フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

炎の聖書

2016年07月20日 22時40分04秒 | 日記
ふと気になって、かつて全日本女子プロレスが管理していた「秩父リングスターフィールド」の跡地をネット情報とグーグルマップを頼りに特定する作業に没頭する。まあ、特定できたのだが(ここね)

ぬたりは結婚して以降、残念ながらプロレスというコンテンツにお金を落とす事ができていないので、プロレスファンとは到底言えない状況ではあるのだが、まあ憎からず思っている。指折り数えてみると、観戦は5回ほど。今にして思えば、天龍源一郎や北尾光司(WAR時代)、蝶野正洋の晩年とか、その蝶野と組んでた頃の中邑真輔とかを見られたのは、今から思えば貴重な体験だったけどね。特に天龍はホント見られて良かった。あの逆水平は芸術だ。
そんなぬたりのプロレス観戦歴、実は原点は全日本女子プロレスだった。日時は忘れたが、場所は群馬県子持村社会体育館(当時。今は合併で渋川市子持社会体育館)。たいして大きな会場ではないな、って事はお分かりかと思うが、実際そのとおりで、既に観客動員は下り坂で、冒頭のリングスターフィールドももう人の手に渡っていたという頃。
女子プロレスってのは独特の面白さがあんのなあ、とはこの時に思った。痛みというものに対する表現がストレートと言いますかね。「痛い!」と言う叫びは、男子のプロレスではあんまりでないけど、女子プロでは結構でますしね。
さて、このぬたりのプロレス初体験の時に、1カードほど組まれていたものがある。小人プロレスである。一緒に行った友人は「これ、面白いんだぜ」と事前に話していた。
ホントに面白かったものなあ。
とにかくもう腹を抱えて笑ったもんだ。コミカルな動きとそのくせキレのあるムーブ。当日のメインイベントの組合せなんかもう忘れたが(アジャコングが出てたのは憶えてる)、あのコミカルかつキレッキレのムーブは今でも脳裏に焼き付いている。
そしてこの小人さんたちのもう一つの仕事が、リングスターフィールドの管理人だったそうだ(はい、話が冒頭に繋がりましたね)。
ぬたりが実際に見た20年近く前ですら、「絶滅寸前」とアナウンスされた小人プロレス。それでもタッグマッチは組めていたわけではあるのだが、補欠選手は一人もいなかった。毎回同じ内容の対戦にならざるを得ず、本人達にとっては不本意ではあったらしい。まあ、その後は更に人数も減って、当時にもまして絶滅寸前である(ただし、これを書いている平成28年7月初旬現在では、まだ絶滅はしていない)。

小人プロレスを取り巻く状況、男子のプロレス、女子プロ、アメリカンプロレス等々、プロレスのジャンルが様々ある中で、どうして小人プロレスだけ、一般認知度が著しく低いのか、等々については詳細なルポも出版されているのでぬたりは語らないが、一度でも彼らのプロレスに腹の底から笑わせていただいた身とすると、そんな彼らの生活の場となったところ、ひいては引退後の生活の糧を得る場ともなったであろう施設がどこにあったのか、興味があったのよね。
残念ながら、パッと調べた限りではこれといった情報がなかった。そりゃまあ人手に渡っているわけだから、現状の写真が個人のブログにあれば、不法侵入の物的証拠な訳でね。ましてや巨額負債の債権者ともなれば、どんな方が今の所有者か分かったもんじゃない。危うきに近寄らず、ってやつね。
それでも2ちゃんあたりに、当時の広告の写真のリンクがあって、その所在地をグーグルマップであたったら、なんとか場所を突き止める事ができたわ。ストリートビューも、当時送迎バスとか通ってたのが信じられないような狭い道の途中までしか行っておらず、航空写真にはそれらしい建物がちゃんと写っていた。航空写真からして放置されているのが分かるような状況だが。
日本のプロレス界の人気低迷が囁かれる昨今、女子プロ界はさらに厳しく、もはや地方巡業を行うような団体はほとんどない。ぬたりとて、最近の観戦は全て男子のプロレス(女子のカードを含む大会はあったが)だ。小人プロレスに至っては、今のところ最初の観戦が最後の観戦になっている。また見に行きたいもんですな。
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