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小松基地問題研究会

20240310 気をつけよう 甘い言葉と暗い道―志賀原発を廃炉に

2024年03月10日 | 原発(志賀原発)
20240310 気をつけよう 甘い言葉と暗い道―志賀原発を廃炉に

 
 

 3月9日の「報道特集」で、志賀原発問題が取り上げられた。その際に、珠洲原発の計画から建設断念までのことも触れられていた。
 そのなかに、当時、推進派が配布したビラがあり、見出しには「地震に自信あり」、「原子力発電所ができると、明るく、楽しい町になります」、「原子力発電所のあるまちでは、豊かになった財源により、農業の振興が図られています」、「みなさんへ 大飯原子力発電所視察のご案内」などの文言が躍っていた。

 1975年夏、北陸電力が珠洲市にたいし、高屋地区と寺家(じけ)地区に原発立地の意向を打診し、当初出力を1000万kW級にする構想もあった。市民を抱き込むために、1975年11月から1980年3月にかけて、敦賀原発や美浜原発へ、顎足つきの接待旅行で誘い込み、約5千人の市民が参加したという。
 だが、1979年のスリーマイルアイランドの原発事故で、安全神話が崩壊し、市民と支援のたたかいによって、計画から28年後の2003年建設中止が決まった。
 資本は金儲けのためなら、どんなウソでも平気でつくことの証左である。農業主体の双葉町は福島原発事故で、農地は放射能で汚染され、「農業の振興」など、夢のまた夢とされ、「明るく、楽しいまち」になったでしょうか?

 こんな時に暗躍しているのが森喜朗である。1995年から1998年まで、森喜朗の資金管理団体「春風会」と自民党石川県第二選挙区支部(森支部長)は珠洲原発の用地買収に関わった企業5社(注)から、計784万8000円の献金を受け、懐に入れていたのである(2000年5月19日「朝日新聞」)。

 北陸電力は、3月7日に、志賀原発内部を報道陣に公開したが、元旦にトラブルがあったところはきれいに修復され、あっちは写すな、こっちは写すなと規制し、あたかも何事もなかったかのように装っているが、こんな甘い言葉にだまされてはならない。再稼働阻止、廃炉以外にない。

(注)清水建設、伊藤組(金沢市)、丸石建設(金沢市)、森下組(福井市)、加賀工建(小松市)
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