昨日の 夕方から開催の 同窓会に 参加してきました。
電車で 1時間40分ほどの 故郷ですが 父も母もいなくなった今 なかなか腰を上げることがありません、
戦後の 混乱の残るころ 故郷には高校が2校でした。
普通科の高校と 工業系の高校でした。 工業系の高校には 機械科 土木科 電気科 家庭科が学年一クラスずつ 商業科は4クラスでした。
そんな状態の高校も10 年ほど過ぎた 昭和36年に商業科が独立し 商業高校が立ち上げられました。
そんな中ぶらりの私の学び舎の 同窓会も 後に続くものがなく今回で最後になったのです。
230人余りの参加者は 皆高齢です。
用意された14番テーブルは 私のクラスの 9人 60年ぶりの再会は 胸の名札を見るまで わかりませんでした。
不参加の友の消息を聞きながら 熱気むんむんの 会場を沢山の余興が 盛り上げます。
話足りないおばさん7人は 地元の残る二人の配慮で 二次会の 喫茶店で 又思い出話に花を咲かせました。
お腹の皮のよじれるほど笑い 涙をこぼし 元気でこの世にまだ生きていられる幸せを かみしめて 地元の友とともに ホテルに宿泊しました。
オートロックキーに締め出され 親兄弟の話に うなずき もうすぐ迎える喜寿の話に 花が咲きます。
ゆっくりした朝食は 下げもことも洗うこともしなくていい そんな喜びを またまた 大笑いです。
子育ても終わった 余裕の7人で 今日は故郷を離れて住む私たちと 地元の友が 思い出の地を訪ねる 計画を 考えてくれていました。
故郷の中心に位置する名所 延岡城跡にタクシー2台で直行です。
復元された 大手門です。
友の一人が案内役です。
若いころ勤務した役所のすぐ 裏に位置する この城跡は 庭のような存在でした。
タクシーの中から見た 役所は 今はなく 広い駐車場になっていました。
若くて どんな人生になるか 希望に満ちていた自分がふとよみがえり 鼻の奥がつーんとしてしまいました。
海抜150メーター余りの 山頂には 時を告げる鐘があります。
今も 市民に 時を告げている鐘です。
木々若葉が 美しく 名物の数々の藪椿は 花を見ることはありませんでした。
次 どこ行く? の言葉に母校に行ってみよう と意見が一致し 工業高校となった母校へ直行しました。
学び舎は 立派な校舎になり スポーツで名を挙げた生徒の 垂れ幕がたくさん かかっていました。
そして 玄関前には 私たちに気合を入れるように 立派な石碑です。
学校から 見えるもう一つの山に タクシーで山頂まで行けるとのことで 高いとこ好みのおばさんたち またまた愛宕山へ 直行です。
知り尽くした町並みを 新しいビルを確認しつつ 記憶の中の故郷を インプットし直しますが あのころの記憶は消えません。
再上映の映画は50円 封切は120円 うどんは30円と 変な記憶は 皆確かです。
お昼は なんとステーキのランチを お腹に収め 抜け殻のようになって 帰ってきました。
「俺は 何を食えばいいのか?」 と 送り出してくれた穴熊さんも チャンと留守番が出来たようです。
故郷で 色々お世話をかけた 征子さん 敦子さん 本当にありがとうございました。