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私の戦争体験⑬  中野寂音

2008年10月03日 10時18分08秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

日本帰還

十一月中旬日本へ帰還の命令が出た。
部隊に戻り帰還のための準備を始めた。
武器は持たず丸腰の兵隊達は、米、携帯食糧を背嚢に詰め込んで、
北京行きの鉄道に乗り込んだ。
京漢鉄道はまだ日本軍が沿線警備をしていた。
汽車が発車してすぐ鉄橋が破壊されていて船で渡ることになった。
人員だけで無く食料品も多く船で渡った。
汽車はのろのろと走ったり止まったりで、
途中の駅では、交換、交換の声が響いていたが、
交換する物は何も無くなっていた。
三日位かかって北京から天津に着いた。
 天津港は、帰国待機用の大型のテントがいくつも置いてある。
ここで乗船を待つことになった。
暫くして アメリカ軍兵舎の掃除当番が回ってきた。
広い講堂の中、携帯のベットが置いてある床を雑巾で掃除をした。
見上げるようなアメリカ兵を始めて身近にみて、
敗戦の実感をひしひしと思った。
 一週間ぐらいして乗船の順番がやってきた。
食糧、書類写真は持ち込み禁止で、時計、貴金属は取り上げられるので
ここに置いてゆく。
山のような米の山、時計の山が今でも記憶にのこっている。

 十二月四日アメリカ軍のリバテイ船に乗船、佐世保港に向かって出港した。
五日かかって佐世保港に着いた。
日本上陸の第一歩は頭からDDTを振りかけられ真っ白になった。
佐世保の宿泊所で復員式があって正式に復員した。
 窓も無い満員の汽車に乗り込み、焼け落ちた駅をいくつも乗り変えて、
東京の我が家に十二月十三日に帰り着いた。

終り



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