ブログ友のブログで日本国元首相にして、過去最長政権を誇っている安倍晋三氏の発言が話題になった。最近有名な、こういうものだ。
『日銀は政府の子会社だ。60年の満期が来たら借り換えても構わない。心配する必要はない』
従来の「中央銀行が内閣から独立していなければ、その通貨の信用はいつか保てなくなる」という貨幣理論を全く投げ捨ててしまった2013年採用の彼のこのやり方には、当時から「財政ファイナンスである」と批判が集中していたもの。「国家が赤字を垂れ流しても、その分円を刷れば、ノープロブレム。日本国の借金証書である国債が国内(資産)で買えているその間は」という議論なのだ。ちなみに、この議論への反論はこうだった。
「国家の借金と資産は、個人のとは違う。個人借金なら資産で帳消しにできるが、国家にはそれができない。こんな「借金垂れ流しを円増刷でカバーする」政治を続けたら、いつか必ず円も国債も暴落する」
さて、数10年ぶりの円安が続く今だからこそ、安倍晋三氏は開き直ったように上記「日銀は政府子会社」を懸命にダメ押しし始めたのであって、この期に及んでの「アベノミクス開き直り」なのである。まー円バブル崩壊を口先で止めようとしているようなもの。そう言えば、アベノミクスの根幹の一つ「2年で物価2%上昇」というのも、何年経っても実現できなかったということもあったな。2013年当時の日銀白川総裁が「子会社化」に抵抗してこう反論していたのを思い出さずにはいられない。
「デフレ状況は通貨政策では換えられない」
このお人の教養のなさは、本当に度しがたい。それも、政治教養が無いときている。ひょっとしたら抽象的思考一般が苦手なのかも知れない。この人の国会答弁が、質問事項にはなにも答えずに長々とけんか腰の「関連」持論を展開して質問時間を潰してしまうやり方を続けて来たのも、質問の意味が分かっていない場合も多いのではないか。改めて、例を挙げてみよう。
「わたしが国家ですよ!」との答弁は、長妻昭氏の「国家基幹統計改竄は国家の危機を招きうると分かっているのか?」との質問に答えたもの。「国家である私が、そんなもの招かないから・・・」と言って、答弁になっていると考えているのだ。それも、国家三権の行政権の長にしか過ぎないのに。
ところで、この国家三権(分立)無理解と言えば、こんな悪事をやりかけたこともあったな。だからこそ、「私が国家だ」などと言えたとすると、とんだ独裁者、悪漢である。検事総長人事を彼が左右しようとした時に、歴代検察庁首脳らから「ルイ14世」と告発文を出されたその4日後だったかに断念したことがあった。ことの重大な意味が分からないからこそ、検察総出で反対が来るとは思わなかったのだろう。
この検事総長人事もそうだったのだが、国権の最高機関・国会で決めるべきことを、内閣でどんどん決めてしまった。国会に約束してきた慣行を勝手に破ってきたものを含めれば、内閣法制局長官人事、日本学術会議人選、安保法関連などまさにぞろぞろと出てくるのである。
こうして、安倍晋三氏の政治手法はもはや暴力と言える。「私か妻が関係していたら、総理どころか議員も辞めます」。国権の最高機関・国会でそう答えたのに辞めていないというのも、暴力になるはずだ。言論の府における自分の言葉を堂々と破りつづけているその姿のままで居座り続けているという暴力。と言うこんな理屈も理解できないお人なのだろう? そう言えば、桜やモリトモでも何百という嘘が露見していた。それでも辞めないって、国会を頭から馬鹿にした態度と言える。国会よりも自分の方が偉いと思っているんだ!