土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

ジェラシュ遺跡(No.3)

2009-12-10 00:59:32 | ヨルダン(ジェラシュ遺跡)
 お詫び:昨日掲載の方角が逆でしたので訂正いたしました。 

 ここ「アルテミス神殿」はジェラシュ遺跡の中で最も大きな遺跡です。写真はその正門のちょっと右側で、アカンサスが装飾された柱頭部が置かれていました。前回投稿の「大聖堂」の入口にもありました。個人的には自然のままが一番良いと感じますのでこの趣向(サービス)は「?」の感じがします。後日掲載しますペトラ遺跡はこういう趣向は一切ありませんでした。訪問日は金曜日の安息日ですが、その日に関係のない欧米人観光客もまばらでした。サービスが「負」に働いているのでしょうか。それとも今にも倒・崩壊しそうな円柱群に脅威を感じているのでしょうか。個人的には(建築家の見解は分かりませんが、土木技術者としては)リピートする感じは?です。でも、脅威と驚愕を感じる建造物であった事は確かです。



 正面入口です。長い大階段が2段あり神殿入口まで続いています。この大きな高い柱には驚きを感じます。2枚下の写真に反対方向からこの柱全体を撮っております。



 一段目の大階段と2段目にはこういう踊り場があります。左上の円柱は今にも倒壊しそうです。



 その踊り場から入口方向を撮りました。方角は東から西です。左側の屋根部の石は今にも崩落しそうです。



 ここから聖域の中庭に入ります。おおよそ150mx100m(1.5ha)あります。ここで祭事がおこなわれていたのでしょう。礼拝堂は更に一段上がったところにありその前の神殿の円柱は損なわれることなく立っていました。



 神殿の北側からの写真。



 神殿の南側からの写真。



 神殿の礼拝所を撮っています。



 礼拝所の前です。売り子のサービスは「ちょっと?」の感がします。



 礼拝所の飾りアーチの一部が今にも崩落しそうです。その下方の無傷のアーチとの対照が非常に印象的でした。



 前記しました中庭の北側の円柱です。ここにも神殿があったと考えます。柱頭部は崩落し、円柱部も「ダルマ落としの」状態です。



 入口横にあった案内看板。「アルテミス神殿入口」と書いてあります。ここには復元図が見当たりませんでした。先回投稿のアンマン城のヘラクレス神殿(復元図付)よりも大規模な神殿が容易に想像されます。



 「アルテミス神殿」から幹線道路を数m行った東側に浴場後があります。浴場の面影は全くありませんがアーチの門をくぐって入るのでしょうか。何でこの写真が「西浴場」跡かは次の看板があったからです。また神殿と幹線道路の東側に在るのにも拘わらず「西浴場」と呼ぶのは、現在は近代建築物がある場所に、つまり更に東側に「東浴場」があったからだと考えます。



 「WEST BATH」の案内看板がありました。後ろの木は健気に生きるオリーブです。



 幹線道路上に「西浴場」を過ぎると「北道」との交差点に前回投稿の「四面門」があります。



 四面門の天井はアーチです。現代ならRC建造物(鉄筋コンクリート)の梁で上部荷重を支えますが昔の建造物は石の為、全てアーチです。関東在住の皆様が時々見る有楽町のガードもアーチですし、近代的なダムや橋もアーチ型があります。



 四面門から「北門」の列柱通りを見ています。ここから立ち入り禁止でした。この円柱はイオニア式です。柱頭上部はコリント式のように大きくなく左右対称に渦巻き模様がありました。



 「北門」を四面門から大写しで見ております。アーチ門は一つですので裏門です。安息日にも拘わらずここにはガードマンが居ました。
 


 この四面門から西側に、この案内看板の「北劇場」があります。色あせて見づらいのですが 「North Theatre」と書いてあります。



 「北劇場」です。「南劇場」に比べるとその1/3位の規模です。



 前回の「ビジターズ・センター」の出口付近にはこのようなレストラン・バーがあります。失礼ですけど、ここも違和感(場違い)を感じ素通りしました。



 左側がビジターズ・センターでここは出口のゲートです。古の土漠地帯の(緑の植栽の少ない)人工の今にも倒・崩壊しそうな石造建築を見た後の自然植物のオリーブや草花をみてほっとしました。出口の向こうに見えるのが「凱旋門」です。