おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

空襲警報

2017-09-20 11:45:05 | 福島

 トランプ大統領が北朝鮮を挑発し、北の将軍様がそれに応えるという状況が続いている。こういった状況では、憲法九条をどうしようかというような問題は、吹っ飛んでしまう。いくら日本が戦力を保持しないだの、戦争をしないだの言っても、ミサイルが飛んでくれば、日本国民は少なからず被害を受けるのだから。

 かと言って、じゃあ戦力を持って、敵地を攻撃すればいいのかと言うと、それもまたちょっとということになる。なんとも悩ましい。

 軍事費が過去最高になるというニュースが流れたが、ミサイルを迎撃するというのは、ピストルの弾を狙ってピストルを撃つようなものだから、必ず撃ち落とせるというものではない。ないよりはあったほうが気晴らしにはいい、くらいに思っておかないと、実際の現場では全然役に立たないということだってあるだろう。

 せっかく軍事費をたっぷりとるなら、国民全員が入れるくらいの核シェルターを造ってくれたらいいのにと僕は考えている。永世中立国であるスイスは、スイス国民どころか、観光客も入れるくらいの核シェルターがすでに備えられている。日本だって、海外から観光客を呼ぶのが目標なら、万が一の時のことも考えておいたほうがいい。

 福島では最近続けざまにJアラートというのが鳴った。どっちも朝の散歩中のことで、ヌル〜っとしたサイレンが響いてきて、ミサイルが飛んでくる警報かと気づくのに時間がかかった。昔で言うところの空襲警報なんだから、もっと危機感のあるサイレンを鳴らして欲しいと思うのは僕だけではあるまい。

 そんなことを考えている間もなく、ミサイルは頭の上を通り越して行った。 

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元気

2017-09-19 09:37:09 | 福島

 なんだか肩こりがひどいなあと思っていたら、右上半身にチクチクする痛みが出て、赤くポツポツと腫れている。変な虫に刺されたかなと思っていたが、どうやら帯状疱疹というやつらしい。これは、子供の頃に水ぼうそうにかかったことがあると、病気は良くなってもウイルスは体に潜伏し続けるらしい。で、歳をとってきて、ストレスや疲れで免疫が落ちると、再び活躍を始めるというものだ。症状自体は重くならなければひと月もあれば良くなるようだが、顔に出たりすると顔面麻痺などの症状を引き起こしたりするので、ほったらかしも危ない。

 心当たりといえば、作品作りのために、夜遅くまでパソコンに向かっていたり、早朝に起きて読書したりしたことによる睡眠不足に加え、ランニング、ボウリング、卓球、山登りを連日やったせいで体力が落ちたに違いない。こういう時はよく食ってよく寝て、ストレスを吹き飛ばしてしまうのが一番だろう。

 というわけで、昨日のお休みは、朝から元気にランニングに出かけ、昼は巻き寿司とカツサンドを食い、夜はデパートの食品売り場から買ってきた珍しいパスタソースでパスタにし、ビデオ屋から借りてきたメリル・ストリープ主演の「ソフィーの選択」を観て過ごした。これで病気は吹っ飛んだはずである。

 近頃はやりの言葉なのか、よく「元気をもらいました」ということを言う人がいるが、元気は自分が出さなければならないもので、自分がじっとしていて誰かに与えてもらうものではない。最近はなんでも外から与えられるのが当たり前の世の中になり、食べることも遊ぶことも仕事も、ほとんどのことは与えてもらうばかりで、自分から行動を起こすことは少ない。

 「癒されました」というセリフもよく耳にするようになったが、自分から行動を起こすのが面倒なので、ストレスでさえ、他人に癒してもらいたいという表れなのだろう。

 

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木陰の絵

2017-09-17 11:43:56 | 福島

 秋になると、あちこちで絵の展覧会がある。このところ里山探検隊シリーズと自分で命名した絵を描いてきたが、展覧会に出すのは1点とか2点とか、少ない点数なので、探検隊シリーズはそういった展覧会にはむかない。展覧会には展覧会で、1点でも見ていて楽しいものを出したい。

 そう思い、探検隊シリーズで自分なりに取得したテクニックを応用して、新たに展覧会用の絵を描いてみた。題材はその辺にある栗の木だ。そして、バカのひとつ覚えと言われようと、絵の中に人間と犬を登場させ、夏の日差しの下、大きな樹の下の木陰に身を寄せ涼んでいるところを描いた。気持ちよさそうに見えれば、とりあえず成功だ。

 それにしても、季節の移り変わりが早くて、その季節を十分に味わう前に、次の季節になってしまい、いつもあたふたするアベさんなのである。

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ネットと脳

2017-09-16 11:44:17 | 日記

 Eテレで、俳優モーガン・フリーマンが進行係として出演している「時空を超えて」という番組をやっている。機会があればなるべく見るようにしているが、内容は最先端の物理学の研究を紹介する番組なので、見ていても半分もわからない時がある。それでも、大まかなところでは、「なるほど、そう言われてみればそうだよな」と納得してしまうことも多い。

 例えば、人間の脳みそというは、シナプスとシナプスをつなぐネットワークで、そこで電流のオンオフが切り替わることで機能している。これは現代のコンピュータの仕組みとほとんど同じであり、ネットワークの大きさから言えば、すでにコンピュータの方が規模が大きくなっている。ということは、このまま行けば、コンピュータも意識を持つだろうというのが学者たちの意見だ。SF映画でも、これを踏み台にした作品は多い。大ヒットした「マトリックス」などは、人間はバーチャルな世界で夢を見ることが人生を送ることであり、実際の世界ではコンピュータが支配している。人間はそのコンピュータを動かすための電池としての役目でしかない。

 映画はあくまでもしかしたらの話なので、実際にそうなるかどうかは誰にもわからないが、今現在でもはっきりしてきていることはある。「時空を超えて」の中で紹介されていた話は、インターネットというのは麻薬と同じような依存症になり、インターネットにつながっていないと、落ち着きがなくなり乱暴にもなるらしい。さらに驚くことに、インターネットに依存する人たちの脳みそが、萎縮しているという事実だ。

 考てみれば、使わなくなった機能というのが失われてしまうのは、この世の常だ。天敵が存在せず、空を飛ぶ必要のなくなった島の鳥は羽を失う。歩かなくなった足は、退化する。同じように、ネットにつなぎさえすれば膨大なデータが得られるようになると、人間は記憶という行為から解放される。判断でさえネットの世界に委ねるようになる。ナビなしには、どこへも出かけられない人たちは、すでに今現在もいるかもしれない。事実、スマホが使えなくなるだけで、一日何していいのかわからなくなる人たちは増えている。

 記憶も判断も創造力も失った脳みそは、おそらくネット上の意見によって、容易に右や左に動かされるようになるだろう。

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ホオズキの絵

2017-09-15 12:16:11 | 里山探検隊

 台風が近づいているせいか、天気がいい割に風は強い。乾燥した強い風が吹くと、さすがに半袖では肌寒く、長袖を着ると気分はすっかり秋真っ盛りだ。まだ9月の中旬とは思えない。

 この時期、散歩をしていて目につくのは、彼岸花とホオズキだろう。目にはつかないが、やたらと鼻につくのがキンモクセイの香りだ。

 里山探検隊では彼岸花は描いたので、次に描くとしたらホオズキだろうと、ずっとどう描こうか悩んでいた。ホオズキの提灯みたいな形も面白いし、羽子板の羽のように袋がめくれ上がっているところはいかにもホオズキという形だ。枯れてくると、袋が網目状になり、和食料理店の照明みたいになったのも絵として捨てがたい。

 というわけで、いろいろ考えた末、ノーマルなホオズキと網目状になったホオズキの両方を描くことにした。時期的には本来ずれるのだが、一枚の画面に描くことができるのも絵ならではだ。おまけとして、赤とんぼも描き加えておいた。

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重大なことは、すべて思いがけないもの

2017-09-14 12:20:49 | 日記

 星野道夫さんの「イニュニック アラスカの荒野を旅する」の中で、友人のシリア・ハンターの口癖としてこんな言葉が紹介されている。

「人生とは何かを計画している時に起こる全然別の出来事のこと」

 僕らの人生は、夢や目標や欲や野望や、様々な思惑で成り立っているが、計画通りに進むことはほとんどない。それどころか、計画は常に頓挫し、別の方向に舵を取り、大きな流れに巻き込まれ、それでも気づいてみればそれなりの日常を過ごしている。「こんなはずじゃなかった」と嘆く人は多いが、最初から人生とは何事かを計画した途端、すでに別の道を歩いていると考ていたほうが、自分自身に失望しなくて済むだろう。

 北朝鮮が何かをやらかすかもしれないと、世界は戦々恐々とし、頭のいい人たちがああでもないこうでもない、ああなるかもしれないこうなるかもしれない、とせっせとコメントを出す。それによって、小銭を持っている人たちは、株価が上がったの下がったのと一喜一憂する。

 たとえ、どんなに物知りだったとしても、僕たちの視力では、遠くまで見通せないのは動かせない事実だ。それはビッグデータを駆使した人工知能でも手に余る問題だ。

 アランはこう言う。「誰の身の上に起こるものであろうと、重大なことはすべて、思いがけないものだ」と。

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平和すぎて

2017-09-13 10:49:34 | 福島

 台風が近づいているせいか、風が強い。が、天気は驚くほどの快晴で、真っ青な空に白い雲が浮かんでいる。湿度が低いので、日差しは強くても、からりとして快適だ。こんな日に昼寝できたら最高なんだけどな。

 遠くでツクツクボウシの声がする。近くの草むらではリンリンとコオロギが鳴いている。グリーンカーテンのゴーヤやミニトマトの葉っぱも、しおれて黄色くなってきた。

 世間では、北朝鮮に制裁を加えると騒ぎ、そんなことをしたら仕返ししてやると北朝鮮もヤケを起こす。そんな時でも、日本の政治家は不倫や暴言の言い訳に忙しく、せっせと自己保身に走っている。

 テレビをつけなければ、社会の動向など、まるで夢の世界の出来事のようだ。僕の身の回りは、静かで、のどかで、平穏で、平和すぎるくらい平和なのである。

 庭では、木陰で犬たちが昼寝をしている。誰もが多くを望まず、今ある自分に満足できれば、戦争も諍いも起きないんだろうけどな。

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ひさびさ磐梯山

2017-09-12 08:16:58 | トレッキング

 天気は下り坂だが、タミちゃんの姉ちゃんが磐梯山に登りたいと千葉からやって来た。なんとか夕方までは雨は大丈夫そうなので、朝飯後に出発、9時に裏磐梯の八方台登山口に到着する。磐梯山に登るには、ここが一番楽なコースで、頂上まで2時間ほどで着く。山は霞がかかったように真っ白で、山頂に立っても展望がきくかどうか怪しいが、とりあえず雨さえ降らなければオーケーということにし出発する。

 磐梯山は3回目。最初はトトと、次はタミちゃんと。もう来ることはないかなと思っていたが、今回は僕とタミちゃんとタミちゃんの姉ちゃんの3人組だ。

 登り始めは、広葉樹の林を抜ける静かな遊歩道。その後急勾配の上り坂になり、最初の30分で顎が上がってくる。

 途中、硫黄の匂いが立ち込める廃墟の横を通り過ぎ、2時間弱で弘法清水に到着。心配していた展望はまずまずで、山にかかった霧がミストになって汗をかいた体に気持ちがいい。

 が、最後の500メートルはますます急勾配になる。

 大きな岩のゴロゴロする登山道を30分近くかけて山頂に無事到着すると、猪苗代湖方面は見えないものの、そこそこの展望が得られた。

 ということで、山岳ガイドの役目はおしまい。この後、弘法清水まで降りたところでお弁当とする。山の上で熱いお湯を沸かす。持参したインスタントの味噌汁でオニギリを食う。ところが、コーヒーを淹れようとしたら、コーヒーフィルターを忘れて来ていた。せっかく豆を挽き、重いのに陶器のカリタ(コーヒーをこす道具)まで抱えてきたのに、コーヒーを飲めないなんて。

 ただそれだけが心残りで、下山することになった磐梯山であった。

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草刈機の最期

2017-09-10 09:29:49 | 福島

 冬を除いて、ほぼふた月に一度は活躍する我が家の草刈機くん。平らな場所だけではなく、立つこともできないような斜面や砂利ばかりの空き地の草刈りでも酷使され、買って数年で調子が悪くなる。

 まず、燃料タンクの蓋が草刈りの振動でいつのまにかどこかに行ってしまい、それからビニールとゴムで応急処置をして作業をしていた。スペアの蓋を買ってはきたものの、今度は草刈機の歯がすっかり磨耗して、切れ味が抜群に悪い。そこで新しい歯を買ってきて付け替えようとしたら、ネジが固くてどうやっても古い歯が外れない。

 今日は地区の草刈りなので、仕方がないから古い歯をせっせと研いで使うことにした。

 が、スペアの蓋からは燃料が漏れ、研いでおいた歯はあっという間に磨耗してしまった。なんとか最後までやりきったが、終わった時点で歯を見ると、ほとんど突起がないただの円盤になるくらいまで歯がなくなっていた。

 というわけで、いよいよ草刈機も買い換えるときが来てしまった。福島に来て購入したので、5年以上は使ったと思うが、いかに草刈りばかりやっているかがわかるのである。

 そういえば、草刈機を初めて手にしたのは、十数年前に大分に移ってからで、近所のジイさんに田んぼの周りの草刈りを頼まれてからだ。ブンブンと唸りを上げて、次々に草を刈っていく草刈機くんの威力にすっかり魅了され、それからはマイ草刈機を購入し、大して刈る場所もない家の周囲の草刈りに励んでいた。

 今では借りている畑の周りや、畑を貸してもらっている人の土地の草刈りや、地区の草刈りなど、草刈り漬けの日々である。

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人間なら

2017-09-09 11:25:22 | 福島

 動物病院で、最新の犬と人間の年齢の換算表をもらって来た。昔は、犬の生まれてからの1年は人間だと17年くらいで、あとは4年ずつ歳をとると大雑把だった。近頃は、大型犬、中型犬、小型犬によっても寿命が違うということになり、細分化されている。

 換算表を見てみると、トトの場合、16歳と2ヶ月なので、人間なら97歳に相当することになる。トトの老いぼれ具合から、80歳は超えているだろうと思っていたが、97歳とはかなりの衝撃だ。だとしたら、散歩にしたって全然無理させられないのである。

 ドリの場合は、12歳と3ヶ月なので、87歳。これだってかなりの高齢だ。人間の社会なら、立派な後期高齢者だ。あちこち体にガタがきても、仕方がないのかもしれない。

 それにしても、こうも人間との時間の流れ方が違うというのはどういうことかというと、子犬の場合、人間が「今日は面倒なので散歩はやめよう」と考えたら、子犬は10日以上散歩に出かけられないことになる。人間の生活リズムを犬に強いるというのが、いかに犬にとってストレスがかかる生活なのか、考えてみるのは悪いことではあるまい。

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