アジアと小松

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小松基地問題研究会

『溶鉱炉の火は消えたり』(8)

2017年08月05日 | 読書
『溶鉱炉の火は消えたり 八幡製鉄所の大罷工記録』(8)

十五 遂に再爆発
 爆発の時が来た。
 爆発すべき、総ての、必然の条件に押し詰められた労働者が、止み難き欲求と自棄的××心とを、××の形に於て、叩きつく可き、最後の時が来た。然かも、県当局は二十二日、五日以来継続して来た、水も漏らさぬ厳重な警戒を解き、各地から召集してゐた警官も憲兵も撤退させた。乗ずべき絶好の機会である。
 二十三日、労友会診療所で協議会。集る者二百余。無条件、満場一致で再罷工を議決した。幹部――加藤勘十、浅原鉱三郎、工藤勇雄、加藤義雄、井上伊三郎、森安国平、友愛会の藤岡文六等は別室で作戦を練る。
 総指揮者井上の所属する第一中型工場で××挙げ、×××××。加藤(義)の工場之に響応(きょうおう)、工場外へ殺到、各工場を順次に×××職工を狩り出す。×××××××××、×××××も亦已むを得ない。全部が工場外に押し出したら、群衆を率ひて構外、市内へ。
 大体の順序は定めたが、初回の如く計画的組織的ではない。
 中心人物の井上は年齢僅かに二十一歳、優型(やさがた)の、顔色の青白い青年であつたが、落ち着きのある、仲々のシッカリ者。在監一年六ヶ月、獄中、「出たら×××」、「きつと×××つてみせるぞ」と言ひ続けてゐたさうだが、肺結核が昂進し、重態になつて出獄後、間もなく、郷里佐賀で死んだ。二月五日一緒に検束せられた時、見張りの巡査の眼をぬすんで、「あとは大ぢやうぶ。やります」と私に囁(ささや)いたが、それが彼と私との永遠の訣別であつた。工藤、森安、彼等も亦二十二歳の弱年、工藤は小柄で童顔、人を喰った顔、チャ化す、皮肉る、一種型の変つた男だが、運動には熱心、懸命に働き、勇敢に戦ひぬく生来の闘児(とうじ)であつた。加藤(義)は一番の年長者とは云へ二十四五歳。文字どほりの熱血児、喧嘩腰の強い男で、獄中では、よく暴れて重閉禁(じゅうへいきん)の喰ひどうしだつた。
 これら血気の青年が中心人物だ。第一次の罷工後は、宛然(さながら)戒厳令下にある労働者である。組織的な行動はもう取れない。自暴自棄、×××、何のそのゝ意気組(意気込み)だ。
 二十四日、飛雪霏々(ひひ=降りしきる)。
 朝の交替時間、予定どほり、第一中型で喊声が揚つた。雪崩出た職工は、順次に、各工場に××、××― ××する者、××する者は××××××××。××××は容赦なく××××。その度毎、ドツと喊声、歓呼。駆り立てられ、追い立てられた群衆は、一群、又一群、通用門に集合。やがて、東門、南門から堰を切って落とした様に流れ出る。
 不意を撃たれた八幡警察は警官の非常招集を行ひ、各門から押し出す群集を喰ひ止めやうと、必死だ。××××。××飛ぶ。×××雨が降る。××、××。×××だ。
 大河の決する勢ひ、とても制止し得べきでない。
 一万五千の大群は、遂ひに、警戒線を突破して、市内に溢れ出た。井上、加藤(義)は先頭に立つて、春ノ町の購買組合事務所に群集を導く。見渡すかぎりは人の波。商店は戸を閉ざし、幾十台の電車が立往生だ。
 酒樽を演壇に、演説ではない、唯、絶叫、怒号、叱咤。熱狂した群集は購買組合を××せんとする気勢が見えたので、加藤勘十が指揮して豊山公園へ。幾十人が演説。中に二人の×××がゐた。彼等の演説は最も××であつた。白仁をシラミともぢり、「世の為め、人の為めに××××」などゝ云つて、喝采を博した。
 第一回の要求を多少修訂し、更に、伍組長公選、年二回の賞与支給、三大節公休、通用門の検査廃止、等、々、九項の附帯要求を加へた決議で、一と先づ解散。
 其夜、代表者は再度長官と会見、折衝三時間余、だが一歩も進展しなかつた。
 二十五日朝、無期休業を宣す。
 製鉄所は再度死骸と化した。流言蜚語(りゅうげんひご)は飛び、全市民は極度の不安に戦(おのの)く。八幡市は再度暗黒街になつた。
 其日の午後開かれた長官との会見顛末報告演説会では、中止相継ぎ、×××××××××××が起つた。当局の弾圧は第一回に倍加した。それに勢ひづけられて、××会九州支部が策動、幹部に対してはお手のものゝ暴行、脅迫、仲裁の××を始めた。
 内に鞏固(きょうこ)な統一なく、外に当局の頑張りと官憲の弾圧がある。暴力団はのさばり出した。形勢は刻々非である。

十六 万事休す
 時も時、二十六日、午後八時、果然!「衆議院解散!」の号外! 普選尚早論を以て原敬が此の暴挙を敢てしたのだ。二十四日、事件を議会に持ち込み、政治問題化すべく浅原(鉱)、田崎の二人が上京して、各政党幹部を歴訪してゐる真最中に、此の解散だ。議会利用の途も絶えた。予算は通過しない。一縷(いちる)の望みは断たれた。世は挙げて総選挙の渦中に巻きこまれた。万事休矣(きゅうす)。
 其夜開かれた幹部会は再度要求条項を改定した。譲歩、又譲歩。
  第一、賃金に関する要求は、長官の責任支出とし、四月一日から支給せられたし。
  第二、奨励金に関する要求は撤回。
  第三、労働時間は緊急に調査会を開き、八時間制を採用、四月一日より実施せられたし。
  第四、住宅料支給の要求は固執せず、但し新住宅一千軒を増築のこと。
  付帯条項
  二十四日以降、製鉄所の自発的休業以後の賃金全額支給。

 委員は二十七日三度長官と会見し、交渉を試みたが、争議団最後の努力も効を奏しなかつた。
 罷工団は今や自滅のほかはない。二十七日からの一斉検挙で四百名の主要人物を羅致(らち=拉致)され、二十八日には、涙を吞んで、戦意を放棄するほかなかつた。
 二十九日、製鉄所は「三月二日から一斉に作業開始、休業中の日給は支給せず」と発表した。
 罷工団は、矢尽き、刀折れ、万斛(ばんこく=はかりきれないほど多い)の恨を吞んで旗を捲いた。
 三月二日、大半就業。休業中の日給は奨励金、割増金等の名目で支給せられたが、一日から四日までに馘首(かくしゅ)せらるゝ者二百二十四名、起訴せらるゝ者六十三人。斯くて、歴史的の大争議は幕を閉ぢた。
 以上、私が、寒風吹き荒(すさ)ぶ小倉監獄の独房に、世間と隔絶せられてゐた間の出来事である。
 未決、受刑、前後在監七ヶ月、私は八月三十日出獄した。
 争議には敗れ、幹部は投獄せられ、敗残の労友会は火の消えたやうな寂しさ。私は無念の涙をのんだ。
 第一回の罷工後第二回の罷工に至る迄に、会員は八千に増し、入獄者救済金は一千八百円も集るの盛況を呈したが、第二回の罷工後は、洪水の引くが如き頽勢(たいせい)。当時精製工場に働いてゐた笠置卓雄、修繕工場の東藤年の二人が、旭ガラス工場所属組合員の援護の下に、落日の孤城(こじょう=孤立している城)を守つた。
 当時二十歳の笠置は、爾来十年、北九州に頻発した、総ゆる争議に参与、果敢に、執拗に闘争を続け、今日も猶ほ解放戦線の闘士である。幹部の入獄中は石鹸の行商によつて、健気にも本部を守り、毎晩のやうに、ストライキ、監獄、裁判所に関する寝語(寝言)を言ひ続けてゐた東藤は、其後戦線から消え、今は其の消息を聞かぬ。
 在監七ヶ月は私の志気に微動だも与へなかつた。然し、労友会の衰退は、私を打ちのめした。

十七 労働者は勝てり
 前後二回の罷工のために工場を追はるゝ者三百余、投獄せらるゝ者七十三名。人は労働者の惨敗と云ふであらう。然し、労働者は負けない。正味二週間、前後一ヶ月に亘る血みどろの闘争を通じて示現せられた、彼等の威力によつて労働者は勝つた。
 四月上旬、製鉄所は所謂優遇案なるものを発表! 実施した。
 二交代十二時間労働は三交代八時間労働制となり、労働賃金率は職工の要求に近く改定せられ、我等が要求条項の本体は、殆んど完全に獲得せられた。
 見よ! 労働者は、遂ひに勝てり。
 犠牲は彼我共に深刻であつた。然し、労働者の××××と雖(いえど)も無意義には消えぬ。
 ××者は必ず××! 敗くるは××ないからである。××のある所、そこには必ず××がある。
 製鉄所の大ストライキ! 前後僅かに一ヶ月であつた。然しながら、此の争議こそは、全九州に頻発した、労働争議の烽火(ほうか)であつた。犠牲者よ嘆く勿(なか)れ! 無産階級運動の火焔は燃え立つた。兄等の××××と雖も無駄にはならぬ。
 三百の首なき屍(しかばね)よ! 七十四名の囚徒よ! 彼等の犠牲の×は、涙は、十年の今日まで、否、×××××解放の日まで、脈々として生き続ける。
 此の大争議の一兵卒たりし私に、不抜の信念が植えつけられた。「×××必ず××!」労働者は遂ひに勝つ! 私は勇敢に闘へる戦友に感謝する。××によりて×てる全製鉄所の労働者諸君に限りなき敬意を表する。
 十年! 或は病魔に倒れ、或は戦線を退き、或は今尚ほ解放運動の先頭を往く幾十百の同志兄弟の膝下に、此の拙劣な記録を献げて、言ひ難き友愛の衷情(ちゅうじょう)を披(ひら)く。
 されば、同志よ、健(すこや)かなれ!
 筆を擱(お)かんとして、我等が当面の闘争相手たりし白仁武氏を懐(おも)ふ。製鉄所長官から日本海運界の王者郵船会社の社長に転じ、在任幾年、今は郷里柳川に老(おい)を養ふ白仁氏、一と度(たび)は製鉄所のだいストライキにさいなまれ、二た度(たび)、昭和二年(1927年)の海員大争議に苦汁を嘗めた氏は、郵船を退くに際し、「今度は静かに社会問題の本でも読んで暮らしませう」と新聞記者に語つたと聞く。果たして然るか。若し然らば、既往(きおう)を顧みて感慨浅からざるものがあるであらう。やがて西郷吉之助と地下に相見(あいまみ)えん時もあらば……。
 我等は三度(たび)叫ぶ!
 富と××を闘ひ守るものは労働者なり!
おわり

(注:著者の浅原健三は1967年7月19日に亡くなり、すでに50年が過ぎ、著作権は消滅している)
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