JRの巡視、という用途がなくなった道はあからさまに道の感じが悪くなった。しかしその直後に喜びも待っていた。
再びの明治期石垣出現。
しかも相当な規模で。いやあ眼福眼福。
相変わらず近くににじり寄ってます。こうして見てみると、冬に見た碓氷峠の御巡幸道路廃道の石垣と似てる感じがするなこれ。
で、点線国道部分になってから2キロくらい来ているが、正直廃道巡りとしては拍子抜けするくらい道が良かった。ゆっくり走ればよっぽど車高が低くない限り普通車ですら走行が可能じゃないか、というくらい。実際JRの点検車輛もたまに入ってきてるんだろうし整備しとかないと困るしな。
ただ、石垣を見つつほんの少し歩くとあっという間に道の様子がおかしくなって、
あっけなく広い幅はおしまい。どうやらここはがけ崩れの跡の様子。
谷側にかろうじて踏み跡がある。踏み跡を辿ると、目の前に大きな沢があった。芝倉沢である。
しかしまた豪快な沢の渡り方してんなここ。そして沢の洗い流しが見えた直後、路盤はバッサリ欠損していた。
写真は振り返って撮影。ここにあるべき洗い流しなり橋なりが跡形もない。
分かりやすいように芝倉沢を渡った対岸から撮った写真。芝倉沢を渡る直前のここの沢で完全に旧路盤はぶった切られてます。いよいよここからが本格的な廃道という事。
そして辿り着いた芝倉沢の豪快な洗い流し。しかもまた豪快に欠損してやがるし。
見れば見るほど豪快な洗い流し。これは見られてよかったな。
で、この時点で歩き始めてから約2時間。そろそろ折り返しを検討する時間帯になっていた。時間的にはあと1時間くらいは足を延ばしてもいいんだがなあ、と少しだけ先の路盤を見てみた。
心が折れる。
先ほどの路盤の欠損によりこの先はほとんど道の補修がなされなくなったようで、写真では分からないかもしれないが路盤もクソもなく、単なる上級者向けの登山道。踏み跡があるだけで、かつてそこに馬車が通れるような幅広の路盤があったなんて信じられないくらい。まあ、ここが特にひどいんで、先に進めばまた路盤も良くなってくるらしいんだが、いずれにしても、キリのいいところで芝倉沢を今回の折り返し地点とした。
そうと決まれば早速昼食休憩。今回も魔法瓶にお湯を入れて持って来てるので、
「2分がウマいんだよ。知らないの?」(←リンク先はYoutubeだから音出るよ)とやりたかったんだけどね。魔法瓶のお湯は若干ぬるくなってるんで規定どおり3分。それでも少し硬めにならざるを得ないし
まあ、こんな眺めで食べられる食事は何でもおいしいよね。ちなみに足を沢の水につけながら優雅に、なんて思って足をつけたが、冷たくって10秒と入れてられなかったわ。
山を振り仰ぐとこんな感じ。こっちも気持ちいいにも程がある眺めだなあ。
で、たっぷり休憩した後踵を返して、あっという間に枝道との分岐点。帰りのルートは迷ったんだが、来た道をそのまま戻るのもつまらないので、湯檜曽川の川筋を辿る登山道を戻ることにした。それにぬたりが行って帰ってきた道が「健脚者」むけの道なら、この枝道はそんなにきつくないんだろ。
こっちも相当にきついぞ。この下りでとうとう左足親指の爪が死んだわ。下る際に力入れたら痛みが走って、ベースに帰って足見てみたら真っ青だった。あーあ、またやった。少し小さいんだよねこのトレッキングシューズ。冬のボーナスが出たら買い換えようかね。
下りきってしまえば、あとは川筋を行く歩道となる。
ここで歴史の勉強をすれば、古くから越後と関東地方を結ぶルートとしてここ清水峠は存在している。かの上杉謙信も関東出兵の際にこの清水峠を何度も越えた。明治期に入ってもこの道は歩いて通るルートとして整備が継続されていて、おそらくはこの歩道こそが旧来の清水峠なんじゃないかと思う(未確認)。ぬたりが先ほどまで辿っていたルートはあくまで、明治17年に馬車通行が可能なルートとして新たに明治政府に開削されたルートなわけだ。そうなるとぬたりがこの時辿っていた川沿いの道の方が下手したら歴史の長いルートなのかもしれない。でも、そういう観点で見比べると、明治国道の方がなんというか、道としての格式は高い気がする。「道路状況があまりにも劣悪」と当時諸外国に馬鹿にされた明治政府が国家の威信をかけて築いたルートというのは、整備後100年以上を経て、さすがに荒れては来ていても、勾配や幅員、道路開削の技術などで今でもその片鱗を見せるもんなんだなあ、というのは、こうして歩道を歩いているとなんとなく感じ取ることが出来た。だから、歩道側で帰ったのも無駄ではなかったな、と。親指は死んだけどな。今もこれ書いててズキズキ痛むわ。
とは言え、体力的にきつい素人のトレッキングこそ余裕を大事にしたいもの。こうして道端の小さな花を愛でる気持ちを忘れないでいたいですな。
湯檜曽川の河原に降りられる場所があったので休憩。いやあ、何とも安らぐ景色だ。
下流側も。気持ちいいなあ、ここ。
で、実はぬたりがこのあたりを歩くのは2回目になる。前回は小学校高学年の時。遠足で土合駅から一ノ倉沢までを歩いたことがあった。で、行きは旧国道を歩いて、帰りはこっちの歩道を歩いたと記憶にあったので、当時を思い出しながら歩いてみたが、もちろん30年前の光景なんか何も思い出せなかった。
せいぜいこの滝があったな、ってくらい。場所は概ね記憶と合ってたが、それにしても歩道からもっと近くになかったかな? と記憶のあやふやさに首を傾げてましたがね。
この滝は車を止めたベースエリアのすぐ近く。この後まもなくぬたりは車に帰りついたわけだが、当時の小学校の担任の先生たちに言っておこうかな?
こんなキツイルートを当時の小学生に歩かせたんかいな。帰りの歩道結構アップダウンがきつかったぞおい(単にお前の体力が落ちてるだけだという当たり前のツッコミは禁止な)
ま、楽しかったですわ。清水国道全体の踏破もしてみたい気持ちがなくもないが、ぬたりの体力じゃ無理そうだわな。経験者ですら峠で一泊が基本みたいな感じだし。
おわり