています。

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