いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
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鹿島と戊辰戦争

2018-07-28 06:05:06 | Weblog

                            分類:観                                                      場所 : 鹿島神社隣   いわき市常磐上矢田町花木下34                                                                                                                             

 鹿島で戊辰戦争というと、七本松の戦いを即座に思い浮かべますが実はもう一カ所、鹿島神社隣地にある華木公園の場所でも大砲を据えて、平藩と仙台藩の奥羽越列藩同盟軍が西軍と戦った場所があります。

  慶応4年(1868)1月に鳥羽・伏見の戦いで始まり、6月16日には早くも薩摩・佐土原・大村の3藩の西軍の兵が平潟港(茨城県)に到達し、上陸を開始しました。                       磐城3藩は仙台藩に援軍を頼み300名ほどの兵が送り込まれて、うち80名ほどが平潟に配置され平藩や 仙台藩の兵はこれを迎えて戦ったものの、西軍の兵力に圧倒されて関田村へ退却。                                                           《鹿島神社の階段を上りながら右側を注視していくと「華木公園」の石柱がある》                                                                              しかし、翌17日には平・泉・仙台など同盟軍(東軍)側は平潟奪還に繰り出しましたが西軍が応戦し状況は劣勢のまま、関田付近での戦闘が繰り広げられました。 これが磐城に於ける戊辰戦争の幕開けとなりました。                                その後、新田山・添野・植田八幡山・二ツ橋などでの攻防が繰り返され、7月10日の鹿島七本松の戦いに入ります。薩摩藩の巧妙な作戦によって平・仙台藩の兵は敗走、鹿島ではこの戦いによる戦死者の供養塔や古跡の跡が各所で見ることができます。                                      《鹿島神社境内の右手にある戊辰戦役砲台古跡の碑》

 鹿島神社の境内(隣地)には大砲を据えた跡地があり、昭和2年2月10日に建立された石碑があります=写真。                                      上矢田・上荒川(平)の境になる 「くうじ山」 の山頂には郷ケ丘団地が出来るまで壕跡がありました。獺沢(おそざわ)地区には、地元の2名が昭和45年に明治100年を機会として、無縁仏となった兵の霊を供養するため、同地に石碑を建てました。

 

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