おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

蓄積してきたもの

2024-04-14 11:18:16 | 日記
 夜、地区の寄合から帰ってくるとタミちゃんが珍しく歌番組を見ていた。番組では宇多田ヒカルがインタビューを受けていて、今度で出すベストアルバムのタイトルが「SCIENCE FICTION」だという話をしていた。

「どうしてSCIENCE FICTIONなんですか。SFということですよね」という質問に
「歌の内容が実体験かと言われるとそうではない。だからと言ってまったくの空想かと言われれば、体験したことや感情が元になっている。だから、SFという言葉を聞いた時に、自分が感じていた思いを表現する言葉がこれだと思った」というようなことを答えていた。

 真意は掴みかねたが、僕がきっとこういうことだろうと想像したのは、どんなに科学的に真実に近いものであれ、それが小説や映画のように作品にしようとすれば、どうしてもフィクションとしての形を取らざるを得ない。同様に、自分の体験や感情といった人生を作品にしようとすれば、生まれてこのかた続いてきたすべての時間のうち、どこかを切り取らなければならない。当然それは恣意的になるわけだから、それは人生そのものではなく、フィクションの要素を持つ、というようなことなのだろう。

 別の言い方をすれば、ノンフィクションという作品でさえ、作品にしているというそのことが、すでにフィクションの形を取っているということである。

 インタビューではこういう質問もしていた。「戻れるとしたら、いつに戻りたいと思いますか」
 それに対しては、「今が一番いいと思えるし、これからもっと良くなると感じているので、戻りたい時というのはない」

 その答えを聞きながら、「職人と同じだな。というより、シンガーソングライターと言っても、職人そのものなんだな」と感じた。

 寿司職人にしろ刀鍛冶の職人にしろ、職人と呼ばれる人は丁稚奉公みたいなところから始めて技術を蓄積していく。毎日毎日繰り返し技術を蓄積していくことで、ようやく自分の腕が自分のいうことを聞くようになってくる。そういう人は、これからもっと精進すれば、もっといい物が作れるようになると信じているだろう。そしてそれがなければ、職人など続けられないだろう。そういう職人さんには、せっかく積み上げてきたものを捨てて、昔に戻るなんてことは到底考えられないに違いない。

 そう考えるなら、「あの頃に戻りたい」とか「若い頃に戻ってやり直したい」という人には、きっと積み上げてきたものがないのだろうと思ってしまう。見当違いかもしれないが、あながち外れてはいないかもしれない。
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