アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

「金沢ふるさと人物伝」第2回会議議事録について

2012年08月16日 | 石川県内の政治と文化
 6月7日に開催された「金沢ふるさと人物伝」第2回編集会議録が届いた。実質10ページあり、各委員の実名は表記されていないが、それぞれの発言内容を知ることができる。傍聴が拒まれているので、どこまで正確かは不明であるが、とりあえず、議事録を検討する。(原子力対策本部のように議事録さえ作らないよりはマシだろうが)

二重基準
 議事録を読んで、まず感じることは選択基準が非常に曖昧であること。Aには通用させているが、Bでは無視されていることが多々ある。ダブルスタンダードというべき恣意的な「基準」である。

 たとえば、委員から「金沢市で何らかのお仕事、業績等々をされて、金沢市民に影響を与えた方、たとえば有名でも、生まれただけの場合はどうかな」「地域で生きた人たちを取り上げられないか」という意見がある。

 この意見に照らせば、八田与一は金沢に生まれただけで、当時地元ではまったく活動しておらず、影響も与えていない。つい最近、歴史修正主義の小林よしのりらによって、事実をねじ曲げて「再評価」されているだけである。最初に脱落してしかるべき人物だ。

注:新自由主義史観は歴史を動かす要因として「人物」を重視し、「『偉大な人物』が歴史を切り開く」との歴史観に立っている。「金沢ふるさと人物伝」の編集者は新自由主義史観=歴史修正主義を子供たちにおしつけようとしている。

 ましてや、野鳥の会の中西悟道は金沢に生まれてもおらず(学芸員松田さんの調査結果)、金沢で活動した形跡もなく、除外されてしかるべきだ。原爆製造に携わっていた飯盛里安も当選しており、恣意的な「選択基準」を自己曝露している。

女性の普選運動さえ取り上げず
 また、委員から「女性運動した人が残る。普選運動とか戦後すぐの代議士とか」と提案されても、検討の余地もなく、座長は「難しい」のひとことで却下している。
 石川県立第1高等女学校を卒業し、市川房枝らの普選獲得同盟に参加し、石川県支部長となった米山久子を挙げることができる。1946年の衆議院議員選挙で当選し、仏教婦人運動にも尽力している。
 鶴彬や島田清次郎と同列で、反体制的人物と目され、最初から対象外なのだろう。まさに政治的な「人物伝」を子供たちに配布しようとしている。

 最後に、事務局から「女性がひとりも入っていないのはどうか」と再提案され、委員から加藤セムが提案された。「女手ひとつで小学校教師をしながら金城(学校)を作った苦労人」という評価である。事務局からは「桜井錠二のお母さん」「黒川良案の妹で、三宅雪嶺のお母さん」などが提案され、「内助の功」「良妻賢母」を美徳とする女性像を子供たちに教えたいようだ。

 まさに、「金沢ふるさと偉人館」「金沢ふるさと人物伝」とも、魑魅魍魎(ばけもの、妖怪)が支配する世界である。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2冊の沖縄本 | トップ | 領土問題や戦後補償問題が激... »
最新の画像もっと見る

石川県内の政治と文化」カテゴリの最新記事