「フォーラム」の西側(左側)の丘の中腹に「南劇場」があります。観客席は先回、アンマン城の投稿で紹介しました「ローマ劇場」の半分の約3,000人収容できます。2層で32段あります。
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同上「南劇場」の最高所の通路から舞台を撮っています。建造年はA.D.81年~96年です。約16年とは長い年月を掛けて石切、細工、運搬及び組立施工と地道に造られた物と思っていましたら、寄進による建設と書かれていました。
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「フォーラム」から「南劇場」とその南側にある「ゼウス神殿」の円柱群を撮っております。建造年はA.D.162~163年と記されております。こちらは何でこんな短期間で完成されたか? 答えは、ここは以前からローマ神殿がありそこを建替えしたからです。またこの「ローマ神殿」も遡ればギリシャ時代から神殿があった場所だそうです。それにしても約2年は短か過ぎる感じがしますので建替えは極一部だったのでしょう。
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更に北側から南西側にある「凱旋門」「ゼウス神殿」、ヨルダン渓谷及びその奥はパレスチナ自治区の山々と考えます。ここからヨルダン川まで約40kmで北のシリア国境まで約50kmです。
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「南劇場」の最上段の通路の裏側の角から大写しで「フォーラム」と幹線道路「カルド・マキムス」=「列柱通り」を撮っております。
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ゼウス神殿は修復中でネットフェンスが張られ立入禁止でした。(2009年11月時点) が、絶好のカメラアングル獲得の為、安全とガードマンをチェックし、ゼウス神殿の前の破損しているフェンスから5mほど侵入して「フォーラム」及びその先の遺跡群を撮りました。見つかれば当然お仕置きをでしょう。 故に貴重な写真です。??
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更に5m侵入しました。
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更に3m侵入しました。観光の本はいずれも、ここからの写真ですので、以前は開放されていたのだと思います。もしくわ侵入したかもしれません。金曜日の安息日に行けばガードマンはいません。配慮なのでしょうか。否、100%自己責任なのです。言い訳は一切通りません。当然の理ですよね。
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「フォーラム」から北門までの約800mの区間は石畳の「列柱通り」と称し、通りの両側に円柱が建っております。
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同上の大写し。
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South Colonnaded Str.と案内板に書かれています。「南列柱通り」です。この先に「北列柱通り」があり、この幹線道路を上記「カルド・マキムス」と呼び、A.D.2世紀頃の敷設です。「南列柱通り」の円柱は最初はイオニア式だったのをコリント式に建替えられたと言われています。「フォーラム」と「北列柱通り」はイオニア式のままです。円柱の殆どには飾られた柱頭が載っており、横石が載ったのも何本かに見られます。コリント式とイオニア式の明確な特徴は前者は柱頭や柱径が大きく感じられますし、柱頭にはアカンサス(ハアザミ=古代ギリシアでは不死の葉とされてきた)の模様が施されています。後者のそれは左右対称の渦巻き模様です。
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上記幹線道路は「フォーラム」→「南道」→「北道」→「北門」と続きます。幹線道路と南道及び北道の交差点には四面が開放された門があり「四面門」と言われています。「南道」の四面門は4つの角柱の基礎(台座)のみ残っており、この写真は「北道」の四面門です。
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「南道」から「北道」間の幹線道路です。
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「南道」を西から東へと見ています=幹線道路と交差する通り。この交差点には上記のように四面門はありません。
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「南道」と「北道」の間にある「大聖堂」です。正面入口と少しの聖堂跡が残っております。反射して見づらいのですが、崩壊しているので、復元図の立て看板がありました。
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大聖堂の入口隣にある「ニンフェウム」はA.D.2世紀に造られ、半神半人の妖精ニンフに捧げられた泉です。凹状の壁は以前は半円蓋の天井で覆われていました。
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同上。少し遠景。
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「ニンフェウム」前の幹線道路の円柱の列柱群。西側=右側の円柱は大地震で崩壊しています。今でも崩壊しそうな柱もあります。
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同上。大写し。観光客がいる向こう側後ろの「ダルマ落とし」風の建造物は不安定建造物で撤去されないのでしょうか? と言うよりも役所の認可が下りないのでしょう。遠くに見えるのが「北道」の四面門です。
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同上「南劇場」の最高所の通路から舞台を撮っています。建造年はA.D.81年~96年です。約16年とは長い年月を掛けて石切、細工、運搬及び組立施工と地道に造られた物と思っていましたら、寄進による建設と書かれていました。
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「フォーラム」から「南劇場」とその南側にある「ゼウス神殿」の円柱群を撮っております。建造年はA.D.162~163年と記されております。こちらは何でこんな短期間で完成されたか? 答えは、ここは以前からローマ神殿がありそこを建替えしたからです。またこの「ローマ神殿」も遡ればギリシャ時代から神殿があった場所だそうです。それにしても約2年は短か過ぎる感じがしますので建替えは極一部だったのでしょう。
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更に北側から南西側にある「凱旋門」「ゼウス神殿」、ヨルダン渓谷及びその奥はパレスチナ自治区の山々と考えます。ここからヨルダン川まで約40kmで北のシリア国境まで約50kmです。
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「南劇場」の最上段の通路の裏側の角から大写しで「フォーラム」と幹線道路「カルド・マキムス」=「列柱通り」を撮っております。
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ゼウス神殿は修復中でネットフェンスが張られ立入禁止でした。(2009年11月時点) が、絶好のカメラアングル獲得の為、安全とガードマンをチェックし、ゼウス神殿の前の破損しているフェンスから5mほど侵入して「フォーラム」及びその先の遺跡群を撮りました。見つかれば当然お仕置きをでしょう。 故に貴重な写真です。??
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更に5m侵入しました。
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更に3m侵入しました。観光の本はいずれも、ここからの写真ですので、以前は開放されていたのだと思います。もしくわ侵入したかもしれません。金曜日の安息日に行けばガードマンはいません。配慮なのでしょうか。否、100%自己責任なのです。言い訳は一切通りません。当然の理ですよね。
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「フォーラム」から北門までの約800mの区間は石畳の「列柱通り」と称し、通りの両側に円柱が建っております。
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同上の大写し。
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South Colonnaded Str.と案内板に書かれています。「南列柱通り」です。この先に「北列柱通り」があり、この幹線道路を上記「カルド・マキムス」と呼び、A.D.2世紀頃の敷設です。「南列柱通り」の円柱は最初はイオニア式だったのをコリント式に建替えられたと言われています。「フォーラム」と「北列柱通り」はイオニア式のままです。円柱の殆どには飾られた柱頭が載っており、横石が載ったのも何本かに見られます。コリント式とイオニア式の明確な特徴は前者は柱頭や柱径が大きく感じられますし、柱頭にはアカンサス(ハアザミ=古代ギリシアでは不死の葉とされてきた)の模様が施されています。後者のそれは左右対称の渦巻き模様です。
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上記幹線道路は「フォーラム」→「南道」→「北道」→「北門」と続きます。幹線道路と南道及び北道の交差点には四面が開放された門があり「四面門」と言われています。「南道」の四面門は4つの角柱の基礎(台座)のみ残っており、この写真は「北道」の四面門です。
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「南道」から「北道」間の幹線道路です。
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「南道」を西から東へと見ています=幹線道路と交差する通り。この交差点には上記のように四面門はありません。
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「南道」と「北道」の間にある「大聖堂」です。正面入口と少しの聖堂跡が残っております。反射して見づらいのですが、崩壊しているので、復元図の立て看板がありました。
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大聖堂の入口隣にある「ニンフェウム」はA.D.2世紀に造られ、半神半人の妖精ニンフに捧げられた泉です。凹状の壁は以前は半円蓋の天井で覆われていました。
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同上。少し遠景。
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「ニンフェウム」前の幹線道路の円柱の列柱群。西側=右側の円柱は大地震で崩壊しています。今でも崩壊しそうな柱もあります。
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同上。大写し。観光客がいる向こう側後ろの「ダルマ落とし」風の建造物は不安定建造物で撤去されないのでしょうか? と言うよりも役所の認可が下りないのでしょう。遠くに見えるのが「北道」の四面門です。
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