気まぐれ日記☆着物の小部屋

2007年耳下腺癌の手術で顔が変わり、生活が一転。街歩きと着物と芝居のブログをどうぞ宜しく♪

春の訪れ & 丸木美術館

2016-02-20 01:48:27 | 散策

2月16日の 府中郷土の森。

           写真をどうぞ

茶室入り口

肌寒い季節に 凛と咲く梅。

しばし、梅の香りと、キリッとした風景を楽しみました。

 

福寿草も顔を出し

         

         ランチは季節限定の梅うどん

 

 前回のブログで 「いつかは 無いのよ」 と話していた友人に、丸木美術館の事を話したが、気乗りしない様子。

でも次の日 「明日と4日後のどちらかで行こうと思いますが、行きますか?・・・・」 とメールがあった。

まぁ忙しい事!! 

もちろんGO

手分けして、先日沖縄旅行に行った人、行けなかった人たちに連絡し、4人が参加。

(このグループは、月1回の元大学教授から、いろいろなお話を聞く会のメンバー。

 もう7年ぐらい続いている)

 

2月11日 丸木美術館 と 埼玉・東松山散策

 10時前に西武線東松山に到着。 祭日はバスが無く、タクシー(1990円)で美術館に行く。

この美術館には 「原爆の図」 15点が展示されている。

この美術館の事はずっと知っていたけれど、 あまりに重いテーマで、見に行く勇気が持てなかった。

沖縄の佐喜眞美術館の館長・佐喜眞さんから、

悲惨な話ではあるけれど、人としての誇りや尊厳を大事なテーマとして描いていると聞き、

一度見て見たくなった。

 

 広島は画家・丸木位里の故郷。位里は原爆三日後に広島に入り、妻の俊は1週間後に広島に入った。

そこで目にした惨状や、多くの被爆体験者の証言をもとに、夫妻共同制作で「原爆の図」を描いた。

夫妻は年以上の月日をかけ、「原爆の図」 15部を完成した。

    丸木美術館 「原爆の図」・・・・・詳しくはこちらをご覧ください。

 

 入場者はちらほら。

駅から遠く、交通の便が悪いので、車で来る人が多い。

 

 お地蔵さんのように無垢な顔をしている赤ちゃん、川のほとりで抱き合う姉妹、焼けた人たちの間で白くきれいな肌で眠ったような赤ちゃん、

川の中に浮かぶ顔は静かで美しく・・・・焼けただれた母親は子供をしっかり抱いて・・・・

一部に、きっと生き残ったのだろうと思える人達も描かれていた。

丸木さんが、この絵を最初に発表した時に、こんなひどい事が起こるはずがない、想像の世界だと断ずる人がいたそうだ。

その場にいた人が 「現実はもっとひどい。自分の娘の状況も描いてくれ」 と涙ながらに頼み、

丸木夫妻は原爆の図はまだまだ描かなければいけないと決心し、連作となったそうだ。

 

  一人だけで見ていても発見できない詳細を、お互い話し合いながら鑑賞する事できた。

これらの絵を一人だけで鑑賞する事は、とてもできなかったと思う。 辛すぎる。

衝撃は大きかった。

共有できる友達が一緒でよかった。

2階の日当たりの良い部屋は2人のアトリエだった。

ここにある炬燵が、この美術館の唯一の暖房。

寒かった~

 

美術館正面入り口

都筑川に面して建てられ、景色が良い。

 

 その後東松山に戻り、松山城址に登る。

思った以上に高さがあり、私は滑って転んで泥まみれ。

上杉、武田、北条がこの地を争ったという。 昔は重要な拠点だったらしい。

関西から来た城好きの女性や、数人の女性グループがいた。

城女(しろじょ)というのは本当にいるらしい。

         

歩いているとこんな不思議ななお堂があった。

上に登ると見晴らしが良い。(岩室観音)

 

 最後は吉見百穴へ。

古墳時代後期の、お墓。

小さく見えるけれど、人が楽に入れる大きさで、ここに棺を2から4入れて埋葬したそうだ。

入れる穴は一つ一つ入り、4人で遊んでしまった。

地下には山腹を掘った、左右500メートルにわたる巨大な軍需工場跡地があった。

 

ここの売店の女将さんが親切で話好き。

「おもてなし~」と言われて、お茶、漬物などをご馳走になり、私達も30分ほどおしゃべりを楽しんだ。

充実した一日でした。

 

 

 

 

コメント (8)
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