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いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

4年掛かりで建った蔵福寺

2018-07-26 06:09:54 | Weblog

                                           分類:神仏

                         高野山真言宗 天徳山福正院 蔵福寺                                             いわき市鹿島町走熊字坪下28                                                                                開山についての詳細は不明ですが、過去帳からすると宝永5年(1708)10月28日に、法印堅秀が入寂している記があり、それ以前法印堅秀第4世の記から1700年以前に開山されている事は推定できます。                                                                その頃は、山号を鬼渡山(きわたりさん)呼んで禅東は植田の東光院、及び長孫の長宗寺にも転任(移って住職となる)しています。(入寂は長孫の長宗寺)第16世の寿栄は宝暦3年(1753)に、湯本の勝行院に転任したという記録があります。                                                      《平成2年に再建された蔵福寺》

 蔵福寺は昭和4年(1929)の走熊大火の難を逃れた古寺で、暫くは廃寺となっていますがの檀信徒に守られて維持されてきました。
                《再建前の蔵福》              《走熊地区の高台にある蔵福寺の遠景》

 走熊には、高寺山(標高126m)にある磐城三十三所観音霊場の一つ、十七番札所の高寺観音(本尊・十一面観音)とゆかりの東泉寺(現在は寺跡のみ)と、蔵福寺境内の八坂神社⇒古い神号を牛頭天王(ごずてんのう)除疫神があります。                                        かつては、この三か所で地元青年団によって、獅子舞と棒術の奉納がが八月一七日(八坂神社では一五日)に行われていましたが、残念ながら現在には至っていません。

 過去帳よる住職名は、第四世堅秀法師堅照は宝永五年十月二十八日(1708)入寂、堅弘は延亮四年七月十一日(1747)入寂、第十四世であろう。 覚誉(天徳山と改号)・智明(第十七世か)入寂は天保五年(1834)三月二十五日となっています。

 現、住職(兼務)は、小名浜住吉の遍照院・永崎亮賢師です。

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