2月16日の 府中郷土の森。
写真をどうぞ
茶室入り口
肌寒い季節に 凛と咲く梅。
しばし、梅の香りと、キリッとした風景を楽しみました。
福寿草も顔を出し
ランチは季節限定の梅うどん
前回のブログで 「いつかは 無いのよ」 と話していた友人に、丸木美術館の事を話したが、気乗りしない様子。
でも次の日 「明日と4日後のどちらかで行こうと思いますが、行きますか?・・・・」 とメールがあった。
まぁ忙しい事!!
もちろんGO
手分けして、先日沖縄旅行に行った人、行けなかった人たちに連絡し、4人が参加。
(このグループは、月1回の元大学教授から、いろいろなお話を聞く会のメンバー。
もう7年ぐらい続いている)
2月11日 丸木美術館 と 埼玉・東松山散策
10時前に西武線東松山に到着。 祭日はバスが無く、タクシー(1990円)で美術館に行く。
この美術館には 「原爆の図」 15点が展示されている。
この美術館の事はずっと知っていたけれど、 あまりに重いテーマで、見に行く勇気が持てなかった。
沖縄の佐喜眞美術館の館長・佐喜眞さんから、
悲惨な話ではあるけれど、人としての誇りや尊厳を大事なテーマとして描いていると聞き、
一度見て見たくなった。
広島は画家・丸木位里の故郷。位里は原爆三日後に広島に入り、妻の俊は1週間後に広島に入った。
そこで目にした惨状や、多くの被爆体験者の証言をもとに、夫妻共同制作で「原爆の図」を描いた。
夫妻は年以上の月日をかけ、「原爆の図」 15部を完成した。
丸木美術館 「原爆の図」・・・・・詳しくはこちらをご覧ください。
入場者はちらほら。
駅から遠く、交通の便が悪いので、車で来る人が多い。
お地蔵さんのように無垢な顔をしている赤ちゃん、川のほとりで抱き合う姉妹、焼けた人たちの間で白くきれいな肌で眠ったような赤ちゃん、
川の中に浮かぶ顔は静かで美しく・・・・焼けただれた母親は子供をしっかり抱いて・・・・
一部に、きっと生き残ったのだろうと思える人達も描かれていた。
丸木さんが、この絵を最初に発表した時に、こんなひどい事が起こるはずがない、想像の世界だと断ずる人がいたそうだ。
その場にいた人が 「現実はもっとひどい。自分の娘の状況も描いてくれ」 と涙ながらに頼み、
丸木夫妻は原爆の図はまだまだ描かなければいけないと決心し、連作となったそうだ。
一人だけで見ていても発見できない詳細を、お互い話し合いながら鑑賞する事できた。
これらの絵を一人だけで鑑賞する事は、とてもできなかったと思う。 辛すぎる。
衝撃は大きかった。
共有できる友達が一緒でよかった。
2階の日当たりの良い部屋は2人のアトリエだった。
ここにある炬燵が、この美術館の唯一の暖房。
寒かった~
美術館正面入り口
都筑川に面して建てられ、景色が良い。
その後東松山に戻り、松山城址に登る。
思った以上に高さがあり、私は滑って転んで泥まみれ。
上杉、武田、北条がこの地を争ったという。 昔は重要な拠点だったらしい。
関西から来た城好きの女性や、数人の女性グループがいた。
城女(しろじょ)というのは本当にいるらしい。
歩いているとこんな不思議ななお堂があった。
上に登ると見晴らしが良い。(岩室観音)
最後は吉見百穴へ。
古墳時代後期の、お墓。
小さく見えるけれど、人が楽に入れる大きさで、ここに棺を2から4入れて埋葬したそうだ。
入れる穴は一つ一つ入り、4人で遊んでしまった。
地下には山腹を掘った、左右500メートルにわたる巨大な軍需工場跡地があった。
ここの売店の女将さんが親切で話好き。
「おもてなし~」と言われて、お茶、漬物などをご馳走になり、私達も30分ほどおしゃべりを楽しんだ。
充実した一日でした。