昭和20年9月2日 昭和天皇の「降伏詔書」
朕は昭和二十年七月二十六日、米英支各国政府の首班がポツダムに於いて発し、
後に蘇連邦が参加したる宣言の揚げる諸条項を受諾し、
帝国政府及び、大本営に対し連合国最高司令官が提示したる
降伏文書に朕に代わり署名し、
且つ連合国最高司令官の指示に基づき、
陸海軍に対する一般命令を発すべきことを命じたり。
朕は臣民に対し、敵対行為を直ぐに止め、武器を措き
且つ降伏文書の一切の条項並びに帝国政府及び大本営の発する
一般命令を誠実に履行せしむことを命ず。
御名御璽
9月2日午前9時4分、東京湾上の戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印。
この模様は全世界にラジオ中継された。この日の詔書です。
国内ただ一つの日本放送協会は、このイベントは放送しませんでした。
大元帥・昭和天皇が降伏、戦争が終了したのは、9月2日でした。
歴史家なら、そう判断するでしょう。
すると大きな疑問がわいてきます。
では、なぜ日本国内では、8月15日が終戦記念日とされたのでしょうか?
この問題は今に続いている戦争責任の問題に繋がっています。
なぜ、ご聖断という神話が生れたのかなど、
戦後の日本の「国のありかた」を考える素材として
面白い問題をふくんでいませんか?
朕は昭和二十年七月二十六日、米英支各国政府の首班がポツダムに於いて発し、
後に蘇連邦が参加したる宣言の揚げる諸条項を受諾し、
帝国政府及び、大本営に対し連合国最高司令官が提示したる
降伏文書に朕に代わり署名し、
且つ連合国最高司令官の指示に基づき、
陸海軍に対する一般命令を発すべきことを命じたり。
朕は臣民に対し、敵対行為を直ぐに止め、武器を措き
且つ降伏文書の一切の条項並びに帝国政府及び大本営の発する
一般命令を誠実に履行せしむことを命ず。
御名御璽
9月2日午前9時4分、東京湾上の戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印。
この模様は全世界にラジオ中継された。この日の詔書です。
国内ただ一つの日本放送協会は、このイベントは放送しませんでした。
大元帥・昭和天皇が降伏、戦争が終了したのは、9月2日でした。
歴史家なら、そう判断するでしょう。
すると大きな疑問がわいてきます。
では、なぜ日本国内では、8月15日が終戦記念日とされたのでしょうか?
この問題は今に続いている戦争責任の問題に繋がっています。
なぜ、ご聖断という神話が生れたのかなど、
戦後の日本の「国のありかた」を考える素材として
面白い問題をふくんでいませんか?
全世界に中継放送されたのに。
どこの意向が働いたのでしょうね。
放送され国民が視聴していれば、何か違った認識が国民に生まれていてそのごの流れに影響したのではないでしょうか。
本来降伏の調印には、最高責任者の署名が不可欠とか。
天皇のミズリー号上での調印は国民感情を逆なでし
怨念を深めるとかで避けられたとか聞いています。
そのため 政府代表の重光外相と大本営代表の梅津参謀長が出席したそうですから。
このあたりから 占領期の歴史発掘は大切でしょうね。
歴史解釈権というのは、過去のことについて
だけでなく、まさに現在の解釈権なんですね。