いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
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所轄藩による鹿島の分布

2018-07-04 06:40:52 | Weblog
                             分類:歴
                         
   鹿島村が誕生したのは明治維新の22年後
 鹿島地域が、実質的に「鹿島村」として機能したのは明治維新後の22年経ってからですが、 旧幕時代(明治維新前)には、上矢田村・下矢田村・松久須根村・三沢村・米田村・走熊村・飯田村は平藩に属し、上蔵持村、下蔵持村、久保村は湯長谷藩に、船戸村・御代村は小名浜代官所の支配下にありました=下図。                                        
        《明治元年以前の旧幕時代の鹿島は三つの支配下にあった》

 慶応4年の戊辰の役後、平町に民生局を置き、平城の藩主だった安藤信勇(のぶたけ)侯を知藩事に任じ、続いて明治2年に各藩主は支配していた土地人民を朝廷に奉還させられました。
 更に明治4年7月に至って廃藩置県の命を下し、全国を3府302県に分け、このとき平県・泉県・湯長谷県などが生まれました。しかし、明治12年に郡区町村編成法による自治制を実施したために、これらの県は廃され、磐城・磐前・菊多の3郡に郡長1名を任じ、各町村には戸長を置いて事務を執らせました。
 磐城・磐前・菊多の3郡を合併して石城郡(いわきぐん)としたのは明治29年4月1日でした。                                          
         
       《旧・鹿島村役場へ行く道
                                         
                               
                       《鹿島村役場があった跡地
                                                                  
 明治22年4月1日の町村制実施により、それまでの戸長制を廃して町村長を置くことで前述の12村を併せて 「鹿島村」 が誕生しました。                 
 ▲「鹿島という地名の由来」は、2018年6月12日付のブログ参照。
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