試論「五里峠を越えられるか?」
2024年3月15日
事故発生時の風
2024年1月1日16時の能登半島地震によって、志賀原発が重大事故を起こし、放射能が噴出したと想定し、原発周辺住民が安全圏に移動できるかどうかを検証した。限られた情報をもとに、机上での検証であり、現地に赴いて踏査検証することが求められている。
事故当日(1日)の風向は、<北東~東>から<南西~西>に向って、日本海に吹き抜け、風速はきわめて弱く1m/秒程度であった。放出された放射能は日本海に吹き飛ばされることもなく、原発周辺(北側2キロの福浦、南側1・5キロの赤住など)に留まっていた。地震発生から1時間足らずで日没(17時前)を迎え、真っ暗な山道を放射能の降り注ぐところから無事脱出できるのだろうか。
翌日(2日)には、<南~西南西>から<輪島~珠洲~中島>に吹く風に変わり、志賀原発の北側2キロ地点にある福浦は風下になり、危険が差し迫ってきた。どんなに遅くとも2日のうちに30キロ圏から脱出しなければならない。
陸路での避難
国・県の想定では、自家用車での陸上避難ルートは、国道249号、のと里山海道、能越自動車道など11路線が設定されているが(3/11「北中」)、そのうち7路線が崩落や亀裂で寸断されていた(2/21「朝日」)。能越道で178カ所、国道249号で231カ所も土砂崩れや路面の亀裂ができて通行できなくなったのである(2/21「北中」)。
<福浦・赤住の場合>
福浦港の東側、標高25メートルほどの高台に福浦町があり、約400人の住民が生活している。ノリ島からは海岸に立つ志賀原発の荷揚げ設備が見えるほど近いのである。
住民は一斉に福浦港に降りたが、すでに津波が港を襲い、遊覧船は岸壁に乗り上げていて、船での避難はできない。
Aルート
県道36号に出て新福浦隧道をくぐり、巌門を左に見ながら北上し、国道249号に出て、さらに北上したが、七海あたりで前に進めなくなった。Uターンして、県道48号線との三明交差点を左折し、山中を進むと、のと里山海道に出た。しかし穴水・輪島方向は土川でストップ、羽咋・金沢方向は豊田で行き止まりだった。交差点に戻り、県道48号で東進し、県道23号線に合流し、国道249号の中島交差点に到達したが、穴水方面は中島で、七尾方面は塩津で通行できなくなっており、原発から12キロの地点で、逃げ場を失ってしまった。
Bルート
福浦港から県道36号線を渡って、県道48号に入り、高ツボリ山(142m)を左に見ながら東進したが、国道249号線(三明交差点)に出る手前の中畠(原発から5キロ圏内)で行き止まりとなった。
Cルート
もうひとつは県道36号を南進し、一旦は志賀原発の方向(原発から1・5キロまで接近)へ向かうが、県道301号に入って、東進しても、国道249号(松ノ木交差点)直前の松木で、通行できなくなった。引き返して、若葉台の交差点を北上し国道249号線に合流したが、北上してもAルートで中島で止まるし、南下しても長田・上熊野で行き止まりとなった(原発から5キロ圏内)。
Dルート
最後のルートは志賀原発の背後(原発建屋から800m)をすり抜けて、赤住の町内に入り、数百メートル南(百浦の手前)を左折し、☛五里峠(90m)を超えて、国道249号の牛ヶ首交差点を目指すだけである。赤住住民にとっても、県道36号線を南下しても、大津で通行できなくなっており、唯一五里峠越えだけが国道249号に到達し、南下して、堀松交差点を県道116号に入り、のと里山海道の西山ICを通り抜け、奥山峠(190m)を越えれば、七尾に向かうことができる。もしくは、西山ICから南下して、羽咋・金沢にも向かうことができるのである。
能登の人々とともに
まさに、福浦(420人)、赤住(260人)、百浦(240人)は放射能禍から「袋のネズミ」状態で、五里峠越えだけが希望の光であるが、この峠道もはたして通ることができるのだろうか。
こうして、原発周辺の住民は右往左往しながら、志賀原発から放出される放射能に晒されつづけることになるのだ。自然災害(地震・津波)と原発事故の複合災害下では、福浦や赤住の人々は針の穴を駱駝が通るような困難を強いられるのである。次の自然災害が原発を直撃するまでに、志賀原発は廃炉にし、更地にしなければならない。
参考資料
『中日新聞』WEB版(2024/1/2)
『北陸中日新聞』(2024/3/4、3/11)
「2/20有識者会議」国交省資料
2024年3月15日
事故発生時の風
2024年1月1日16時の能登半島地震によって、志賀原発が重大事故を起こし、放射能が噴出したと想定し、原発周辺住民が安全圏に移動できるかどうかを検証した。限られた情報をもとに、机上での検証であり、現地に赴いて踏査検証することが求められている。
事故当日(1日)の風向は、<北東~東>から<南西~西>に向って、日本海に吹き抜け、風速はきわめて弱く1m/秒程度であった。放出された放射能は日本海に吹き飛ばされることもなく、原発周辺(北側2キロの福浦、南側1・5キロの赤住など)に留まっていた。地震発生から1時間足らずで日没(17時前)を迎え、真っ暗な山道を放射能の降り注ぐところから無事脱出できるのだろうか。
翌日(2日)には、<南~西南西>から<輪島~珠洲~中島>に吹く風に変わり、志賀原発の北側2キロ地点にある福浦は風下になり、危険が差し迫ってきた。どんなに遅くとも2日のうちに30キロ圏から脱出しなければならない。
陸路での避難
国・県の想定では、自家用車での陸上避難ルートは、国道249号、のと里山海道、能越自動車道など11路線が設定されているが(3/11「北中」)、そのうち7路線が崩落や亀裂で寸断されていた(2/21「朝日」)。能越道で178カ所、国道249号で231カ所も土砂崩れや路面の亀裂ができて通行できなくなったのである(2/21「北中」)。
<福浦・赤住の場合>
福浦港の東側、標高25メートルほどの高台に福浦町があり、約400人の住民が生活している。ノリ島からは海岸に立つ志賀原発の荷揚げ設備が見えるほど近いのである。
住民は一斉に福浦港に降りたが、すでに津波が港を襲い、遊覧船は岸壁に乗り上げていて、船での避難はできない。
Aルート
県道36号に出て新福浦隧道をくぐり、巌門を左に見ながら北上し、国道249号に出て、さらに北上したが、七海あたりで前に進めなくなった。Uターンして、県道48号線との三明交差点を左折し、山中を進むと、のと里山海道に出た。しかし穴水・輪島方向は土川でストップ、羽咋・金沢方向は豊田で行き止まりだった。交差点に戻り、県道48号で東進し、県道23号線に合流し、国道249号の中島交差点に到達したが、穴水方面は中島で、七尾方面は塩津で通行できなくなっており、原発から12キロの地点で、逃げ場を失ってしまった。
Bルート
福浦港から県道36号線を渡って、県道48号に入り、高ツボリ山(142m)を左に見ながら東進したが、国道249号線(三明交差点)に出る手前の中畠(原発から5キロ圏内)で行き止まりとなった。
Cルート
もうひとつは県道36号を南進し、一旦は志賀原発の方向(原発から1・5キロまで接近)へ向かうが、県道301号に入って、東進しても、国道249号(松ノ木交差点)直前の松木で、通行できなくなった。引き返して、若葉台の交差点を北上し国道249号線に合流したが、北上してもAルートで中島で止まるし、南下しても長田・上熊野で行き止まりとなった(原発から5キロ圏内)。
Dルート
最後のルートは志賀原発の背後(原発建屋から800m)をすり抜けて、赤住の町内に入り、数百メートル南(百浦の手前)を左折し、☛五里峠(90m)を超えて、国道249号の牛ヶ首交差点を目指すだけである。赤住住民にとっても、県道36号線を南下しても、大津で通行できなくなっており、唯一五里峠越えだけが国道249号に到達し、南下して、堀松交差点を県道116号に入り、のと里山海道の西山ICを通り抜け、奥山峠(190m)を越えれば、七尾に向かうことができる。もしくは、西山ICから南下して、羽咋・金沢にも向かうことができるのである。
能登の人々とともに
まさに、福浦(420人)、赤住(260人)、百浦(240人)は放射能禍から「袋のネズミ」状態で、五里峠越えだけが希望の光であるが、この峠道もはたして通ることができるのだろうか。
こうして、原発周辺の住民は右往左往しながら、志賀原発から放出される放射能に晒されつづけることになるのだ。自然災害(地震・津波)と原発事故の複合災害下では、福浦や赤住の人々は針の穴を駱駝が通るような困難を強いられるのである。次の自然災害が原発を直撃するまでに、志賀原発は廃炉にし、更地にしなければならない。
参考資料
『中日新聞』WEB版(2024/1/2)
『北陸中日新聞』(2024/3/4、3/11)
「2/20有識者会議」国交省資料