随筆 「便利、便利」 H・Tさんの作品です
“もし、もし”
「あっ深川さんですね。いつも主人がお世話になっています。ありがとうございます」
「………」
「すぐ主人に代わります。お待ち下さい」
「………」
私はまだ何も言っていないのにと、受話器を耳にして立っていた。
「代わりました。何か連絡でも……」
「あしたは、教場へ三〇分ほど早くと係りの人から言われたので……」で電話は終わった。Fさんとは詩吟の仲間。“Fさん宅ですか”とも、“深川ですが”とも言わないのに、なぜ分かったのだろうとしばらく考えたが、さっぱり分からなかった。
後日、今時の電話は呼び出し音と同時に、誰からの電話か分かり、不明、不要の電話は出る必要なしと、便利便利だと教えられた。
我が家の電話は昔ながらの黒電話。ダイヤルは手回し。私は不便とも、不自由とも思ったことはない。失礼と思ったこともない。
時々留守をして、宅急便が届かないことがあるが、この電話で再配達をしてもらう。
時には、世論調査の電話がある。
「あなたは今の内閣を支持していますか」
支持する方は、|(マイナス)を押して下さい。
支持しない方は、シャープを押して下さい。
これはできない。受話器を置きながら、“すみません”とあやまるが、向こうはテープを流しているので、返事はなし。
何年も使っている愛用の黒電話。友人は“ケチ丸出し”とか、“古代人”。
“今は、コードなしで、夜は枕元に置けるし、便利なのに”と言うが、コードを延ばせばよし、“台所にも置ける”と言うが、大きな家の住人ではない。というように、私は、柳に風なのだ。
この頃では、骨董品だ。今に値が出るから大事に……、人は言う。
私の生活必需品。手放す気持は全くない。
“ふたつ、よいことないもんじゃ”
“楽して、楽知らず”と言って、物を大切にすることを教えられた。
“世の中変わった。いろんなことが便利便利になったが、便利と豊かさとは違うのではないか”、と思えてならない。どんなに便利な世の中になっても、心の平安と充実と、この便利とは別物ではないかと、私は思う。
“もし、もし”
「あっ深川さんですね。いつも主人がお世話になっています。ありがとうございます」
「………」
「すぐ主人に代わります。お待ち下さい」
「………」
私はまだ何も言っていないのにと、受話器を耳にして立っていた。
「代わりました。何か連絡でも……」
「あしたは、教場へ三〇分ほど早くと係りの人から言われたので……」で電話は終わった。Fさんとは詩吟の仲間。“Fさん宅ですか”とも、“深川ですが”とも言わないのに、なぜ分かったのだろうとしばらく考えたが、さっぱり分からなかった。
後日、今時の電話は呼び出し音と同時に、誰からの電話か分かり、不明、不要の電話は出る必要なしと、便利便利だと教えられた。
我が家の電話は昔ながらの黒電話。ダイヤルは手回し。私は不便とも、不自由とも思ったことはない。失礼と思ったこともない。
時々留守をして、宅急便が届かないことがあるが、この電話で再配達をしてもらう。
時には、世論調査の電話がある。
「あなたは今の内閣を支持していますか」
支持する方は、|(マイナス)を押して下さい。
支持しない方は、シャープを押して下さい。
これはできない。受話器を置きながら、“すみません”とあやまるが、向こうはテープを流しているので、返事はなし。
何年も使っている愛用の黒電話。友人は“ケチ丸出し”とか、“古代人”。
“今は、コードなしで、夜は枕元に置けるし、便利なのに”と言うが、コードを延ばせばよし、“台所にも置ける”と言うが、大きな家の住人ではない。というように、私は、柳に風なのだ。
この頃では、骨董品だ。今に値が出るから大事に……、人は言う。
私の生活必需品。手放す気持は全くない。
“ふたつ、よいことないもんじゃ”
“楽して、楽知らず”と言って、物を大切にすることを教えられた。
“世の中変わった。いろんなことが便利便利になったが、便利と豊かさとは違うのではないか”、と思えてならない。どんなに便利な世の中になっても、心の平安と充実と、この便利とは別物ではないかと、私は思う。