アジアと小松

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小松基地問題研究会

輪島レーダー基地

2013年03月13日 | 小松基地(総合)
輪島レーダー基地

 京都府京丹後市の航空自衛隊経ケ岬分屯基地に米軍のXバンドレーダーが配備されると報道された(2月24日「北陸中日」)ので、輪島レーダー基地について調べてみた。(写真はインターネット検索による)

 輪島市の高州山(標高567メートル)の山頂には、中部航空警戒管制団(入間基地)の隷下部隊である「第23警戒群」が配備されている。230人の部隊を擁し、1982年には「三次元レーダー」が設置され、1996年5月から、新たに地下深くに建設されたハイテク機能を備えたレーダーによって朝鮮情勢を掌握している。

 現在、輪島レーダー基地には、弾道ミサイルを追尾するためのJ/FPS-3(改)が設置されている(輪島、経ヶ岬など7カ所)。もともと航空機を対象としたJ/FPS-1レーダーを2009年に弾道ミサイルを追尾するために改修し、性能を向上させた。

 J/FPS-3レーダーは直径20メートルのドーム型であり、探知距離は600キロメートル以上である。輪島から600キロと言えば、朝鮮半島の間近までカバーする距離であり、「領土防衛」のためのレーダー基地というよりも朝鮮侵略のためのレーダー基地である。
<注:領空とは「領土および領海の上の空間」(広辞苑)、沿岸から22.2キロ>

 桧山良昭によれば、北朝鮮が試射した『ノドン1号』の落下地点を掌握したのは輪島レーダー基地であり、輪島レーダー基地は朝鮮半島を24時間体制で監視し、小松基地のF15イーグル2飛行体制と一体となって、朝鮮侵略の牙を磨いている。

輪島レーダー基地の成り立ち

 輪島レーダー基地は戦前、陸軍が天神山(標高300メートル)に防空監視所を建設したことから始まっている。敗戦後、1947年10月、米軍レーダー部隊30人が輪島に進駐し、1950年の朝鮮侵略戦争時には250人に増強され、朝鮮半島情勢を掌握していた。朝鮮戦争後、米軍は標高300メートルの天神山では十分に朝鮮情勢を掌握できないと判断して、標高567メートルの高州山にレーダーサイトを建設し、今に至っている。

 1955年には米軍が引き上げ、1956年には航空自衛隊「第23警戒群」が配備され、以後自衛隊による朝鮮半島にむけての軍事情報最前線基地になった(1970年10月まで、在日米軍輪島通信連絡所があり、4名の米兵が常駐していた)。1964年には輪島レーダー基地は小松基地の迎撃機に直接スクランブルを発令する権限が与えられた。
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