アジアと小松

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小松基地問題研究会

20181105『帝王者』(島田清次郎)を読み直す

2018年11月06日 | 島田清次郎と石川の作家
『帝王者』(島田清次郎)を読み直す

 石川版ダークツーリズムについて調べたついでに、島田清次郎(島清=一般的には「しませい」だが、美川では「しませ」)の戯曲『帝王者』を再読した。1921年執筆で、1922年発行の『革命前後』に収録されている。島清は1899年に美川で生まれ、金沢にし茶屋で育ち、1919年に『地上』で時の人となり、1930年31才で亡くなった。

 私が戯曲『帝王者』をプロレタリア文学の奔りとして読むべきだと考えているが、世間ではそう捉えていないようだ。日本のプロレタリア文学は1910年代後半から現れてきた文学ジャンルであるが、小林多喜二の『蟹工船』、徳永直の『太陽のない街』は1929年であり、島清の『帝王者』はその7年前である。

 確かに『帝王者』は、『蟹工船』や『太陽のない街』のように、階級関係をわかりやすく表現し、労働者階級を激励し、革命への期待と希望を提示していないが、その作品のなかには、明確に資本主義にたいする怒りと革命への期待が表現されている。

 ごく一部を摘記しておこう。たとえば、音羽子には、旧来の女性の従属的位置を批判させ、男性による女性支配にたいする根底的批判を語らせている。染菊には、島清が育ったにし茶屋における女性の地位を表白させ、島清が少年時代に抱いた同情と怒りが表現されている。真太郎は革命への期待(理想)と裏腹に、労働者の現状から絶望感にさいなまれている一活動家の苦悩を吐露している。広野には、激しくたたかわれる労働争議とその周りの労働者の気概を語らせている。たたかう労働者の側に立って演説する清瀬(島清=しませ)の姿と、その結果特高警察に連行され、獄中の人となっていく様子が語られ、飯森は第1次世界大戦後の日米の対立状況を伏せ字だらけで語っている。

 『帝王者』では、自立した男女の恋愛に焦点があてられるだろうが、その背景は侵略戦争で肥え太っている日本帝国主義と、そのもとで労働者たちが、女性たちが呻吟している様子を読み取ることこそが、島清を読むことではないだろうか。

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『帝王者』島田清次郎 1921年

134~
 (音羽子)兄さん、あなた方の男と女との間に関する考へ方は大へん間違ってゐると思ひますのよ。私は考へます。男と女はあくまで対等でなくてはならず、あくまでお互に自由で独立者で、何れが何れにより従属的であってほならないと考へます。私と清瀬との間を、今の世の男女関係や、今の世の恋愛関係や、今の世の夫婦関係と同じい標準で見ないで下さいな。それは清瀬といふ一人物を評価するに、今の世の道徳や今の世の倫理でもつて評価してはならないと同じことです。清瀬は今の日本にとつては少し勿体なさ過ぎる程豪い男でございます。清瀬と今の世の人とは少くとも一世紀や二世紀の文明の差があるのでございます。

150~
(染菊)いいえ、それはわたしが申さねばならぬ言葉でございます。十二の歳に故郷の金沢の街を離れてまる五年の間、一日も真実にしみじみうれしい心持に打ち寛ろいだことめないわたしでございました。くる人もくる人も、会ふ人も会ふ人も、恐ろしい残酷な、表面ばかり柔和でお世辞が巧者で、それでゐて、夜になれば、恥づかしい浅ましいことのみしてゆく男ばかりでございました。

 私はもう少しのことで、男はみなかうしたものと、思ひ詰め、人生は浅ましい厭な陰気なところと信じこんでしまところでした。どんなに柔しくどんなにお世辞が整つてゐても、底を割つて見れば世間の男達は、芸妓といふものは、金で自由になる、自分達の卑しい色慾の玩弄物としか見てはゐまん。ほんとに、ほほ、猫などとはよく付けた名前ですわ。しかし、わたしは清瀬さん、それ丈けでは満足ができませんでした。向うが金を出してわたしの身体を玩具にするならば、此方は金をとつて、向うの身体も心も深い深い底の知れぬ魅惑の底へ陥落させることが、せめてもの復讐である事位は知らぬではなかつたけれど、私はそれがどんなに恐ろしいことか、一生救はれることのない地獄に身を投げ入れて、自分自ら鬼の一人となることであることが分つてゐました。

 様子のいい男、美しい顔をした男、さう云ふ男には会へないこともなかったけれど、わたしは、わたしを純潔な娘のやうにしてくれる男、清瀬さん、わたし程不幸な女はゐまいとは云へませんけれど、世の中で一番不幸な女の一人である私は、無意識ではあるが、失はれた「純潔な娘」のために嘆き、愛惜し、返らぬ春の尊さを取りかへしたいと陰鬱になってをりました。

 わたしは世の中の多くの娘達のやうに純潔なのびのびしたほがらかな、自分一人丈けのために生きる光明に充ちた明るい娘の時代を持つ代りに、世の中で遠も悲しい淋しい卑しい時を、晴れがましい豊麗な化粧と華やかな唄や三味の音の裏に過さねばなりませんでした。時にはその晴がましさや華やかさに眼を眩されて不自然をも自然と強ひて見た時もないではなかつたけれど、虐げられつくした私の内の魂の芽は、小さいながらも素直に、失はれたものを探し求めて止みませんでした。生一本に、真面目に、わたしの純潔な価値を認めて、青春の娘のやうに取扱ってくれる男を。心の底からわたしの神聖な価値を認めて疑ない男を。

166~
(染菊)いいえ、わたしこそ、失礼してをりますわ。御免遊ばせ。

(真太郎)あなたが支那へお出になった時も、今も日本の形勢は少しも変つてをりません。私は、時々、今の世の状態に致命的な絶望を感じずにはゐられません。少くとも革命が発生して比の世が一挙にして破壊され、その廃墟に新しい世界が建られるといふことも、同じやぅに、此の世の人類がことごとく美しい浄い魂となって、愛と信と望との理想世界が現出するといふことも.私には信じられないと言ひ切れない迄も、疑はずにはゐられなくなりました。

(清瀬)ふむ、君は当初から、美しい、純粋な理想主義者だった。その理想にヒビがはいりかけたことは、何を意味することになるのかな。

(真太郎)何を意味するのか、それが理解できれば疑ひもしなければ迷いもしません。何が何んだか分らなくなって来ました。此の世の現実といふものが、理想といふ美しい虹の消えてゆく切れ目から、だんだんにその広大な領域を見せて来るのです。そして一切の主観を迷妄と断じさせて今迄私を支持してゐた主義や熱烈な感情を根柢からくつがへし、そのあとへ、恐ろしい絶望と、初めなく終りのない無限無窮の大現実の恐ろしい流動丈けを真実在として残してゆかうとするのです。

(清瀬)一度やって来るにきまってゐる、若い信仰のくづれる時代が、君にも訪れて来てゐると見える。認識の正しさと正しさに比例する恐ろしさには、男はあくまで堪へなくてはならない。が、君には綾子さんがゐる、苦しい時には綾子さんの愛が、君を宇宙が無意味で、虚無で暗黒であるとする認識から救ってくれるだらう。―私がその恐ろしい精神上の危機に打つかつた時は、全くのただの一人だった。

(真太郎)民衆は馬鹿です。どこまで馬鹿なのか想像もつかない程馬鹿です。その無数の馬鹿共の上に、冷酷で無残で残忍な征服者階級が、破れ目のない物凄い網を張ってゐるのです。今日の政治も攻治家も政党も静かに見れば、資本的征服者の手先共です。労働連動や労働組合運動など云ふものさへ、彼等の手先一つに動かされてゐるのです。少し景気がよければ騒ぎ出し、少し景気が悪るくなれば屏息する労働連動に何の底力がありませう。婦人運動などと云ふけれど、虚栄心の強い又は器量の悪い二三の女共の空騒ぎ丈けのことですからね。要するに今の世の人間は、互に楽をして自分丈けが、よい家に住み、よい着物を着、よい飯を喰べ、よい女を抱いて寝れば、それで文句のないといふ代物ばかりなのです。どんな奴でも、底を割ればそれ丈けのものなのです。

 マルサスの人口論の結論は誤ってゐても、人間は食慾と色慾の動物であるといふ前提は永久に眞理です。彼等を救済するの彼等をして新しい道に導くなどとは、青年のはかない夢か、自己のカを知らない誇大妄想か、でなければ僭越極まる飛上り思想であるのではないかと考へられて来ました。今日、彼等を救はうなどと云つて見れば、金のある奴は少の包み金で追つ払ひ、うるさい奴だと叱りつけ、金のない奴は真つ赤にしてどなりつけ、手前達に救はれる程お安い命ぢやないと、怒る位ゐのことです。それでゐて、―それでゐて、此の世が誤った軌道を走ってゐること、今の世が悪るい世の中であること、不合理と不正が堂々と白日を闊歩してゐること、その厳然たる事実には変りはないのです。それが分つてゐながら、どうすることもできないといふことは。

(清瀬)どうすることもできぬ現世であると覚悟を一度定めてかかる必要があるのだよ。その覚悟を定めてからの分れ道が大切だがね。西行や芭蕉の故智にならつて世を捨てるものも一つの道だが、西行や芭蕉の心を心として、その大現実の現世に、とても不可能であるところの正義の戦闘を開始し、現社食に悲壮な闘争をつづけることも亦人生の一興ではないか。社会を捨て人を捨てて涯てしらぬ旅路を遍歴することが風流ならば、内心捨ててしまった社会と人を相手に、永久に実現されさうもない正義と真理の実現を試みるのも、ニイチエではないが愉快な遊戯だからね。現世を超越する丈けでは未だ罪が浅い。超越し尽くしたこの当てのはづれた、この己れを裏切りやがつた、この現世を、今度はこっちから玩具にしてやらなくては虫が承知しないぢやないかと、私は考へる。喜ぶもかりそめの遊びであるなら怒るもかりそめの遊び、少し大仕掛な遊戯には国家があり、民族かあり、戦争かあり、産業があり、発明があり、学問があり、そして最後に恋愛がある。恋愛の遊びこそ、あらゆる遊びのうちの唯一の真実なものであるかも知れない。

224~
(広野)あゝ、真さん、あなたに今、会ふたことはいいことか悪いことか、私には分らない。しかし、どうにか逃れることができるのか知らぬと思ってゐた恐ろしい淵へ、私はやっぱり躍り込まなくてはならぬのだといふこと丈けは確かになった。

 実は真さん、私は今、わたしの勤めてゐる荘田機械製作所全労働者の同盟罷工を企ててゐるのだ。しかも、相手の資本家はわたし共の要求を容れないで、強硬に出て、明日限り全部の職工を馘首すると迄言ってゐるのだ。結局、さうなればわたし共は直接行動をやるより仕方がなくなってゐる。そして、更には、全国的な大同盟罷工にまで仕上げねばならなくなってゐる。

 さて、かうなると、何故か、私は恐ろしくて恐ろしくて、ならなくなった。平常からいざといふ時に対する覚悟は十分出来てゐる筈の私ほ未練にも、此の世が名残惜しくなったのだらうか。いやいや単に自分一個の命や蓮命や生活のゆく手が不安で案じられるばかりでなく、この大罷工に参加する筈の全国の労働者の一人一人の生活や運命が、眼底にありありと映じて来た。私は、そこで、寧ろ無意識に申し出でずにゐられなかった。私自身が主動者であり、私自身が指揮すべき経歴でもあり地位でもあり乍ら、今しばらく満を持してふみ止まってくれ、私が、祉長の荘田にもう一度会つて、私達の要求条件を入れさせて見せるから、と。

 そして、今夜の八時を期限に会つたわけだ。私は、最後の望み、はかない望みを抱いて、社長に、その辛辣と苛酷と、悪いことには生じつか思想的背景のあるために、我国実業界の巨頭といはれる荘田の邸の豪華な、壮麗な西洋室会うたわけだ。此方からの要求通り広い室内には荘田一人しかゐないらしく見えた、で、私はもう一度彼にむしろ哀願した位だった。もし、さきに、馘首した九十名の職工を全部復職させ、またわれわれの要求であるところの八時間労働と、工場管理の責任と義務とを委任させてくれるならば、われわれは立処に、この罷工を今夜のうちにも解決するだらうし、その方か、結局貿本家自身のためにも利益であると説いたのだが、―だめだった。

 荘田は一言のもとに、ならぬ、とこたヘた。九十名の職工を復職することがならぬのみでなく、工場の自治などは大それた考へだとぬかしをった! すでに、さきに君達が要求の通り、九時間労働を実現し、賃金も増加し、養老、負傷等の十分の積立制度迄こしらへてゐる以上、この上何をする必要があるのかと云ひをった! もし、君達の方であくまで罷工をつづけるなら、明日にでも君達全部を解雇すると言ひをった! 

 ああ、その時、私は言ふべき、言はねばならぬーつの言葉を知らぬのではなかつたのだ。労働者、生産者としての当然の道、生きてゆく当然の道を開拓しない資本家であるならば、我々はさうした資本家の下にある機械はもはや社会の生産に寄与するものではなくて、実にゆるしがたい害悪の存在だから、破壊してしまふ! しかも、全工場の全機械を破壊しても、荘田、お前は明日食ふ米の心配はしなくともいいんだ! お前が目腐れ金で馘首した、そして、場合によっては全部を馘首すると云つてるその職工は、その日から、食ふ米の心配をしなくてはならぬのだ。

 ―が、私は言へなかった。何故かと言ふに、その酉洋室のカーテンの彼方で、微かに金属性のきしる音がしたから。その薄暗闇に、キラキラと白い佩剣が、白魚の腹のやうに凄く閃めいて見えた。さては、手が廻つてゐるな。その瞬間、ヒヤリと胸にこたへた一種の痛み、その痛みは、とりもなほさず、みや、お前のことを心配する女々しい一念だつたのだ。また、別れてから数年来未だに合へずにゐる眞さんや妹の綾に、会ひたいといふ日頃からの願望だつたのだ。

 私は、無念にも、黙つて、荘田の邸を引き下って来たが、雪の降る中を、わざわざ迎へに来てくれた同志に対しても、みなの者に対しても、申しわけがない、顔むけがないと云ふ想ひで、胸いっぱいだつたのだが、ああ、やっぱり、私の誠意は天に通じたのだ。天は、私の男をすたらせる程無慈悲ぢやなかつたのだ。ありがたい、ありがたい、ありがたい……。

248~
(音羽子)どんなことを、清瀬は話してゐたの。

(綾子)国家の存在は現実の事実であり、私共は国家を否定はしない、しかし資本家と労働者の闘争に関しては国家はどこまでも厳正中立でなくてはならぬ。国家が厳正なる中立者でなくなる処に、労働運動は直接行動に変ずる。労働運動を最後の手段たる直接行動に変ぜしめ、これを未然に防ぐ能はなかったことは一面国家の責任でもある。

 今度の広野源一等の事件もすでに発生してしまった破壊行動であるから、国権の発動は止むを得ないが、法は執行を猶予することもできる。もし、あまりに苛酷なはきちがへた峻厳を実行するやうな場合には、忠良なる全民衆と全労働者は、はじめて国家否認の傾向に陥り、いかなる事変が、起きるかもはかりがたい。

 ―といふやうな論理で、大きく、政府と貿本家をにらまへていらつしゃいましたわ。みんなは、深い感動に、拍手しながら溜息をもらすといふ有様でした。それに演説が終つても、聴衆は一人として青年会館を去らうとはしません。警官達も万一のことが恐ろしかつたものか、強制的に退場を命じかねてゐるのです。なるほど、こんなに深い信頼と熱烈な感動が存在し得るなら、××(革命)も実行が不可能ではないといふ想ひが、わたしの胸にもきざしましたが、聴衆全体の胸にもきざしたに相違ありません。

 しかし、最後に、清瀬さんが、今日はこれで会がすんだのだから、おかへり下さい。といった時には、みんなは、清瀬君万歳!と、いままでこらへてゐた、何とも知れぬ、いかなる事をも敢行し得る猛烈な感情を一度に爆発させるのでした。

256~
(みや子)あの奥様。

(音羽子)はい。

(みや子)大変でございます。警察の方が見えて、今、真太郎さんと何か談じていらっしゃいます。

(音羽子)あなた、お聞きになりまして。

(清瀬)うむ。

(音羽子)裏口から、お逃げ遊ばせ、裏口から。

(清瀬)なに、今日演説のことだらう。驚くには及ばない。

(真太郎)高等係りがお会ひしたいと言つてゐるのです。面倒だから、早くお逃げになってはどうです。

(清瀬)なに、逃げて捕まつては、かへつてみつともない。無体なことさへしなければ、こちらへ通すがよからう。もし、無体なことをすれば、みんなで、引つぱり出すがよい。

(男)大さう恐れ入りますが、今日の御演説に就いて少し取りしらべたいことがありますから、警視庁まで御同行をお願ひしたいと存じます。

(清瀬)ふむ。場合によつてはゆかぬこともないが。

(男)実は、今日の御演説はとうに解散か中止をする予定でしたのを、特に、円満に閉会したわけなので、先生に対しても、あの会場から直ぐに、御同行をお願ひしたかつたのですが、それでは失礼だと存じまして、今、お伺ひした次第です。

(清瀬)何んなら、ここで、このままお答へしてもよいのだが。

(男)ええ、でも、わたし共は分らぬことを、高級な人が、ぜひおたづねしたいと申してゐるのですから。

(清瀬)ふむ、それなら、一寸行って来ようか。

(真太郎)もしお出でになるなら、わたしも御一緒にお附き添ひしませう。

(清瀬)それには及ばないが。―しかし一緒に来てくれるなら、それもよい。いつも御苦労をかけて、申しわけがない。

(真太郎)いゝえ。

(清瀬)ぢや、一寸行ってくるから。今、ゆくから、お前は、あちらで待ってゐろ!

(男)へぇ、どうぞ、お願ひします。

(音羽子)あなたは、又、こんなに、直ぐにいらっしゃるのですか。

(清瀬)仕方がない、一寸、行つてくる。淋しからうが辛抱してくれ。それから、音羽子、もし、私の帰りが少し長引くやうだつたら、実は、今、京都から一人、娘を連れて来てゐるのだ。染菊といふ、未だ十八の紙園の芸妓だ。未だ何も知らぬ娘だが、長い間、この私を眞心から愛してくれた。―今、同じ旅舎にゐるわけだが、その娘の一身を面倒見てやつてくれ。いいか、音羽子、いいか。ここに少しばかりの金があるから、これを置いてゆく。そのほかのことは、一切何も知らぬと言ってゐればいいのだ。

(音羽子)はい。あなた、もう、お出かけになるのですか。

(清瀬)仕方がない、いってくる。それでは、染菊のことは頼んだから、よいだらうな。

(音羽子)はい。

(清瀬)それでは、一寸、いってくるから。



277~
(清瀬)私をからかふのなら、もう止して下さい。それとも、私を楽しませ元気づかせるのなら、それ程弱りきってもをりません。ばかばかしい。―しかし義兄さん、米国と云へば、日米戦争は近い将来に起りませうか。

(飯森)さあ、それは何とも云へぬが、しかし、…………………………………ものとの覚悟は必要であると云へる。しかも、現に、……………………………………………………不可能らしいのだ。もし、……………………しても、今度の欧洲の戦争から類推して孝へると、日本の国力では、……………………、…………………………………………いふのだね、さうなれば、先づ………………………………なくてはならぬのだが、……………………………………現に、重砲を天に向けて待ちかまへてゐるのだから、とても難かしからうな。止むを得ずんば、約一個師団の兵の決死隊でもつて、いはゆるナポレオン式遠征軍を組織して、……………………………、―一師団分の糧食しか輸送できないと言はれてる、―向うを侵略し、向うのバンを食つて戦ふのだなどと、気焔を上げる者もゐるのだが。どう云ふものかな。一度も二度も戦争に行つたやうな連中は、此の頃あふと、よく、ニコライスクの虐殺の話をはじめ出してね、ああ、実に、実に、戦争はいいな、と云ふのだ。おい飯森、な、おい、とやり出すのだ。戦争になるといいな、え、尼港の露助なぞは、…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………のよさは、な、おい、と言ってからに、戦争を讃美する奴もゐる。それはまあ、お前達の仲間で、無暗と火でもつければそれが…………思つてゐるのと大差はあるまいよ。いざ、…………………………………………………………になるのだと、真実らしく言ふものもある。尤も、負けはしまいが。はつはつ。

(清瀬)さうですか。―世間のでたらめには仕方がない。
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