まだまだ 余震が続いています。
身体に感じる小さな地震でも 現地熊本では 眠れないだろうなあーと 思っています。
心は寄せていても具体的に 何かできることはないかと よたよたしている自分に 腹を立てています。
そんな中 脳のどこに残っているのか 夕べは就職したころの 懐かしい夢を 見てしまいました。
朝になって 思い返していますがところどころしか 思い出せません。
60年前の私 立派な 両袖机は課長席で その前に向かい合わせの机が 4個づつ並んでいました。
一番末端の机が私で 課長の机の前と私の前に 長いコードの黒電話が座っていました。
電話など 家庭にない時代です。 ベルの音にいつもびくびくしていました。
遠い熊本の管轄役所に電話するときは 電話局に申し込んでいました。
その課長の前には欅の 立派に決裁箱が置かれ その箱を朝 キャビネットから出すのは 私の仕事の一つでした。
課は4つ それぞれ女性が一人づつに 受付にはお局さんが一人 幅を利かせていました。
文書を タイプで清書したり ホッチキスのない時代ですから こよりを撚ったり お昼の注文をしたり の気楽な仕事でした。
そんなある日 4時が過ぎたころ 課長が決裁箱を 収めて席を立ち 退庁しました。
皆 なんでだろうと 黙って見送りましたが やがて戻ってきました。
照れ笑いをしながら 決裁箱を出し 元の席に 着席。
「まだ 4時だね」 と一言 。
なんと時間の 勘違いでした。
箸が転げてもおかしい年頃の私 お腹を押さえて 下を向き 笑いをかみ殺すのに 必死だったのを思い出します。
先週の 金曜日には 脳のMRI の 定期検査を うけ 時計の図を書され お髭の優しい先生に まだ大丈夫ですよと
励まされたばかりです。
夕べのような 夢は どこに残っているのか聞いてみればよかったと 思い返しています。
手が空くと 作っている 2㎝四角の 布たくさん箱に入れています。
やる気になって繋げば すぐです。 120枚の 布たちです。