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新聞の片隅に載ったニュースから(21) 大西五郎

2012年05月31日 09時11分57秒 | その他
大西さんの「新聞の片隅に載ったニュースから(21)」です。らくせき


「東電労組『裏切った民主議員に報いを』『脱原発』に中央執行委員長不満」(2012.5.30朝日新聞)

「『裏切った民主党議員には、報いをこうむってもらう』。東京電力労働組合の
新井行夫・中央執行委員長は29日、愛知県犬山市であった中部電力労働組合の大会に
来賓として出席し、そうあいさつした。
『脱原発』をかかげる民主党政権のエネルギー政策に、支持団体トップが
不満を示した発言。中部電力労組の出席組合員約360人からは、どよめきが上がった。
新井氏は東電の福島第一原発の事故について『(東電に)不法行為はない。
国の認可をきちっと受け、現場の組合員はこれを守っていれば安全と思って
やってきた』と述べた。
新井氏は取材に『(民主党候補者に)推薦を出すかどうかを厳密に判断していく。
原発だけでなく、雇用や産業の政策も総合的に判断する』と話した。」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――   
 東京電力労組新井委員長の発言は、日本の労働組合運動の主流を占める
連合の中核組合、大企業の労働組合の指導者の考え方をよく表わしていると思います。

 東京電力の組合役員は、原発事故を起こした東京電力が「事故は想定外」と
自己の責任を感じていないと受取られる態度を示していることに、
国民の怒りが集中していることが分らないのでしょうか。事故が起きたのは
大きな地震や津波で電源を失う恐れがあると指摘されていながら、その対策を
怠ったことが明らかになっているのに、いまだに会社と一体となって
「事故は想定外」と言っていることに、あきれてしまいます。
なぜ、東電労組の役員がこのような考え方になるのでしょうか。

 私なりに考察しますと、日本の大企業の労働組合は、組合員の労働条件や
権利を守ることを運動の中心とするのではなく、企業の業績を挙げることで、
そこからいかにしておこぼれ的利益を得るかということを運動の中心に
据えているように思います。そこから当然労使一体化した考え方、
労使協調の運動方針が生まれます。
そして、組合員の数を指導部に与えられた力と錯覚し、選挙で力を貸す政党や政治家が
自分たちに協力するのが当然。国会議員や地方議会議員は自分たちの方針に
従うべきだと考え、「脱原発と言うな」と平気で言えるのだと思います。

 労働組合の役員が、仲間内での非公開の話合いの場で言うのではなく、
電力会社の労働組合の大会といえば現在では当然のこととしてマスコミの注目を集め、
記者が取材にきていることを知っている(現にその後取材を受けている)のに、
公開の場で、このような発言を平気ですることに、現在の大企業労働組合の役員の
感覚が現れていると思います。

                                       大西 五郎


なるほど、多分、発言にも時期があって、政府の再稼動への動きのなかでの
一連のものなのでしょうね。
どうも、期間をかぎって再稼動というシナリオで動いているようですが・・・
野田さんは責任をもって再稼動といっていますが、万一、事故が起こったら
どうやって責任をとるのでしょう?
たんなる口約束ではね・・・

追伸
生活保護費を10%カットに策謀にタレントが公開処刑される国。
あまり北朝鮮を笑えないかも・・・
自民党は、社会保障費をけずってコンクリート政策に、を
政策の柱にしたとか。



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10 コメント

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しったかぶり (にんじん)
2012-05-31 10:57:39
 民主党内に旧民社系議員の集まりである「民社協会」がありますが、これを人的・物的に支援する労組が電力労連・自動車総連・ゼンセン同盟など旧同盟系労組。
 昇給・昇格に際しては労組の承諾が必要というところが殆ど、ということで有名だった。
 「民社協会」に属する議員名は、「民社協会」で検索するとぞろぞろと出てくる。
 あぁ、あの議員もやはりそうだったのか! と。
返信する
狭隘 (文科系)
2012-05-31 11:31:40
 この文章には、ある重大な狭隘さが示されている。こういう思想、表現こそ、旧左翼が伸びなかった最大の理由、思想とも愚考する。

『 私なりに考察しますと、日本の大企業の労働組合は、組合員の労働条件や権利を守ることを運動の中心とするのではなく、企業の業績を挙げることで、そこからいかにしておこぼれ的利益を得るかということを運動の中心に据えているように思います。そこから当然労使一体化した考え方、労使協調の運動方針が生まれます』
 日本の労組に、いや日本人の人生にさえ、こういう大傾向があったことは先ず認めておく。その上で、この「本質」をこう描いて良いのかと、ここを僕は大声で指摘したい。
『日本の大企業の労働組合は、(中略)企業の業績を挙げることで、そこからいかにしておこぼれ的利益を得るかということを運動の中心に据えているように思います』
 果たして、連合に従ってきた労組員の心までをこのように描いて良いものだろうか。こう言えば、こんな声も返されるだろう。役員のことを語っているのであって、平組合員のことではないと。それでは聞くが、ここでこうも語っているではないか。『当然労使一体化した考え方、労使協調の運動方針が生まれます』。そして、現実に僕も含めた論者の組合運動が、労使一体的組合運動に現に大きく負けているではないか。全労連などはすっかり意気消沈していて、あるのは空元気だけのように僕には見えてしかたない。そして、何故なのかというその秘密までが、この文章のこの思想、表現にあるように僕には思える。
『そこからいかにしておこぼれ的利益を得るかということを』
 人は食わなければならない。周りの人々とも仲良くしたい。自分の仕事がきちんと評価され、人として成長していきたい。こういう人としてのまっとうな人生目標獲得を、資本主義と旧左翼とが争って、旧左翼がいったん世界的に負けたのである。ここを素直に見ずに、なぜこんな狭隘な、いじましい語り方しかできないのだろうか。
 なお、この下りでさえ狭隘だと僕は思う。
「組合員の労働条件や権利を守ることを運動の中心とするのではなく」
 負けたことを率直に認め、己の狭隘さを反省することなくしては、左翼の明日はないのではないか。
返信する
質問です。 (らくせき)
2012-06-01 09:48:16
文科系さんに、別の質問です。
(あなたの指摘が正しいか、どうか?
私は判断できる能力はないので)
東電の委員長にむかっては、
どう言いたいのでしょうか?


返信する
難しい質問! (文科系)
2012-06-01 10:07:06
 大変難しい質問で、僕にもきちんと答える能力はないと思います。時と場合によって語る内容が変わってくるはずだからです。その主たる理由は、この組合代表者である委員長の背後には無数の組合員とその家族がいるということ。委員長を批判する時でも彼らの思いをも考慮しなければならない場合も多いのではないかということ。それで上にこう書きました。
「人は食わなければならない。周りの人々とも仲良くしたい。自分の仕事がきちんと評価され、人として成長していきたい。こういう人としてのまっとうな人生目標獲得を」
 
返信する
無限後退? (あんころもち)
2012-06-01 13:54:10
>文科系さん
 上でおっしゃっていることが事実と違うというのではありません。
 しかし、そうした論理でゆくと、あらゆる対立する命題がその当事者たちの利害に関係付けられ、そして、当然のこととしてそのそれぞれが利害に絡むわけですから、それらすべてを斟酌しているといわゆる相対主義の無限後退に陥るのではないでしょうか。
 いわゆる「盗人にも三分の理」です。←だから無視せよというのではありません。
 
 したがって、私としては、そうした利害が異なる人々が共生してゆくなかでは、その利害比べではなく、どちらが将来にわたってより悲惨を回避しうるのかという「共生」という視点から考えたいと思うのです。いくぶん難しい言葉で言うと、当事者の視点から第三者の視点(この場合は国民一般、あるいはもっと広く類としての人間)への超越ということになりましょうか。

 したがって東電の組合の委員長と対峙するにしても、その彼我のどちらの利害が優先さるべきかではなく、どちらがより少ない悲惨、出来ればより多い希望へと繋がるかを論点にすべきでしょう。

 単に利害比べで主張するならばそれは「狭隘」かもしれませんが、共生の論理に立つならばそうした相対主義の罠から抜け出ることができると思います。
 ご一考を。
返信する
話の構造ということ (文科系)
2012-06-01 14:18:55
 あんころもちさんへ
 僕のコメントに当然起こりうるご質問を有り難うございました。相手理解とかその表情観察とかがない言葉だけの世界の交流とは難しいものだなと噛みしめながら、応えます。
 前置きですが、話には構造というものがありますよね。例えば、最も言いたい大命題と、それにまつわる中間命題いくつか、さらにはそのそれぞれの小論とか。上のこの大命題自身でさえ、もっと大きな世界での他との連関の中では、中間命題になって行くこともあるでしょう。
 さて、僕は最初のコメント冒頭でこう書いています。
『 日本の労組に、いや日本人の人生にさえ、こういう大傾向があったことは先ず認めておく。その上で、この「本質」をこう描いて良いのかと、ここを僕は大声で指摘したい。』
 とこういう世界、構造の話とは違う話をするよという前置きのつもりでした。

 こういう言い方をすれば、大西さんの方からも多分同じことが返ってくるかも知れませんね。そういう話だったらまた別の言い方をする、と。でも、語られていることが狭隘で、反発を招く面があることは確かでしょう。
返信する
バトル欄というから (だいこん)
2012-06-01 17:05:02
 大西さんからの声が聞きたいですな。
 しかしこれはらくせきさんの投書ということだから仕方ないですか? 
 だけどちょつとすっきりしませんな。
返信する
お答え (らくせき)
2012-06-01 19:26:56
この投稿は大西さんから送られてくるものを
私の判断で、投稿させていただいています。
以前、コメント欄のことをお知らせしましたが
お返事はいただけませんでした。
多分、今回も同じだと思いますが
一度、聞いてみます。


返信する
大西さんからの返事をいただきました。 (らくせき)
2012-06-02 19:24:48

<文科系さんの「狭隘」にお答えします>

 私が「新聞の片隅に載ったニュースから」で東京電力労組委員長が「裏切った民主議員に報いを」と述べたことを紹介し、大企業労組の運動を批判したことで、ブログ上で意見が交わされていることを嬉しく思います。だいこんさんの「大西さんの声が聞きたい」とありましたので、お答えします。

 文科系さんが私の見解を「狭隘」と指摘されたことについては異論があります。私は労働組合の役員をしたこともありますし、記者としていろいろな労働組合を取材し、労働組合役員と話を交わしたこともあります。労働争議を取材したこともあります。その私の経験から、私は大企業の労働組合幹部の姿勢を批判的に見ています。以下具体的に説明します。
 文科系さんは「日本の大企業の労働組合は、(中略)企業の業績を挙げることで、そこからいかにしておこぼれ的利益を得るかということを運動の中心に据えているように思います。」に対して「果して、連合に従ってきた労組員の心までこのように描いて良いものだろうか。」と言います。私が「おこぼれ的利益」と言ったのは言葉足らずで、正確には「会社の許す範囲でのおこぼれ的利益」と言うべきでした。労使協調の組合の役員のことを指して言ったつもりです。大企業の組合はこの「会社の許す範囲内で」と自己規制しているように思います。組合員(一般社員)の中に、会社の業績を上げることで賃金も上がるから、会社の方針に協力すべきだと考えている人も少なからずいることは確かです。組合役員を支持している人もいます。しかし必ずしもそうとは言えない人もいます。後で説明するように「やむをえず支持している姿勢を見せている」というケースもあります。
 そして「現実に僕も含めた論者の組合運動が、労使一体的組合運動に現に大きく負けているではないか。全労連などすっかり意気消沈していて、あるのは空元気だけのように僕には見えてしかたがない。」といいますが、全労連が意気消沈しているというのはどうでしょうか、確かにこのところ労働組合員が減少しています。それは「全労連など“左翼労働運動”の退化」なのでしょうか。大企業の労働組合をはじめ労働運動が労働条件の改善や権利拡大でなかなか成果を挙げていないことが、組合無力論を拡げているからでしょう。それに非正規の雇用が増えているためのようにも思います。
 それと大事なこととして、文科系さんが、会社が会社の方針に反する労働組合や組合員に対して弾圧と懐柔で労働組合の方針を曲げようとしていることに触れていないことを指摘したいと思います。中部電力で労働組合の労使協調の方針に反対して昇格や賃金で差別を受け、裁判を起こした人のことを知っています。また、私のいた組合で、会社が労使協調の組合役員を増やそうとして組合の選挙などに介入した事実も知っています。私のいた組合では職場代表で構成する代議員会という常設の意思決定機関がありましたが、この代議員の選挙に職制が「君が誰に投票したか会社は分かる。会社が嫌う者に投票したらどうなるかわかるだろうな」などと介入しました。事実組合の選挙管理委員長が数日間に亘る投票期間中に毎日投票箱の内容をチェックし(その日に投票した者と投票された票を照合する)、会社に報告していた事実(選挙後に報告書が棄てられていた)も明らかになっています。職制の指示に従った人は昇進などで優遇されましたが、会社の方針に従わなかった人は差別されました。こういう仕打ちを日々見せられたらどうなるかはお分かりと思います。
 「資本主義と旧左翼が争って、旧左翼がいったん世界的に負けた」は「旧左翼」が何を指すのかはわかりませんが、いろんな意味での資本の側の圧力が強かったのは事実で、労働運動の側に不統一があって全体でまだそれを跳ね除けずにいるというのが現状ではないでしょうか。
                                       大西 五郎
返信する
お応え (文科系)
2012-06-06 11:51:12
 僕はあんころもちさんへの文中でこう書いています。
『 さて、僕は最初のコメント冒頭でこう書いています。
「日本の労組に、いや日本人の人生にさえ、こういう大傾向があったことは先ず認めておく。その上で、この「本質」をこう描いて良いのかと、ここを僕は大声で指摘したい」
 とこういう世界、構造の話とは違う話をするよという前置きのつもりでした』

 以上のような提起に対して、大西さんの文章は失礼ですがお応えになっているとは思えません。言われるような構造があること、それが使用者側の利益であることなどは、ある意味当たり前のことですし。こうしてつまり、この委員長発言を組合員の気持ちにもあわせて有功に批判するやり方は別にあるはずだと、そう申し上げているわけです。
 大罪70とか、69の拙稿『「取り敢えず再稼働」?』は、そういうものの一例のつもりで書きました。
 
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